第35話

 俺が声をかけると、凛の母親の足が止まった。


「何かしら?」


 先ほどの優しい雰囲気から一転して急に冷たさを感じた。

 その言葉に俺は怖気付きそうになる。


「少し、話を聞いていただけませんか?」


 怒らせないように丁寧に、口調ににも気をつける。

 凛と会えなくなってしまったら本末転倒な上に、彼女を傷つけることにもつながってしまう。

 凛の母親は俺の方に向き直り、口を開いた。


「それじゃあ、ここではなんだから少し上がって行って?」


 そう言って俺を迎え入れる。

 でも、歓迎されている気はしなかった。


「凛……どんだけ心配したと……」


 家の中に入ると、少し大柄な男性が出てきて、凛を叱ろうとする。

 ただ、俺の姿を見ると人前で叱るのは嫌だったのだろう。

 続きの言葉は言わなかった。


「その子は誰だ?」


 怒りが鎮まってないのがよくわかる声でその男性は聞く。


「お父さん、この子が飴井くん。凛が昨日お世話になった子よ。話がしたいそうだから、あがってもらったの」


 俺が自己紹介するより早く凛の母親が言った。


「そうか君が……」


 凛の父親らしいその人は俺よりずっと大きく、威圧感がする。

 もうすでに緊張で膝がいうことを聞かなくなりそう。

 でも、凛のため。いや俺たちのために一歩を踏み出す。


「はじめまして、飴井 海斗です」


「丁寧にありがとう。凛の父親だ。まぁあがってくれ」


 凛の父親も、俺を歓迎はしていないようだが静かにリビングへと入っていった。


「まぁ席にでも着いてくれ。母さん、お茶を」


 俺と凛を席に着くように促す。

 凛はこれからを考えているのか、もうすでに俯いてしまっている。


「それで……話というのは?」


「あの……その……」


 言葉が出てこない。

 緊張や恐怖からか額に嫌な汗をかきはじめている。


「凛に……あまり負担をかけないであげてください……」


「ほう……」


 凛の父親は少し驚いた表情をしたものの、態度が崩さない。

 凛の母親が静かにお茶を並べた後、俺と凛の向かい、そして凛の父親の横に座った。


「凛は……勉強とか親御さんのことで悩んでいるんです……だからもう少し……」


「家族でもない君がなぜそんなことを言える?」


 心に重くのしかかる言葉。

 あまり冷たい。

 凛が辛くなるのがわかる気がした。


「失礼なのは重々承知です。でも、凛は……凛は死のうとするほど追い詰められているんです……!」


 凛の母親の表情が曇った。

 たぶん追い詰めている自覚がなかったのだろう。

 二人とも良くない反応を示した。


「そうなの凛?」


「そんなわけがあるか! 私たちはいつだって凛のことを一番に考えているというのに!」


 凛の父親が発した声には明らかに怒りの色が混じっている。


「飴井くん、君の勘違いじゃないのかい? そもそもうちの子が死にたいなんて……そんな馬鹿な——」


「黙れ、黙れっ!!」


 横から大きな怒りの声がした。


「り、凛……?」


 声の主は他でもない、俯いていたはずの凛。

 もうすでに潤んでいる目はひきつり、歯が食いしばられている。


「何が一番だ! 私のことなんて考えてないくせにっ!!」


「何を言ってるんだ……? 凛?」


 凛の父親も驚いたのか、声が少し小さくなっていた。


「私たちはあんたらの道具じゃないっ! もう、うんざりだ!」


 今まで見たこともない。

 普段の凛からは想像できないような顔と声。

 手を見ると、強く強く握り締められ、爪が手のひらに食い込んでいそうだった。


「でも、私たちはあなたを心配して……」


 凛の母親はなだめようと、少し優しそうな声で凛に対応する。

 しかしそれは逆効果なようだった。


「何が心配だ! 私に無理強いばかりしてっなんで心配してるなんて言えるのっ!?」


「凛……」


「いつもいつも優しく言えば大人しくなると思いやがって! アンタらの都合が良い娘でいるのなんてごめんだ!」


 凛が怒鳴ったあと、凛の父親もまた怒りの色を強くしていた。


「凛っ! 母さんになんてことを言うんだ! 母さんはお前を本当に心配しているんだぞ!」


「お父さんはお父さんでいつもそうだ! そうやって怒鳴っていればいうことを聞くと思ってる!」


「なんだと……!」


 凛の父親の声が荒れる。

 ガタッと大きな音がして彼の椅子が床に倒れた。

 完全に二人ともヒートアップしてしまって、俺には入る余地がない。

 二人の勢いに完全に押されてしまっていた。


「凛、お前本当に死のうとしたのか?」


 凛に近づきながら父親がそういう。

 顔は興奮で真っ赤になっていて、もう素手の手を出しそうな勢いだ。

 それでも怒りを抑え、凛の父親は問いかけていた。


「ああそうよ! アンタらのせいでっ! 死のうと!」


 凛は呼吸ができないほどの怒りで声が最後まで出ていない。

 涙がボロボロと目から溢れ、唇は震えていた。

 凛の父親が彼女に手を伸ばそうとした瞬間、


「アンタらなんて……だいっ嫌いっだ!」


 凛が大きくそう叫び、その手を払いのける。

 パンっと大きな音が家に響いた。

 父親の手の軌道は凛の振った手によって大きく逸される。


「凛……」


 凛は父親の呆然とした表情を見て、我に帰ったようだった。

 彼女自身の手を見て、それで顔を覆う。


「う、あ……うああああっ!!」


 凛は膝から崩れ落ち、涙が堰をきったように流れだした。


「凛……」


 俺は彼女に駆け寄り、肩を抱き抱える。

 せめて、俺だけも彼女の味方になりたかった。

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