紫陽花の葉を食べた

綿麻きぬ

 梅雨前線により僕の頭に痛みが襲う季節、僕は壊れた。



 雨の予報が出ていたにも関わらず、傘を持たずに家を出たスーツの僕は公園のベンチで雨宿りをしている。横の紫陽花を見て頭痛に耐え、あきれ返りながら。


 ふと、そんな中で紫陽花には毒があることを思い出した。詳しくは分からない、ただ危険なものなのだろうという認識だ。他に知っていることと言えば土壌の酸性かアルカリ性かで花の色が変わるぐらいの知識しかない。


 そんな不思議な植物に僕は惹かれてしまった。


 惹かれてしまった時にはもう遅い。僕の手は葉に伸び、むしり、口に運んでいた。きっとこの時は疲れていたのだろう。何の躊躇いもなく咀嚼した。


 なぜ食べたかの本当の理由は分からない。どうせ、考えても分からないから。ただ、この摂取によって何かが変わったことだけは分かった。


 そんなことをぼんやり考えていたころ、いきなり呼吸が出来なくなった。視界がぼやけてくる。白くなってきた。意識は遠のく。


 何時間経ったのだろうか、それともあまり時間は経っていないのだろうか、僕は公園で目覚めた。さっき居た場所となんら変わらないはずの場所で。だがその場所は何か違和感があった。


 さっきまでの頭痛はなくなり、雨は止み、暑さが僕を襲う。まるで時間が過ぎ去り夏に来てしまったようだ。


 ただ、一つ大きな違いがある。白いワンピースを着て、麦わら帽子を持っているショートヘアの少女が僕の横にいることだった。


 僕はその少女のことを知らない。そしてこの空間も分からない。その時、口を開いたのは向こうだった。


「おはよう、目覚めたみたいだね。起きたなら遊ぼうよ」


 そう言って雨宿りは終わりだと僕の手を取り、立ち上がらせる。立った体は軽く、よく動くもので驚いた。視線を自分に移すとそこには小学生の僕がいた。しかし僕はそのことに疑問を抱かない。だって、当たり前だから。


 何か大事なことを忘れて、捨てたものを思い出すように僕らは遊んだ。ブランコや鉄棒、雲梯、滑り台、公園にある遊具を全て遊びつくした。


 他にも全力で走る楽しさ、小さな命を観察する喜び、ちょっとしたことで揺さぶられる感情、それは久しく感じていなかったようなものだった。


 全力で遊んで、全力で様々なものを感じた僕は疲れて家に帰りたくなった。家に帰って母親が作った美味しい料理が食べたい、温かいお風呂でゆっくりしたい、ふかふかのお布団で寝たい、そう思った僕は少女に別れを告げ、帰ろうとする。


 公園を出ようとする僕の袖を少女は引っ張り、引き留める。


「公園から出ちゃダメだよ」


 僕は不思議そうな顔をした。だって、遊んだら帰るだろう。家族が待っている家に。


「疲れたならここで寝ればいいよ。だからここから出ちゃダメだよ」


「ここから出たらまた君は苦しむよ、だから出ちゃダメ」


 僕は少女の言っていることが分からなかった。僕は料理やお風呂、お布団、家族が待っている家に帰りたかった。


 それを僕は伝える。そっと少女は袖を離し、口を開く。


「分かった。だけど話を聞いて」


 真剣な声で少女は話し始める。


「ここは君のゴミ箱だよ。君が捨ててしまったものたちが形を持った世界だ。これらを君が捨てて生きやすくなったんだよ。そして君は大人になったんだ」


 少女が何を言っているのか分からなかった。まだ僕は子供だ、子供のはずだ、だって僕はまだ…。


「いいや、君は大人だよ。ちゃんと捨てて諦めてる、そうやって大人にちゃんとなってるよ」


 あぁ、そうだった。僕は少女たちを捨てて大人になったんだ。子供を捨てて、大人になったんだ。そして限界が来て僕は救いを、いや、希望を持って葉を口に入れたのだ。捨てた少女たちを思い出したくて。


「思い出したみたいだね…。さぁ、お別れの時間だ。もう現実に戻る時間だよ。最後に私からのお願いを聞いて欲しい」


 そう言って少女は僕に目を閉じさせた。いきなり唇に温かく柔らかい何かを感じた。


「いいよ、目を開けて」


 目を開けるとそこには白い天井が見え、僕は病院のベッドにいることを認識した。周りには患者以外誰もいない。見舞いの人もいない。


 会社には連絡していない、仕事は大丈夫だろうか、家に帰ったら冷たいご飯を食べる、家族は待っていない、様々なことが頭に過る。


 最後に公園で少女と遊んだことが思い出された。捨てたものがもう一度手元にある。それは喜ばしいことかもしれない。だけど、それは大人になった僕には重たいものだった。

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紫陽花の葉を食べた 綿麻きぬ @wataasa_kinu

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