第7話 叫べ!体育大会

 一晩佐渡くんと同じ屋根の下で過ごしたと言っても、夏休みが終わり新学期が始まると、もう私は彼にとってただのクラスメイトのうちの1人でしかない。久々に会って、以前と変わらない挨拶をして、席に着くと、あの夜の出来事は夢だったんじゃないかとさえ思えてくる。変わらない距離感。いや、むしろ距離は休み明けに行われた席替えによって、物理的に随分広がってしまった。石油王は視界から消え、1番前の席になってしまった私の鼻先には無機質な黒板が広がるばかり。


「それってもう、告白するしかなくない?」

「えッ?!」

部活も終わり、私と千春ちゃんの他には誰もいない音楽室に素っ頓狂な声が響く。教室の鍵を指でくるくる回しながら千春ちゃんが続ける。

「だってさ、佐渡くんが好きで、見てるだけじゃ物足りなくなってきてて、もっとお喋りしたいってことでしょ?もうそれ解決策は付き合うしかなくない?」

流石にお泊まりイベントという大きな事件が起きてしまったら千春ちゃんに報告しないわけにはいかず、そこから芋づる式に私の佐渡くんへの好意は詳らかにされてしまった。今では千春ちゃんはすっかり私の相談役だ。

「いやいやでも、佐渡くんは石油王だし私とは住む世界が…」

「いやいやいや恋に油田は関係ない、でしょ?」

ちょっと名言風に千春ちゃんが言う。

「それにさ、女子の家に泊まるとか、絶対多少の下心あるでしょ!」

「ないないない!」

佐渡くんと下心なんて対極の存在だ。あの日だって特に何も起きなかったわけだし。

「いやぁ分からないよ?そもそも実希は佐渡くんを聖人化しすぎなんだよ。油田持ってるってだけで、ただの男子校生だからね?」

確かに身近に佐渡くんを御本尊として崇めている人がいるから、私も少し感覚が狂っている可能性はある。

「でも油田だからね?全てを凌駕する、油田だからね?」

私の言い分を聞くと千春ちゃんは大袈裟にため息をつく。

「いいじゃん油田持ってたってさ。別に結婚するわけじゃないし、学生の付き合った別れたなんて遊びの延長じゃん?気軽にアタックすりゃいいんだよ。」

「…じゃあ千春ちゃんも例の彼に気軽にアタックしなよ。」

「わ!たしのはまだ!恋未満というか、ちょっといいな〜って思ってる程度だから!」

「あっずるいー!」

千春ちゃんはまだ何も始まっていないからと、結局夏休みに浮上した彼については名前も教えてくれなかった。何か少しでも進展があれば必ず報告してくれるそうだが、なんだかずるい。ずるいんだけど、確かに千春ちゃんのいうことにも一理ある。

「じゃあ結婚するわけじゃないからということで一旦油田は置いておくとしても、佐渡くん、どんな可愛い子に告白されても一度も靡いたことないんだよ。勝算がなさすぎる…」

「いや、列をなして告白するような輩と実希の告白とでは重みが全く違うでしょ。それに実希が考えているように佐渡くんが聖人レベルで出来た人間なら、もし告白されて振ったとしてもその相手への態度変えたりしないよ。そもそも告白はされ慣れてるわけだし?ほぼノーリスクじゃん!」

そう言われると、段々そんな気もしてくる。そっか、重く考えすぎていたのかな。いつか、別れる時は…くるのだし…。

 私の顔を見て何を考えているのか察した千春ちゃんはまたため息をついた。

「暗い暗い。それにあくまで私の見解だけど、脈はあると思うんだよね。とするとよ?ワンチャンあるよ、石油王夫人。」

「ふエア?!と!とんでもない!万が一億が一そんなミラクル起きたとしても私には荷が重いし、私石油王の奥さんになりたいわけじゃなくて佐渡くんの奥さんになり…ッあああッ」

「そうかそうか、奥さんになりたいか。もうめっちゃ好きじゃん。」

「やめてぇ…」

穴があったら入りたい。もう重機で埋めて欲しい。

「まぁ、もしもそうなったとしても、色々大変ではありそうよね。お金の問題だけじゃなくて石油王って一夫多妻の国の人だしね。」

「うん…」

いつかアラビヤの国へ帰るのだとしたら。本当に好きだったら乗り越えらることも多いし、慣れたりもするのかもしれないけど、好きだからこそ耐えられないことも出てくる気がして怖い。ベールの向こうの油田世界は異世界すぎて想像もつかない。足がすくむ。まぁ何も始まってないのだから、こんなこと考えていること自体が馬鹿げているのは重々承知なのだけど。

