第9話 私と佐渡くん
ステージは大成功だった。終始鳴り止まない手拍子、不必要な堀内くんの悩殺ポーズに湧き上がる歓声。佐渡くんが紙でできた金貨を客席にも撒くと、次々に争うように手が伸びて、まるでアイドルのライブ会場のようだった。ステージ傍で見守りながら、うまくいって本当に良かったと、感極まって泣いちゃいそうになる。拍手喝采の中幕が降りると、クラスメイトが代わる代わる私の肩を叩き労ってくれた。
「お疲れ!」
「お疲れ様!」
「すごかったよ舟越さん痺れたわ!」
「めっちゃ笑ったんだけどーもー最高だよー」
「あれ即興?やばくない?」
あはははと笑って応えながら目で佐渡くんを探す。佐渡くんもみんなに囲まれて嬉しそうに笑っている。
「ところであれラブソングだったよね。」
「へ?!どこが?!」
小声で耳打ちされて、まの抜けた声をあげてしまう。
「いや、後半とかさ、完全にそうだったでしょ?私ジーンとしちゃったよまじで。」
必死だったからどんな歌詞を歌ったのか思い出せない。
「舟越さん!」
動揺したところに声をかけられて心臓が口から飛び出そうになる。振り返ると笑顔の佐渡くんがこちらに向かってきていた。いけない!今はいけない!
「あっごめん!私ちょっと、花摘んできますッ!」
全速力でその場から離れる。顔が熱い。さっき佐渡くんと繋いだ手が熱い。もう、全身熱い。
夢中で走って走って、いつの間にか自分の教室に戻ってきていた。扉を開けると誰もいない。ふぅ、ここでちょっと休憩して、心を落ち着かせてから戻ろう。窓辺に寄りかかり空を眺める。いい天気だな。そっと目を瞑る。火照った頬に、風が当たって気持ちいい。自然と鼻歌を歌っていた。おお牧場はみどり。特別な歌になっちゃったな。
「見つけた!」
突然扉が開く音と人の声がして、驚いて振り向く。
「さ、わたりくん?どうしてここに?!」
教室に入ってきたのは、肩で息をする佐渡くんだった。
「いや、どうしてもこうしても、ステージの後飛び出したっきり舟越さん帰ってこないから。俺が無理にステージで歌わせたせいかなと思って謝ろうと探してたら、窓から顔が見えたから走ってきた。」
扉を閉めながら佐渡くんが答える。
「また無理させちゃったよね、ごめんね。無茶振りだった。」
頭の白い布が深々と垂れる。
「や!ううん大丈夫!私も、楽しかったし!ステージは大成功だったし!みんなの力になれて嬉しかったよ!飛び出したのは、その、みんながあんまりにも褒めてくれるからどうしたらいいのか分からなくなっちゃっただけというか!」
「ホントに?」
眉を寄せた真剣な顔の佐渡くんが、私の目を見て訝る。
「ホントホント!誓って本当です!ごめん余計な心配かけて!」
私が力強く何度も頷くのを見て、ふっと佐渡くんの空気が緩む。
「ッはぁあ良かった…心に消えない傷を追わせてたらどうしようかと…」
ヘナヘナと椅子に座り込む姿に笑っちゃ悪いと思いつつも、やっぱり吹き出してしまう。
「あははは、そんなにやわじゃないよ私。」
「そうだね。舟越さんて結構、強いもんね。」
佐渡くんがにっと笑う。
「正直舟越さんの隠れた才能を世に知らしめることができて、俺としてはしてやったりなんだけどね。」
「やめてやめてそういうの!」
声をあげて笑い合った後、佐渡くんが一呼吸置いて言う。
「でも本当に、ありがとう。舟越さんならって託したけど、やっぱり負担大きかっただろうし。信じてくれて、応えてくれて、ありがとう。」
「ううん。こちらこそ…」
しんと教室が静かになって、窓の外から聞こえる模擬店の呼び込みの声と、自分の心臓の音が混ざり合って耳の奥がどくどく振動する。
「好きです。」
あぁ。ついに口から出てしまった。
「わた、し、佐渡くんのことが、好きです。」
ああぁ。ポロポロ樽の隙間から水が溢れ出すような感覚。
「もっとたくさんお話しして、もっと佐渡くんのことを知りたいなって思う。ので、もしもお付き合いしてもらえるなら、嬉しいです…」
途切れ途切れだけれど、言葉は止まらなかった。静かに、黙って聞いていた佐渡くんが、ゆっくり口を開く。
「舟越さんはもしも…もしも俺に石油がなかったとしても、好きになってくれた…?」
「それは何とも言えない。」
「うぉえ??」
意外な答えすぎたのか、あまりに私がキッパリ言うので動揺したのか、佐渡くんの口から変な声が漏れた。
