第2話 小型自動二輪免許

「小型自動二輪免許」 (昭和50年~昭和51年)


 昭和50年4月、ワシは高校生になりました。

 「サーキットの狼」が「少年ジャンプ」で連載され始めたのが1月でした。ちょっと興味を持ちましたが、まだまだバイク熱が沸騰中だったワシは、相変わらず「モーターサイクリスト」を読みながら「バイク」への夢を膨らませておりました。当時のワシにとっては「クルマ」なんて現実味のない遠い世界のことだったのです。うちにも「クルマ」なんてなかったし。

 ワシの高校は、一応進学校だったので、その頃世間を騒がせていた「3ない運動(免許を取らせない、乗らせない、買わせない)などどこ吹く風で、おそらくそんな馬鹿な生徒はいないという前提で校則が決められていたので「バイク」に関してはスルー状態でした。だから「免許取得」については自由だったのでラッキーでした。

 

 夏休みの8月、ついに免許制度が改正されました。

 ワシはその頃には、近所の自転車屋さん兼バイク屋さんの顔なじみになっていて、顔を出すと中古や新品のバイクを見せてくれるようになっていました。

 そこに突然入荷してきた新車が「GT380」と「CB400four」でした。どっかの友人お二人でそろって購入されて、納車まで少しの間保管してありました。

 ワシは実物を始めて見て感動したので、毎日のように見に行っていました。

 「GT380」は大きくてカッコええバイクでした。2サイクル3気筒なのに、なぜかマフラーは4本出しになっていました。でも「セル」が付いていなかった。エンジン始動は「キック」のみでした。それからエンジンかけたら、2サイクル独特の軽い音がしてあんまり好みじゃあなかったのを憶えています。

 「CB400four」は、低いハンドル(コンチネンタルハンドル)に4サイクル4気筒で4in1の集合管が付いていて、とてもコンパクトに見えました。セルを回してエンジンをかけると何とも言えない音がしました。「カフェレーサー」を気取ったそのスタイルは、今見たら「ホーッ」と思うぐらいのカッコよさですが、当時のワシは「4気筒4本マフラー」に憧れていましたのでそんなに好きにはなれませんでした。ワシの欲しかった「CB350four」とは似ても似つかぬスタイルというか軽々しさに「なんかのう」と思った記憶があります。

 しかもこの「400four」は「408cc」だったので、「中免じゃあ乗れんやあないか」ということで、「やっぱりサンパチ(GT380)の方がええやないか」などと一緒に行った級友と買えもしないのに不毛な会話をして盛り上がっておりました。


 そうこうしているうちに、やっと11月が来て、ワシはついに16歳になりました。とはいえ一応「進学校」でしたので、ワシの頭では授業についていくのがたっとでしたので、だから学校を休んで免許試験を受けに行くわけにはいかなかったので、期末試験が終わって冬休みが来るまでじっと我慢していまのでした。

 最初に試験を受けたのが12月の26日じゃあなかったかと思います。ワシは冬休みになってすぐに市役所に「住民票」を取りに行き、それから「写真」を用意し、万全の準備をしてその日を迎えました。

 ついでに言っておきますが、ワシが受けたのは「小型」の方であります。なしてかというと、「原付」と「小型」しか選択肢がなかったからです。「中型」「大型」は、120kmも離れた県庁所在地に鈍行列車で4時間もかけて行って、「県」の運転免許試験場でしか受けるしかなかったからです。ワシのように地方在住者はそうするしかなかったので仕方なかったのです。ワシはこうして一歩ずつ免許を取っていこうと決めたのでした。

 ワシは張り切って、朝の8時に試験場に行き一番に手続きをしました。

 9時から「学科試験」があり、100問中90点以上が合格の○×式のテストでした。

 10時過ぎに「学科試験」の発表があり、ワシはなんとか合格していたので、10時半からコースに行って実技の試験になりました。

 しつこいようですがワシが一番でした。ワシは一年前から買っていた青いジェットヘル(フルフェイスではない方のヘルメット)を被りあご紐をきちんと絞めグローブをつけて準備をしていました。

「1番の方どうぞ。」

とスピーカーで促されたので、ワシは左右を確認して、お父ちゃんのと同じK125の試験車に乗りました。前と後ろに色違いのランプがたくさんついていたのは、試験官の方がおられるコースの真ん中にある塔のような場所から、ギアを何速にいれているのかがよくわかるからです。

 ワシはバックミラーを調整し、セルを使ってエンジンをかけました。

「出発してください。」

の声を聞いて、ギアをローに入れ、ウインカーを右に出して走り始めました。

そしたら数メートルも行かんうちに

「はい、戻ってください。」

と言われて目が点になりました。


どうやら後方確認を忘れていたようで、試験はすぐに中止になりました。

「ガーン」

張り切っていた一日があっという間に終わりました。


これは厳しい。難関です。ハイレベルです。

ワシはこんなんじゃあ一生かかっても免許なんか取れそうもないことを実感しました。そして「ベルリンの壁」よりも高い崖をじっと見つめるしかありませんでした。


次は。

次は春休みですね。来年(昭和51年)の春休みね。前向きに考えよう。3カ月もあるのでじっくりイメージトレーニングできるど。

 なしてかというと、当時はワシの町の試験場では、月に2回しかバイクの一発免許の試験が行われていなかったからでした。正確に言うと、自動車学校のコースを借りて県から試験官が来て試験を行っていたからでした。


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