「ま!今を楽しく生きるべきよ!私はいける気がする!まずは当たってみようぜ!」

「いけるとか言わないでぇ、変に意識しちゃうからぁ。」

 完全下校時間のチャイムの音が響いて、一旦話は打ち切られた。千春ちゃんと職員室に鍵を返しに行って、寮まで歩く間も、「告白」という新たな道に想いを馳せる。石油の黒い河は、飛び越えられるのかもしれない。いつか押し流されちゃうとしても、対岸に手を伸ばすくらいなら、許されるのかも。手を取るかどうか決めるのは、佐渡くんだ。一発河原、走ってみようか。



 


 とはいえ、口で言うのは易し、行うは難し。助走のタイミングも掴めぬままひと月がすぎ、10月に入ってしまった。体育大会の朝を迎え、列に並んで体操に精を出す佐渡くんの癖っ毛を後ろの方から眺めながら、河原の広大さを思う。もう、好きになれただけで幸せなんだと言う気がしてきた。お付き合いできたとしても最終ゴールが「素敵な思い出」ならば、無理に告白なんかしなくても、友達として、たくさん話せるように頑張るだけでも、きっといい思い出に…。


『パァン!』

 スターターピストルの音でハッと我に帰る。いけないまたぼんやり考え込んでしまっていた。自分の出番は今日の前半に全て終わったのですっかり気が緩んでしまう。バレーボールやバスケットボールなど、学校のあちこちで行われた各競技も終わり、みんなが中央グラウンドに集まって本日最後の競技、クラス対抗男女混合リレーを見守る。うちのクラスの代表には、我らが石油王が入っている。

「がんばれー!いけー!!」

みんなと声を出しながら、近づいてくる佐渡くんの出番に自然と鼓動が速くなる。今のところ順位は2位。次だ、いよいよ次…。

「いっけー!!油田の力見してやれーーーー!!」

誰よりも大きな応援の声は堀内くんだ。油田と脚の速さは関係ないと思うが、油田に何でもかんでも夢を託しがちな私たちは、佐渡くんならやれると心のどこかで信じてしまっている。

「がんばれ佐渡くんー!」

こんな時じゃないと、佐渡くんの名前を思う存分大声で叫んだりなんかできないので、私もここぞとばかりに声を出す。

「佐渡くーん!がんばれがんばれー!!」

好きな人の名前を口に出せるだけで胸がドキドキして、嬉しくなる。じっと見つめて、名前を叫んでも許される時間、幸せだ。

 佐渡くんの走りでかなり1位と肉迫したものの抜くには至らず、バトンはアンカーの、佐藤さんに託された。結果は。

「…はっや。」

思わずクラスのみんなが言葉を失うほどに、圧倒的スピードを見せた佐藤さんはあっという間に眼前の走者を抜き去り、ぶっちぎりの1位となった。のちに佐藤さんは語った。

「石油王直々のバトンを頂戴したからには、負けるわけには参りませんからね。石油王の威光を知らしめるためにも、不肖ながら誠心誠意、走らせていただきました。」

信仰を持つ者は、時に教祖以上にパワフルだ。


 体育大会で疲れた体を動かしてやる片付けは、とにかく億劫でしかない。みんな動きがのろのろと非常に遅い。うちのクラスは結局、総合2位だった。発表時はアー!とみんな悔しがったが、すぐにケロッとして雑談に花を咲かせていた。一方で隣のクラスは1位だったのだが、わっと喜びに湧き上がる中で、瀬尾くんが笑顔で手を叩き、みんなに向かって「素晴らしい」「素晴らしい」とうんうん頷きながら健闘を讃えている姿が見えて、少しびっくりしてしまった。手の叩き方やセリフが会社役員のおじさんみたいでおかしかったのは置いといて、そんな風に屈託なく笑えるんだと、いつも呪われたこけしみたいな顔しか見たことがなかったから、それなりに衝撃だった。金持ちとしての信条に揺れ、屈折した男心を持て余しているようには見えなかった。ニコニコしていれば、こけしだってそれなりに可愛く見えるのにな。

「舟越さん紐引きずってるよ。それ持つからこっち持って。」

急に声をかけられてびっくりして振り向くと、バトンの束を持った佐渡くんが駆け寄ってくるところだった。さっきまで頭の中でこけし顔を反芻していたものだから、直後に佐渡くんの顔を見ると、その濃淡の差に人類の多様性をまざまざと感じて眩しい。