「私は佐渡くんの気配り力やトーク力をすごいなぁと思っているし、最初に佐渡くんに惹かれた要因ではあるのだけど、そういうのってやっぱり生まれとか育ちとか、もっと具体的にいうと油田関連のパーティとかの社交界で磨かれたものでしょう?」
「え、あぁ…」
「だから、今の佐渡くんを形作っているものに油田は確かに影響を与えているんだから、油田と無縁の道を歩んだ佐渡くんが今と同じ性質の佐渡くんになるかどうかは分からない訳で、つまり私は石油と共に生きてきた佐渡くんのことを好きになったということになると思う。だから、佐渡くんと油田を切り離して考えることはできない。ごめん。」
大真面目な私の解説をポカンと口を開けて聞いていた佐渡くんだったが、最後に私が謝るのを見るなり盛大に吹き出した。
「そっか、確かに、一理も二理もある、ね。わかったごめん、聞き方を変えるね。」
そう言って呼吸を整えた後、佐渡くんが真っ直ぐ私を見据える。
「俺が石油王なんてのは嘘っぱちで、実は富も権力もない、ただの普通の男子高校生なんだって言ったら、舟越さんどうする?」
「…え?」
「ごめんずっと騙してて。言わなきゃと思ってたんだけど。」
「え、え、え?まさか、本当に?」
「うん、本当。」
「えっと、じゃあお父さんは…」
「アラブの普通のサラリーマンで、母さんは商社に勤めてるキャリアウーマン。仕事でアラブに来てた母さんに一目惚れした親父の猛アタックの末結婚、生まれたのが俺というわけ。」
初めて石油王というものを目にした時のことを思い出す。じゃあ砂煙の中、石油王の隣を歩いていたパリッとしたスーツの女の人は、お母さんだった?
「あ、えぇ?でも、なんで??」
思考が追いつかず軽くパニックになる。佐渡くんは、石油王じゃ、なかった?こんなに、石油王なのに?
「こういう格好ってさ、アラブの方じゃ別に石油王でなくても着てるっていうか、ビジネスマンにとってのスーツみたいなもんなんだよね。うちの親父は仕事でたまに日本に来るんだけど、こういうの着てると石油王だって騒がれたりして日本人が喜ぶしウケがいいから、相手との距離を縮めるために戦略的に着てるらしくてさ。俺が転校してきた日も、午後から商談があるからって着込んでたんだけど、どうやら誤解を与えたようで。」
「あえぇぇ。」
「みんながあまりにもピュアに信じてるもんだから、面白くなっちゃって。ちょっとしたウケ狙いくらいのつもりだったんだけど、先生まで大真面目に食いついてきちゃって引っ込みがつかなくなったというか。」
「吉田先生ぇ…」
「そもそもこの高校に入ったのは、今まで母さんの転勤であちこち引っ越ししまくってたけど、大学受験を考えるならそろそろ腰を据えて勉強したほうがいいだろうっていう理由であって、石油の恩恵と離れた生活をさせるためとか嘘八百。俺が寮に入ったから、久々に海外で仕事ができるって母さんは張り切ってたよ。」
次から次へと滝のように情報を注がれて頭がパンクしそうだ。黙っていた罪悪感からなのか、ずっと溜めていたものを解き放てる喜びからなのか、佐渡くんはいつもよりずっと早口だった。
「あの、でも金塊は?」
校長室に厳重に保管されてる、あの金塊。
「あれはただの金塊型ぺーパーウェイト。文鎮。」
「ぶんちん」
「親父が仕事でウケがいいからって使ってるジョークグッズの一種なんだけど、たくさんあるからって一個貰ったやつ。」
「さっきからお父さん、笑いをとることに貪欲すぎない…?」
佐渡くんのユーモアセンスはお父さん譲りなのだろう。
「…今までさ、転校続きで人との繋がりってずっと希薄だったし、この高校でもそんなに期待してなくて。石油王とか大嘘ついて例えバレて孤立したって、たかだか1、2年の付き合いだし、卒業したら誰も俺のことなんか覚えてもいないだろうって、軽く考えてたんだよね。まぁ、こんなにずっとみんなが信じ続けるなんていうのも予想外だったんだけど。」
確かに言われてみたら、石油王の息子がこんな縁もゆかりもない田舎に急にポツンと飛び込んで生活するというのはどう考えてもおかしな話だし、普段佐渡くんの身につけているものだって特段高価なものは見られない。違和感を感じてもおかしくなかったのに、私たちは舞い上がってしまって盲目になっていた。
