第20話

「凛、大丈夫かな……」


 家に帰った後も度々彼女のことが脳裏に浮かぶ。

 少し元気そうになっていたとは言え、最初の不安そうな顔が忘れられない。


「多分、大丈夫だ……」


 自分に言い聞かせ、おもむろにスマホを開いた。

 気を紛らすためにスマホゲームを開くと、ログインボーナスが途切れていた。


「最近あんまやってないからなぁ……」


 一回ログインを怠るともうやらなくなる悪い癖がある。

 でみ、このゲームは当たりだし、続けるとは思う。

 前まで途切らした時は嫌に忙しい時だったが、今回は違う。


「凛といることが多くなったし、ゲーム断ちの時なのかな……」


 もう来年には受験でゲームをする暇はないだろう。

 そのための予行なのかもしれないな。

 キッチンの方では母が料理をしているようで、いい匂いが漂ってくる。


「海斗〜? もうちょっとでご飯できるよ〜?」


 母が忙しそうに俺へ声をかけたその時、


 ピンポーン


 と玄関の呼び鈴が鳴った。


「こんな時間に宅配頼んだかしら……お父さんにしては早いし……海斗〜ちょっと出て〜」


 俺に頼むということは、多分今は手が離せないのだろう。

 それにしても外は雨だというのに遅くまで、宅配の人も大変だな。

 俺は玄関へと駆けると、シューズの踵を踏んだまま、ドアを開けた。


「はーい……ッ……!?」


 玄関の前に立っていたのは宅配の人ではない。

 その人物は夏だというのに酷く震えていた。


「凛………!?」

 思わず彼女の名前を叫ぶ。

 凛は傘もささず、ただ身一つでそこに立っていた。

 髪はシャワーを浴びた後のように、黒々と光って湿っているのが分かり、顔は涙なのか雨なのかわからないほどぐしょぐしょに濡れている。

 目はうつろで唇は震えたまま。

 びしょびしょに濡れたその服は肌に張り付いていて、下着は透けているしズボンも重そうになっていた。


「海……斗……」


 もう消えてしまいそうな声で彼女はそう言うと、顔を手で覆って泣き出してしまう。


「どうしたんだ……!? と、とりあえず家に……!」


 彼女の肩を抱え玄関の中、雨に打たれない場所に入れる。


「んー? 海斗〜? どうしたの?」


 異変に気づいた母が、キッチンから出てきて、玄関へとやってきた。


「か……母さん……!」


 母から見たら本当に異常な状況だろう。

 知らない少女がずぶ濡れで泣きながら息子に肩を抱かれている。

 母は驚いた顔をしつつも、俺より早く冷静になり、


「ちょっと待ってて、タオル取ってくるから」


 そう言って一旦家の中に入っていった。


「ごめん……なさい……ひぐっ……」


 凛は嗚咽おえつしながらただ、謝り続けている。


「何があったんだ……?」


 彼女の背中をさすりながら訊く。

 凛は濡れたせいで冷たくなったせいで体の震えが止まらない。


「海斗、これで拭いてあげなさい」


 母がバスタオルを何枚か持ってきて、俺に一枚手渡す。


「ありがと」


 俺は凛の肩にそれをかける。

 母は玄関で震えている少女の腕をゆっくり拭いていた。


「大丈夫?」


 母にそう声をかけられた凛は小さく頷く。


「母さん……」


「とりあえず、冷えてるから体を温めないと」


「あ、ああ」


 母は凛の手を取り風呂場へと連れて行く。


「海斗は玄関とか拭いといて、この子は私がお風呂に入れるから」


「え……」


「男の子に裸を見られるのは流石に恥ずかしいでしょうし」


 もう、よくわからない。

 気が動転しているせいだ。

 とりあえず俺は母の言うことを聞いて後片付けを始めた。

 掃除をしているとだんだん冷静さを取り戻すことができ、それにつれて凛のことが心配になってきた。


「海斗、あの子は?」


 風呂場から出てきた母が俺に訊いてきた。


「凛は……その……」


「凛っていうの?」


「そう」


「凛ちゃんってもしかして最近言ってるお友達?」


 ここで俺たちの関係をどう説明すべきなのだろう。

 もう彼女とは友達の域ではない。

 かといって誤解を生むような説明はできない。


「ああ……まぁ……」


 結局当たり障りのない返事になった。

 その様子を見た母は一瞬考え、俺が本当は言いたかったことを言う。


「もしかして、彼女だったり?」


 でも、それを俺一人だけで肯定するのはなにかが違う気がした。


「まぁ、そんな感じ……なのかな……」


 俺のはっきりしない反応を見て母は怪訝そうな顔を少しする。

 しかし、風呂場の方をちらっと見て、


「そっか……まぁいいんじゃない?」


 とだけ言って余計な詮索はしなかった。


「え」


「とりあえず、着るもの用意してあげなきゃね」


 俺の方があっけに取られてしまう。

 母はもうすでに何かを察していたのかもしれない。

 濡ている凛の服のサイズを見て、クローゼットからTシャツなどを引っ張り出した。


「これ、脱衣所に持っていってあげなさい。 サイズあってるかはわからないけど」


 母から手渡された衣類一式を服を入れるカゴの中へ。


「凛、大丈夫?」


 すりガラスで彼女のシルエットだけがかろうじてわかる。


「海斗……」


「ここに服置いておくから……」


 ドアの向こうの彼女はどう言う表情をしているのかはわからない。

 でも、多分暗い顔をしてるのだろう。


「ゆっくりでいいから」


「ありが……とう……」


 凛の今にも消えてしまいそうな声が扉越しに聞こえる。

 何回も彼女の裸を見ているのに今回はなぜかドア越しでも直視できない。

 俺は畳まれた我が家の匂いのする服を残してそこから静かに立ち去った。

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