除夜の鐘とともに…

夏風邪

こうして夜も更けていく





「さてさてみなさん。今年もこの時期がやってまいりました」



 小さなちゃぶ台の中心に置かれるは、ひとつのカップ麺。

 緑のパッケージが特徴的なそれ。名を『緑のたぬき』という。


 それを取り囲むのは四人の男たち。


 雪がちらつく寒い外とは対照的に、この部屋だけは確かな熱気で満たされていた。


 ぐぅぅと鳴る腹の虫を年中飼い殺す男たちは、それぞれがそれぞれに目を血走らせる。

 彼らの熱視線を一身に受ける小さなカップ麺は可哀想としか言いようがない。


 すでに封は切られた。

 湯も注がれた。

 あとはそれを待つ三分の間、飢えに飢えた野郎共の食奪戦争が繰り広げられるだけだ。


「まずはそれぞれの取り分を決めようか。仲良く四等分するか。もしくは麺、かき揚げ、スープ、匂いの四つに分割するかだね」


「いやちょっと待て。すべてが不公平なうえに匂いだけとかありえねえだろ」


「そうだな。せめて麺一本くらいはやるべきだ」


「いやそれも違ェよバカ」


 眼鏡の提案に真っ先にツッコんだ赤髪は、続いてささやかな慈悲を垂らす黒髪の頭をスパンッと叩いた。


「…ったく、お前はなにがそんなに不満なんだよ」


「じゃあ逆に訊くけどな。テメェは美味そうに麺啜ってるヤツの隣で匂いだけで満足できんのか? かき揚げ食って満足か? 絶対麺担当のヤツ殴り飛ばしたくなんぞ」


「これだから喧嘩っ早いやつは困る。俺なら真正面から奪い取るけどな」


「暴力となにも変わんねえだろうがよ」


「よし、わかった。ならやっぱりここは平和的に四等分でいこう。それなら文句ないでしょ」


 皆が皆、本心では独り占めにしたいと考えている。

 空腹に支配された血気盛んな男たちとしては当然の思考回路だ。


 しかし、そうしたところで成人男子の食べ盛りの胃袋は満たされないうえに、それ以降、この一件が原因で他の面々からのたかりに遭う可能性がある。


 渋々ながらもここは仲良く分けるのが得策だと理解していた。



 そんな中で、やはりというかもはや職人技とでもいうべきか。

 纏まりかけた場をさらに乱して愉しむ厄介な男がいたことを忘れてはならない。


「異議あーり」


 ピン、と天井に向けて手を伸ばしたのは、これまでニヤニヤしながら状況を見守っていたスウェット姿の男だ。

 もうすぐ日も超えるというのに、朝からこさえた寝癖が今もなお元気に跳ねている。


「よく考えてみて。俺は六十五円出したんだよ。一番金を出したやつに多く分け与えられるのが”平等”ってやつじゃねぇの?」


「おまっ、確かにテメエが一番出したよありがとなっ! けど纏まりかけた話をややこしくしてんじゃねえよコラ」


「ちゃんとお礼は言うんだね」


「律儀だな」


「うっせえわ野郎ども」


「てことでこれは俺がもらうから」

 

 ちゃぶ台の中心に置かれた容器を自分の前に引き寄せる寝癖男。

 その手を掴んで必死に阻止しようとする赤髪の腕を、さらに黒髪が掴んで阻止しようとしている。


「待て待て待て。落ち着けお前ら。これ絶対ぶちまけるやつだろ。俺らの晩飯なくなるやつだから」


「これ逃したら僕たち、次はいつまともなご飯食べれるかわかんないもんね」


「あははは」


 ガタガタとちゃぶ台が揺れる。

 半分開いた容器の中からはちゃぷんちゃぷんと湯が飛び出てくる。


 そんな大惨事一歩手前の状況下においても、これを引き起こした元凶とも言える寝癖男は呑気に笑う。

 それを見て赤髪がさらに舌を打った。


「お前なあ! どうせ独り占めする気なんぞねえクセに、毎度毎度ムダに絡んでくんじゃねえよアホがっ!!」


「そっちの方が面白いだろ?」


「普通に飯食わせろや!!」


 もはや彼らにとっての恒例となりつつある、まともな食事を前にした時の一悶着。

 ハナから彼らには互いを出し抜こうとする悪意なんてものはなく、だいたい毎回同じ着地点に落ち着くのだが。

 