「ホントみんな、気のいい奴らばっかで…騙してるの悪いなとは思ってたんだけど…。俺、ハーフでこんな見た目だから、結構今まで揶揄われたりとか、影でこそこそ言われたりとか多くてさ。でも『石油王』でいる間は、みんなが噂してるのはあくまで石油王についてであって、俺の見た目とかイントネーションの違いとか、そんな細かいことは話題にも上らないじゃん?だから正直、居心地は良かったんだよね、人の目が気にならなくて。瀬尾くんのことも別に平気というか、なんならちょっと面白い奴だなと思ってたくらいだし。他の人や舟越さんを巻き込んじゃったりしてからは困ってはいたんだけど。本当にその節は申し訳ない。」
瀬尾くんが斬りかかってくるのはあくまで『油田を持ってる佐渡』であって、俺自身は何にもダメージがない、と以前言っていた佐渡くんの言葉を思い出す。本当にノーダメージだったとは…。じゃあ瀬尾くんはずっと石油王の幻想と一人相撲を取り続けていたわけで、なんだか気の毒に思えなくもない。
「そういうわけ…なので…」
滔々と話し続けていた佐渡くんの口が急に重くなる。
「俺も、舟越さんのことは好きです。」
心臓が跳ねる。
「でも今話したように、俺はずっとみんなを騙してヘラヘラ笑っていた人間です。石油王でもありません。それでも、俺を好きでいてくれますか?」
あっ。足から力が抜けて、突然蹲った私に佐渡くんが駆け寄る。
「えっ、舟越さん?!だいじょ…」
「一夫多妻とか嫌だなぁって思ってたから、嬉しくて、安心したら力抜けちゃった…」
「それって…」
「あの…先生今車と家のローン二つ抱えててキツくってご祝儀はずんでやれないから、式はもう少し先にしてもらってもいいか…?」
「……」
一瞬教室に完全なる沈黙が流れる。
「わっ吉田先生っ?!」
いつの間にか先生が扉の前に佇んでいる。先生だけじゃない、廊下にはクラスメイトの面々が興味津々の様子でこちらを覗いていた。
「えっなんで、いつから…!」
「なんでってお前、ここはみんなの教室なんだからみんなが集まるのは道理だろ?いつからかと聞かれたら、まぁ…佐渡が舟越の才能を世に知らしめられたって喜んでいたあたりからだけど…」
「めちゃくちゃ最初からじゃないですか!」
全然気が付かなかったというか油断していた。
「いやステージも無事終わったしみんなで集合写真でも撮ろうって話になったんだけど、今日の主役である佐渡とMVPの舟越が行方知れずだろ?手分けして探してたら、先生が1番に二人を見つけたわけなんだけども、いい雰囲気っぽいから理解ある先生としてはもうちょい待ってから声かけようと待ってたわけ。ところがどんどん声かけづらい状況になっちゃって、オロオロしているうちにみんな集まってきちゃって、さらに衝撃の事実が明かされていくもんだから、そりゃ動けなくなっちゃうよね。これはさ、仕方ないと思うわ。」
うん、うんと後ろの生徒達が共感の意思を示す。うわぁ一生分の恥をここでかくことになるとは…ッ。動揺する私の隣で、佐渡くんが一歩前に出て頭を深々と下げた。
「みんなごめん。聞いての通り、俺、石油王じゃないんだ。ずっと騙してて、本当にごめん!」
「佐渡…お前…」
1番仲の良い堀内くんがスカートを揺らしてそっと近づく。
「そんなことで俺たちの友情が揺らぐわけねぇだろ。水クセェんだよ!それよりもだよ!俺より先に彼女作ったことに怒り心頭だわこのやろ!おめでとう!」
がっしり肩を組んで佐渡くんの白い布で巻かれた頭をぐちゃぐちゃに撫で回す。
「おめでとう!」
「やっとくっついたかよおめでとう!」
それに釣られてわっとクラスメイトが教室になだれ込んでくる。誰も怒ってる人なんていなかった。
「いや学校手玉にとって騙し切るとかサイコーだろおめでとう!」
「俺たち金目的で仲良くしてたわけじゃねぇんだから見くびらないでもらいたいなおめでとう!」
「もうただそこに在られるだけでありがたいですおめでとうございます。」
「莫大な慰謝料払う財産ないなら実希泣かしたら許さないからねおめでとう!」
「はは…」
怒るどころかみんなに祝福され、拍子抜けした様子の佐渡くんはいつもみたいな軽快なトークはどこへやら、ただただ照れ笑いを浮かべてみんなに揉みくちゃにされるままになっていた。
嬉しそうな佐渡くんを目を細めて眺めていると、ポケットのスマホが震えた。取り出してみると、千春ちゃんから「おめでとう」とメッセージが入っている。えっ?話が伝わるのが早すぎる。今私達のことを知っているのは、ここにいるうちのクラスの人間だけのはず。なのに、一体どこから情報を…?