「ありがとう、佐渡くんリレー早かったね。」

バレーネットを渡してバトンを受け取る。まさか佐渡くんの方から話しかけてくれるイベントが発生するとは。真面目に片付けに取り組んでよかった。体育倉庫までの道中、佐渡くんと並んで話ができるのかと思うと舞い上がってしまう自分を必死に落ち着かせる。

「やー佐藤さんには敵わないけどね。速すぎて思わず笑っちゃったよ俺。」

「確かに。みんな度肝抜かれてたね。」

二人で今日を振り返りながら、笑い合って歩く。できるだけのんびり歩いたつもりだったけど、無情にも体育倉庫はすぐに目の前に迫ってきてしまった。

「ネットありがとうね、意外と重かったから助かっちゃった。」

「いえいえ。リレーで沢山応援してくれたお礼。」

「えっ…もしかして私の声、聞こえてた?!」

「しっかり聞こえてたよ。舟越さんの声ってよく通るんだよ、さすがコーラス部。ありがとうね。」

うわぁ周りの応援の声に紛れて判別なんか不可能だと思ってた。なんだか恥ずかしい。

「クラスメイトとして当然のことをしたまででお礼なんてそんな!私なんかより佐渡くんは、こうやってネット運んでくれたし、自然に紳士的なことできちゃって本当に凄いなって思って、いつも感謝しかないというか!」

焦ると言葉数が多くなってしまう。余計なことを口走ってしまいそうで怖いけど止まらないんだから仕方ない。

「面白いし、でもなんか品があるし、佐渡くんみたいになれたらいいなぁって思うよ!」

倉庫の扉の前でひたすら称賛の言葉を必死に捲し立てて、なんだか出待ちのファンがアイドルに会った時みたいだなと、頭の中のやけに冷静なもう一人の自分が呟く。

「うーん舟越さんいつも褒めすぎなんだよ。本当俺そんな大したやつでも清廉な奴でもないし。」

立て付けの悪い扉を横に引っ張りながら佐渡くんが言う。

「何をおっしゃいます、みんなの中心になってるのに!」

「それは俺が油田を持っているからであって、舟越さんも一発替え歌をみんなの前でかませばあっという間に人気者だよ。」

「笑い者の間違いでは?」

バトンを棚にしまいながら答える。佐渡くんは先にネットをしまい終えて、倉庫入り口にのんびり寄りかかって待ってくれている。

「そんなことないよ、あーみんなにも舟越さんの面白さ分かってほしいのになぁ。」

「いいえいいえどうぞお気遣いなく。」

「あはははは」

高らかに笑った後、ふと佐渡くんが目線を落とした。

「謙遜とか冗談とかじゃなくね、多分本当の俺知ったらみんな幻滅するんじゃないかな。」

本当の佐渡くん?実は根暗で無理をしているとか?逆光になった佐渡くんの表情はここからではよく分からない。

「そんなことは…」

もしも今の佐渡くんは本来の顔じゃないのだとしても、根本の人間性は変わらないと思う。やっぱり佐渡くんはよく気がつくし、優しい人だと思う。なんと言って伝えようかと思いあぐねていると、先に佐渡くんが口を開いた。 

「俺は舟越さんの方が凄いし、優しいと思うよ?瀬尾くんに絡まれてる時とか、俺よりも悲しい顔してさ、親身に心配してくれたり怒ったりしてくれてるでしょ。俺自身は本当に平気ではあるんだけど、やっぱり心強いし嬉しかったんだよ。そんな風に人に寄り添えるって凄いと思ってる。逆になんだか俺より傷ついてるんじゃないかって心配になるけど。」

そんなこと思ってくれていたのか…。予想外の言葉に思考が固まってしまった。小心者で、人の悪意に臆病なだけだと思っていた自分の欠点を、長所のように褒められて価値観がぐらりとする。私が目をパチクリさせていると、いつになく真剣な顔をして佐渡くんが切り出した。

「…あのさ、実は俺…」

「こんなところでサボりかね。」

 突然割って入った声にビクリとして、佐渡くんが振り返る。慌てて私も倉庫の入り口まで出てくると、そこには三角コーンを山盛りのせた一輪車を押す、ふんぞり返った仏頂面の…瀬尾くんが立っていた。

