同伴者

川谷パルテノン

駅にて

 娘と久々に会う。昨今の流行り病ですっかり顔を合わさなくなっていた。最後に会ったのは彼女の結婚式。そう考えるとずいぶん月日が経っていた。

 娘が産まれてすぐのことだ。彼女は私たち夫婦にとって天使である。だから突然の高熱に慌てふためいた。今でも原因はよくわからなくて、病院で薬を投与してもらってなんとか落ち着いたけれど、彼女が何か得体の知れない病に罹っているのではないかと気が気でなかった。そんな心配をよそに、娘はすくすくと育った。同じ屋根の下で暮らせば喧嘩することもしばしばあったけれど、私にとってはその普通さがどれも幸せだった。彼女が大学を卒業して家を出て行く日、夫は落ち込んで渦潮の如く顔を歪めてしまっていた分、私は明るく見送ってやろうと意地を張って笑った。そこは血を分けた間柄とでもいうのか、彼女は私の心情もわかって優しい言葉を私たち夫婦に残してくれるので結局私も耐えきれなかった。そんなふうに別々に暮らすようになった後でも何度か彼女に会いに行っては世話を焼くなと追い返されたりして、小さな幸せを積み重ねる日々の先で娘は愛する人と出会い、共に歩んでいくことを決めた。

 娘の結婚式。夫はしょげて月のクレーターの如く凹んでしまった分、私は明るく見送ってやろうと彼女たちの幸せを願っていたが、いわゆる「お母さんへ」で顔面崩壊した。私たちが与えてきたもの、そして私たちが気づかないところで育んできたもの、そんな全部を詰め込んだ温かい言葉にはナイテマウヤロ酋長も雄叫びをあげて部族の戦士を鼓舞せずにはいられなかったのである。

 そんな世界中の大好きを全部集めた門出を過ぎた以来、中々会えずに今日に至った。駅の改札を抜けて娘が此方に手を振る傍らには彼女のパートナー、ケンイチくん……ケンイチくん?

「お母さん久しぶり」

 眩しいほどに笑う娘に対して私は戸惑っていた。娘の隣に知らん男が立っていたからだ。

「えっと、私のママです。で、こちらは何者でもない人」

「どうもお母さんはじめまして。何者でもない者です」

「はじめまして。え? じゃなしに、えっとその」

「じゃあ行こっか」

 

 行こっか、じゃなしに待て待て待てどゆことー!? 誰! 何者でもない? はあ? 何を言っているのお前たちは? ケンイチくんはどうしたの? 誰よこの男!


「あの、ミサキ? ちょっといい?」

「何? お母さん」

「そのー、少し整理したいんだけれどこの方は?」

「何者でもない人だよ。言ったじゃん」

「いや、そこがわからんのでして。ケンイチくんは?」

「今日は仕事だって。お母さんにはよろしく伝えてって」

「そやなしに! そやなしにねミサキ。ケンイチくんはこの方をご存知なの? ここに二人で来てるって知ってるのよね?」

「え、言ってないけど」

「言ってないーーーッ! ちょっとそれはまずいんじゃないの」

「大丈夫だよ。だってこの人、何者でもないから」

「パーーァドゥン!? 大丈夫とは! 大丈夫! とは!?」

「もうおっきな声出さないでよ。彼も戸惑ってんじゃん」

「僕は大丈夫です」

「お前は黙っとれ! ミサキ! あんたね、私はアンタがそんなどこぞの誰とも知らぬ男を連れ回すような子に育てたつもりはないわよ!」

「何よ! 突然キレちゃって! だからこの人は何者でもないってば!」

「だからその何者でもないってなんやねんて言ってるんでしょが! ふわふわすんな!」

「何者でもないんだから何者でもないのよ! 何者かであるなら何者であると名を名乗るわよ。でも何者でもないから何者でもないでいいでしょ何者でもないんだから! 何かおかしなこと言ってる私?」

「お母さん、ぜーーんぶおかしいと思っています。じゃあとりあえずこの何者でもない人は置いといて、あんた達どういう関係?」

「何者でもない人との関係なんて特にないよ。何者でもないんだから。何回言わせんのよ」

「何回聞いてもわかんないのよ! じゃあナゼいる!? ナゼきた!? 何者でもないのに!」

「あのねお母さん。めくじら立てないでよ。何者でもない人はどこにでもいるでしょう。お母さん、あの人知ってる? あの人は? そこの人は? 知らないよね? じゃあお母さんは何? 周囲の誰しもが何かでなくちゃ気が済まないってわけ?」

「何者でもないのに強烈に存在感があるから私は聞いてんのよ! あの知らない人達はわざわざ何者でもありませんなんて名乗りでないから何者でもないのよ。どうも、何者でもない者ですはわからん!!」

「平行線だね。私、お母さんがこんなわからず屋だったなんて思わなかった。お父さんに会いに行けばよかった」

「お父さんなら今頃この何者でもない人は人でもなくなってたわよ! とにかく、私は認めませんからね。意味わかんないわよ。この人が一緒に行くなら私は帰ります」

「いいよもう。じゃあ帰ろっか」

「待て待て待て待て。帰りも一緒はもう何者かであるだろ!」

「何者でもないってば! しつこいよ!」

「どうすればいい? 僕はどうすれば?」

「ややこしいから黙っとれて! ミサキ。すぐ別れなさい。別々に帰りなさい。じゃないとお母さんおかしくなりそうよ」

「あ、そう。もういい! お母さんとはもう二度と会わないから! じゃあね!」


 去り際の娘は涙を溜めていた。何がそこまでそうさせるのか。私は何か間違っていたのだろうか。何者でもない者とはなんなのか。人はどこから来てどこへ行くのか。生きとし生けるものその全ての安寧は何処にあるのか。駅の改札を行き交う人々の波は私の思慮を飲み込むように絶えず流れ続けて、やがて私というちっぽけな存在を何者でもなくなるように洗い流して行った。蕎麦食べて帰るか。

「お母さん」

「あなたまだいたの」

「僕はどうすれば」

「……とりあえず、ウチにいらっしゃい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同伴者 川谷パルテノン @pefnk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る