 その前には必ずと言っていいほど、無駄な茶番が繰り広げられるのもいつものことだった。


「よしわかった。じゃあ今度俺の講義ノート貸してやっから。レポート課題も手伝ってやっから。たぬきさんだけは等分しようぜ」


「んー、別にオマエに手伝ってもらわなくてもなぁ」


「僕たちの中で一番馬鹿なのお前じゃん」


「手伝ってくださいって泣きついてくんのはお前だろ」


「……いや、まあ、そうだけど。そうだけど! なにも集中砲火しなくてもいいんじゃないっスかね…」


 痛いところを突かれて唇を尖らせた赤髪がそろりと目を逸らした。

 その隙を見逃さなかった寝癖男は、華麗に赤髪の手を躱し、ひょいっとカップを持ち上げた。



───ピピピピピピピ。



 そこでちょうどタイミングよくタイマーが鳴った。

 湯を注いでからきっかり三分。食べごろだ。


 ぺりぺりと蓋を剥がしてそのまま眼鏡に容器を渡す。

 眼鏡はざっとかき混ぜてから、手際よく四つのお椀に配分していく。

 黒髪は冷蔵庫からお茶を取り出してそれぞれコップに注ぐ。


 放置されて不貞腐れ気味の赤髪はちゃぶ台に突っ伏していたが、目の前に湯気の立つお椀を置かれれば、すぐさま目を輝かせて復活した。


 先ほどまでの言い合いはなんだったのか。

 三分経てば彼らの間に争いの空気はなくなる。


 出来立てを美味しく食べたいという絶対的な食欲を前に、彼らはこうもたやすく一致団結するのだ。


「はいみんな今年もお疲れ」


「とりあえず今年は生きてたな」


「来年も食いっぱぐれないように頑張ろうぜ」


「いただきまーす」


「おいこらフライング」


 四人揃って両手を合わせて、この瞬間にもご飯を食べられることに感謝する。

 今年を無事に終えられたことと、願わくば来年の今頃は二食分手に入れられることを祈って。



「「「「いただきます」」」」



 室内の熱気でわずかに曇った窓の外からは、もう直ぐ除夜の鐘が聞こえてくることだろう。

 百八個の煩悩どころかその日の食欲を満たすことも難しい彼らは、今日も今日とて一杯の温かい蕎麦に幸せを抱く。


 こうして今年も無事に年を越す──。










───ピンポーン。



「メリークリスマス。貧乏学生ども」


 四等分された蕎麦の汁まで飲みきったところで、ボロアパートの扉が開かれた。


 入ってきたのはこの部屋のもう一人の住人。

 と言っても、この男には豪華な自宅が別にあり、ここには友人の家に遊びにいく感覚で入り浸っているだけなのだが。


「日にちを考えろや似非サンタ」


「大晦日ぼっち? 寂しいやつ」


「年越しディナーは済んだのかよ」


「めりーくりすまーす」


「おいおい俺にそんなこと言っていいのかよ? お前らにプレゼントだぜ」


 ぽいぽいとちゃぶ台に置かれたのは、今まで彼らが食べていたよく見慣れたパッケージの容器。

 小さなちゃぶ台の上は、似非サンタが持ってきたそれですぐに埋め尽くされた。


「どうせお前らまだ腹ペコなんだろ?」


 案の定、彼らの腹はまだ鳴っていた。

 空腹のところで少し食べるとさらに腹は減る。


 大きく目を見開いて両手いっぱいに『緑のたぬき』を抱えた彼ら。

 やがてわなわなと震え出す。今にも感激の涙が溢れてきそうだ。


「おま……おまっ、…」


「ありがとうサンタ」


「いい仕事しやがんな」


「はっぴーハロウィーン」


「…けど来んのが遅ぇよ! 今までの茶番はなんだったんだコルァァアア!!」



 こうして苦学生四人にどこぞのサンタを交えた愉快な大学生たちは、せっせと湯を沸かし腹一杯に蕎麦を啜る。


 除夜の鐘をもかき消すほどにワイワイガヤガヤと騒いでいたら、いつのまにか年を越していたのだとさ───。







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除夜の鐘とともに… 夏風邪 @natsukaze_shiki

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