 噂をすれば影とはよく言ったものだ。いや、瀬尾くんの場合は話をすると寄ってきてしまうという幽霊の方に近い。恐るべき、呪われたこけし。

「先ほどからずっとここで話し込んでいるようだが?今はお喋りの時間ではなく、後片付けの時間のはずなんだがな。ここは君の宮殿ではないんだよ。」 

私もいて私もずっと喋っていたわけなのに、見事にシカトだ。相変わらず標的は佐渡くんただ一人、ということらしい。

「ごめんごめん、すぐ退散するよ。あ、良かったら手伝おうか?」

「ふん、結構だ。そんなことをしたところで僕は君を認めたりはしない。仲間をまとめ上げて今日の大会でクラスを1位に導いたりしたというなら話は別だったがな。」

本当に瀬尾くんは佐渡くんに一体何を求めているんだろう。大体瀬尾くんのクラスが1位になったのは別に瀬尾くんの導きがあったからではないし、勝手にリーダーシップ対決にしないでほしい。

「はは、1位にはなれなかったけど楽しかったな、俺は。」

「楽しいばかりとは、能天気なことだ。責任感というものはないのかね。そんなことでは将来が思いやられる。一人一人が模範的な行動を取ることで、強固で堅実な組織が形作られるのだ。」

「俺の将来をいつも心配してくれてありがとね。」

こんな意味のわからない言葉にお礼を言う必要なんてないのに。佐渡くんはニコニコしているけれど、私は心臓がどくどくいって耳が痛かった。勝手なことばっかり…

「まったく…多くを持つ者は、より多くを学び吸収し、視野を広く持って、その力の使い所を見極めなければならないと言うのに、君はそんな風にヘラヘラしてばかりで恥ずかしくないのかね。この学生生活をのんびりただただ満喫している暇は…」

本当にもう、勝手なことばっかり言って!

「佐渡くんは怠け者でもないし、誠実な人だよ!」

私が急に大きな声を出したので、瀬尾くんは言葉を飲み込み、細い目を見開いた。初めて私がここにいることを認識したみたいな顔をしている。

「佐渡くんとちゃんと向き合ってみたら分かるよ!ちゃんと佐渡くんのことを知ったらそんな風に言えるはずない。その人を色んな方向から見ることができずに、一方的に理想を押し付けて文句ばっかり言うのは、それこそ将来人の上に立ちうる人間として、どうかと、思い、ます。」

言っちゃった。今まで溜まっていた瀬尾くんへの不満が爆発してしまった。耳が、鼻の奥が、熱い。さっき佐渡くんに、寄り添ってくれて嬉しかったと言われて、寄り添うだけだじゃなくてもっと力になれたらいいのにと思った。佐渡くんの良いところを、もっとちゃんと知ってほしい。そう思ったら、いつも胸の中でぐるぐる回るばかりだった気持ちが言葉になって飛び出していった。

 完全なる不意打ちを予期せぬ方向から喰らった瀬尾くんは、二の句も継げずに真一文字に小さな唇を結んでじっと私を見ている。

「よし、そろそろ俺も真面目に働かないとね。本当に手伝いは」

「いらん。」

短く瀬尾くんが答える。

「じゃあ俺たち戻るね。舟越さん行こう。」     

佐渡くんに手を引かれてその場を離れる。

「ありがとう。嬉しかったよ。無理させてごめんね。」

佐渡くんが優しく囁く。そこで初めて自分の目に溢れ出しそうな涙が浮かんでいることに気がつく。

「俺のために怒ってくれてありがとう。自分のせいで泣かせちゃったのに嬉しいなんて、無責任かな。でも嬉しかったんだ。ありがとう。…ごめんね。」

何度も何度もお礼を言われて、謝らせてしまった。もっと私に度胸があったらな。さっき勇気を使い果たした私は、肝心の佐渡くんへは気の利いたことは何も言えずに、手を引かれるままに佐渡くんの後ろを歩いた。

 私が落ち着くまで遠回りをしてクラスの輪に戻ってくれたのだが、迎えてくれた友達は私の目が赤いことにすぐ気がついた。何があったかうまく説明できずしどろもどろになっていると、佐渡くんは

「ごめん、俺の睫毛が長いばっかりに風を起こしてしまったみたいで。砂が目に入っちゃったんだ…。」

と、大真面目な顔で言い、これには私まで吹き出してしまった。結局目にゴミが入ったと言うことでそれ以上詮索を受けることもなく、私のことも笑顔にして、佐渡くんは男子の中へ去っていった。人を笑顔にできる人は、やっぱり素敵な人だ。私もそんな人に、いつかなれたらいいな。そして1番に佐渡くんを笑顔にできたら、きっととても幸せだろうなと思う。

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