ぐるぐる頭を働かせていると、扉の隙間からチラチラと丸い影がこちらを窺っているいるのが目に入った。あのシルエットは…
「瀬尾くん!」
私が声をかけると、丸い影はびくりと震えて、それからおずおずと扉を開けて顔を覗かせた。何やら紙袋を抱えている。思ってもみなかった来訪者に、みんなは固まってしまった。
「招かれざる客だとは重々承知…いや、客ですらないな。とにかく、今日は著しく迷惑をかけて申し訳なかった。これ、良かったらみんなで…。」
「わぁーワッフル?うーまそー」
紙袋を受け取った吉田先生が、中身を覗いて呑気な声をあげる。
「学外に行くわけにはいかなかったので、模擬店のものを買い占めてきた。よければ食べてほしい。」
おお、買い占めるというワード、本物のお金持ちっぽい。
「佐渡…くん。」
「うん。」
名前を呼ばれて佐渡くんが歩み寄る。
「今日も、今までも、すまなかった。僕は自分を見失っていたようだ。焦って背伸びして、自分の不甲斐なさに苛立って、子供じみた八つ当たりを繰り返していた。…上に立つ人間として相応しいのは君の方だ。本当に、申し訳なかった。」
前髪が揺れて、丸い頭が深々と下がる。瀬尾くんの顔からは邪気が抜け、憑き物が落ちたようだった。
「許して欲しいとは思わない。もう不必要に関わったりしない。ただ、将来規模は違えど大きな力を約束された者同士として、皆に慕われる君の言動を今後参考にすることを許してもらえたら…」
「あっ、そのことなんだけど…」
「ん?」
しおらしい声音の瀬尾くんが顔を上げ首を傾げる。
「俺実は、石油王じゃないんだよね。」
「んッ?」
瀬尾くんの顔面パーツが中央に寄る。
「瀬尾くんを騙すことになってしまって、こちらこそ大変申し訳なく思ってるんだけど、俺、油田なんか持ってないんだ。普通の、平民の男子高校生。」
「んんん?」
「そういうわけなんで、申し訳なく思っている者同士、良かったら普通に仲良くしない?上に立つやら下に立つやら、力がどうのとかは置いといて。」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、瀬尾くんが吉田先生を見る。うんうんと先生が頷く。瀬尾くんが私を見る。うんうんと私が頷く。瀬尾くんが佐渡くんの後ろのクラスメイト達を見る。全員うんうんと頷く。
「本当に、油田、とは、縁もゆかりも…」
「ない。」
みんなに言われて口をあんぐりあけてしばらく放心していた瀬尾くんだったが、ようやく脳みそが動き出したのか、カッと顔を赤くした。
「やっぱりお前なんか、大嫌いだ!」
佐渡くんに向かって力一杯叫ぶと、転がるように教室から走り去ってしまった。
「瀬尾くんには、フラれちゃったかぁ。」
と、佐渡くんが頭をかく。その様子を見て、みんながわっと笑い出した。
「はいはいじゃあみんな集まってー写真とるぞー」
先生の掛け声でみんな黒板の前に集まる。こうして、私の一生の思い出に残る文化祭は幕を閉じた。
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