第17話

「もうこんな時間……」


 ベッドで一緒にゴロゴロしていたが、急に凛が起き上がった。


「まだ五時前だけど……?」


「でも、勉強しなきゃ……」


 いつもはもうちょっと寝そべっている気がしたが、今日は違うようだった。


「なんかあったっけ……」


「期末テスト」


「え゛!?」


 すっかり忘れていた。

 というかもうだいぶ前から諦めているからどうでもいいや。


「そっか……そんでみんな帰るの早かったんだな……」


 でも凛は真面目なので、いそいそと勉強の準備を始めた。


「もうそんな時期……あっという間だな……」


「私は憂鬱ゆううつ


 いつにも増して重い口調だった。


「成績いつも良いのに?」


「親からしたらダメなんだって」


「意味わからん……」


 俺はシワが入ってしまった制服をもう一度着る。

 彼女は一旦手を止めて、送り出してくれるようだ。


「じゃあまた」


「うん、じゃあ」


 玄関先で別れを告げる。


「無理すんなよ」


 一応あんな風なこと聞いたら心配せざるを得ない。

 でも、彼女はその心配はいらないといったように微笑んで、


「ちゃんと勉強してよ?」


 と、俺の言われたくないところを的確に突いてきた。


「分かった……まぁ努力はする……」


「今度のテストは一緒に勉強できたら良いのかもね」


「勉強ぐらいなら、我が家でも……」


 彼女の表情が更に明るくなる。


「良いの?」


「ま、まぁ……大したものとか出せないけど……」


「楽しみにしてる」


「ま、まぁそういうこと。 じゃあまた明日」


「うん、学校でね」


 俺は凛に背を向け歩き出す。

 何度目なんだろう。

 毎回名残惜しい気がする。



 翌日からは俺も勉強を始めた。

 テスト一週間前を切ってからのスタートは遅いと思う人も多いだろうが、いつもは一夜漬けなので俺からしたら早い。


「テスト嫌だね」


 試験が近づくにつれ友人たちからもそんな声が聞こえだした。

 いつもは馬鹿ばかり言っている面々も休憩時間すら勉強に費やしている。


「お前さぁ、勉強してる?」


「いや、全然」


「俺も〜」


 みんなそんなことを言っているが滅茶苦茶準備してるんだろうな。

 俺も今回は勉強してる。

 でも、友人達も他のクラスメイトだってしていることを隠している。

 もっと言ってもいいと思うんだが。


「海斗、なんか最近いいことあった?」


 家で勉強をしていると親が不審な顔をしながら訊いてくる。


「え、なんで?」


「海斗が勉強なんて珍しいからねぇ……」


「いや、テスト前だし……」


 母はそれを聞くと大笑いし始めた。


「なんだよ……変かよ……」


「いやいや、ふふっ……前のテストなんて一夜漬けだったのに……ねぇ?」


 笑いを堪えながらそんなことを言われると無性に腹が立つ。

 いつも課題とかの勉強はやっている。

 時々サボるくらいだ。


「もしかして友達の影響?」


 冷蔵庫をゴソゴソしながら母が訊く。


「ま、まぁ? そんなところ」


「なるほどねぇ……良い友達……わたしが言っても聞かないのに……」


「いや別に聞かないってわけじゃ……」


「今度からその友達に言ってもらおうかしら?」


 凛に勉強しろと言われる図が頭に浮かぶ。

 良いかもしれない、いやどう考えても良くない。

それに親にはまだ凛のことをほとんど話していなかった。


「勘弁してくれ……母さんだけで十分だよ……」


「そうね、私の仕事なのかもね」


 母は俺をからかいながらも、飲み物を入れてくれた。


「氷入れてるから、薄くならないうちにね」


「分かった」


 母はそれをテーブルに置くと、他の家事をやり始めた。

 今までにないくらい集中できている。

 もう周りの音が気にならないくらい。

 シャーペンがノートを引っ掻く音と紙をめくる音しか聞こえない。


 どれくらい経っただろう。

 背中の痛みで集中が切れた。

 俺はゆっくり視線を上げ、背中を伸ばす。


「んー……全身がいてぇ……」


 いつも思うが姿勢が悪いらしい。

 首、肩、腰が悲鳴をあげているし、じじいかと言われてもおかしくないくらい筋肉が凝っている自信がある。


「うわ、もう暗くなってる……」


 だいぶ集中していたのだろう。

 陽がまだ昇っているままな気がしたが、もうとっくに沈んでいて、窓の外は暗くなっている。


「喉乾いた……」


 母が入れてくれていた飲み物はすでに氷は溶けきっており、少し味が落ちていた。


「そこ片付けて、晩御飯の用意するから」


「もうそんな時間か」


「は、や、く」


「はぁい」


 疲れすぎたせいで気の抜けたような返事しかできなくなっている。

 俺は参考書とノートを重ね、筆箱にそのほかの文房具を詰め込む。


「凛は今勉強してんのかな……」


「んー? 片付いた?」


「いや、まだ」


 母は皿を持ち、ダイニングへとやってきた。


「そういえばさぁ……」


「んー?」


「お友達ってどんな子なの?」


「まぁいつか紹介するよ」


 時が来れば紹介せざるを得ないだろう。

 でも、その時まで言いたくなかった。

 色々やりすぎて恥ずかしいというのもあった。


「ふーん……まぁ楽しみにしてる」


 母は俺のその想いを汲み取ってくれたのだろう、特に深掘りをすることはなかった。

 俺は部屋に戻り、明日に用意をする。

 ふと夜空を見ると、月が雲に隠れて朧になっている。


「凛、大丈夫かな……」


 凛の不安そうな顔が脳裏に浮かんだ。

 多分大丈夫だ。

 俺にはどうすることもできないし、そう思うのが精一杯だった。

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