第52話

「ね、海斗?」


  凛が見せつけるように長い肉棒を咥える。

 もちろんそれは食べ物なので普通ならば違和感はない。

 だが、彼女の言葉を聞いてからどこか目の前で寝取られている感覚に襲われた。


「どう?」


「どうも何も……」


 凛は俺に擬似寝取られを味わせて遊んでいる。

 不純な遊びをしながら穢れもなく笑う彼女を見て俺は呆れていた。


「お! 凛と飴井君じゃん!」


 後ろで聞き慣れた声がして俺たちは振り返る。

 そこにはやはり浴衣姿の潮汐さんがいた。


「んん〜? 凛がフランクフルトなんて珍しいね」


 潮汐さんは凛が咥えたままのそれを指差して言う。

 凛と仲の良い彼女から見ても珍しいのか。


「なになに〜? 凛は食生活まで変わっちゃった〜?」


 さっきまで俺をからかって遊んでいた凛、それが今は潮汐さんに遊ばれている。

 その様子が微笑ましい。


「そんなんじゃないよ! たまたま! ほら、食べたくなったから!」


 凛はもう誤魔化そうと必死になっている。

 ただ、凛の元々の狙いは潮汐さんにはお見通しのようだった。


「本当にぃ? 飴井君を誘うための布石じゃないの?」


 そう言われた凛はかぁっと顔を赤くした。

 潮汐さんはニヤッと笑うと、さらに追い打ちをかけていく。


「もしかして、それをアレに見立ててからかってた。とか?」


「ちっ……!ちがっ……!」


 凛がわかりやすい反応をするものだから被害者の俺まで微笑ましくなってしまう。


「やっぱり……欲求不満だから誘うため、でしょ?」


 潮汐さんはあえて俺にまで聞こえる声で凛に言う。


「今日違うからっ! そんなんじゃないし……!」


 大慌てでそう反論した凛のある一文字を潮汐さんは聞き逃さなかった。


「今日……は、って言った?」


「えっ……」


 凛は慌てたせいでどうやら墓穴を掘ったようだ。


「今日はってことは普段はそうなんだ〜へぇー」


「違うって! なんでぇ……もぉっ……!」


 凛はついに恥ずかしさで黙り込んでしまう。


「ごめんって! 凛はイジりがいがあるからついつい……」


 凛に煽りような謝罪をしつつ潮汐さんは俺の方に近づいてきた。


「飴井君さ、今は付き合っているんでしょ?」


 彼女には今まで付き合っているとはっきりと言わなかった。

 でも、今は違う。


「まぁ、そう……だな……付き合ってる」


 俺がそう言うと潮汐さんは少し安心したような表情を見せる。


「ふーん……いいんじゃない? 凛も満足しているようだし?」


 潮汐さんは凛の方に視線を向けた。

 凛はまだ少し怒っているようで、そっぽを向いている。

 潮汐さんは俺の肩をぽんぽんと叩く。


「じゃあ、二人水入らずの時間の邪魔だろうしわたしはここで」


 彼女はそういうと俺たちから離れていき、すぐに人混みで見えなくなってしまった。


「望のいじわる……」


 凛はしばらく潮汐さんへの恨みつらみを言っていたが徐々にそれは減っていく。


「ねぇ、次どこいこっか」


 凛と相談をしているとふわっと甘い、焼き菓子の香りが漂ってきた。


「いい匂い……こっちからかな……」


 彼女は俺の手を引き、匂いの元へ歩き出した。

 浮かれているのだろう。

 いつも以上に笑顔だ。


「海斗どうしたの?」


 俺が凛を眺めていると不思議そうに訊いてきた。


「いや、楽しそうだなぁって」


「だって……」


 凛は恥ずかしそうに視線を逸らす。


「こういうのは初めて……だから……」


「まぁ俺も相当浮かれてるけど……な……」


 もう胸が高鳴ってしょうがない。

 これから何をするのか考えるだけで楽しい。

 去年まで祭りで浮かれている人たちがどこか憎かったが、今ならわかる。

 彼女に手を引かれて歩いているだけなのにこんなにも楽しいのだ。


「あ、あれじゃない?」


 凛が指差す方向にはベビーカステラの屋台。

 熱気と同時に砂糖や卵、小麦粉のいい香りが伝わってくる。


「どれ買おう……」


「待って」


 俺は彼女の財布を取り出す手を止める。


「俺が買うよ」


「私も払うよ?」


 凛は手提げから財布を取り出す。

 だが俺はそれより早くお金を取り出し、屋台のおじさんに手渡した。


「これで足りますか?」


「おう! 大丈夫だ! お兄ちゃんいいねぇ! 彼女さんかい?」


 明るく大きな声でそのおじさんは対応してくれる。


「はい、そうです」


 おじさんは凛と俺を交互に見て、菓子が入った袋を渡してくれた。

 でもその袋はひと回り大きい。


「これ、多いですよ」


 頼んだものより大きな袋に戸惑う。

 おじさんはそんな俺を見て、大きな声で笑った。


「彼女さんとたべな! お代はそれで十分だ! 子供は遠慮すんなってな!」


 できたてが入った袋からはじんわりと温もりが伝わってきたが、おじさんの声からは別の温もりが感じられる。

 俺と凛はその人にお礼を言い、一つずつベビーカステラを口に入れた。

 柔らかな口当たりにふわっと優しい香りが口の中に広がる。

 俺と凛は顔を見合わせて微笑んだ。


「そろそろ時間だね……」


 周りはもう暗くなっていて人の流れも変わってきていた。

 人々の多くは海岸の方、花火がよく見える方向へと進んでいく。


「行こうか」


「うん」


 俺と凛は指を絡め、並んで歩き出す。

 ちらっと横目に見た凛の頬はリンゴ飴のように赤く色づいていた。

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