第九章ノ1 拳骨坊や

「こら!何をしておるか!席に着かんと魔法で空まで放り投げるぞ!」

「ちょっと!どこ行くの?ちゃんと話し聞いて!おまさちゃん!お友達を叩かないの!」

 政策立案自体は何の問題もなかった。しかし教育現場などはいつだってこの調子だ。さすがの校長も魔法の力で体力を増進していなければこの歳でこの低学年、この統制の取れない子供の面倒を見るのは厳しかっただろう。

 生徒の人数が少なかったので2学年、3学年を同時に授業を行う。離島や過疎地などでよく行われている授業形態だ。その道のプロである校長で無いとこんな事は出来なかっただろう。

 やはり子供と直に接するとその社会の問題はよく見えてくる。暴力的な子供は大抵、家庭でも暴力を受けている。それに対して、全く暴力のない家庭で育った子供はどうしても引っ込み思案になりがちになる。

 昔の価値観では、こういう時、正しいのは多少暴力的でも元気のある子供で、引っ込み思案になる子供の方が教師から見過ごされる事が多かった。

 校長は体罰容認はではあるが、それはこういう時に暴力的な子供の方をどうにかするためであって、無闇に統制する為ではない。しかし、この教育現場において体罰をどうするかという事は常に聡祉達の間でも明確なコンセンサスは取れていない。

 校長は魔法で体の動きを止める事もできるが、それは教育手段としては行わないと決めていた。

 集落の全員に面通しが終わり、聡祉が立案した政策が実行されてから2週間が過ぎたある日のことである。

 ある男の子が瑛里華の顔面を強く殴ったのである。

 いくらこの世界で一応の訓練を受けているとはいえ、瑛里華は格闘技などやった事もないし、学年が今でいう小学校6年生くらいだとはいえ男の子なのでかなりの力があった。

 瑛里華も油断していたし、常に防御の魔法を使っているとアニマを消費するのでこの時は無防備だった。

 この子供は父親が1年ほど前に死んでいるが、その父親が幕末から来た名うてのヤクザだったため、気性が荒いのだ。親分としては立派な評判が立った男だったが昔の男なので口よりも先に手が出るのが当たり前、男の子は喧嘩が強くなくては行けない、女は三歩下がるという育て方をされた上に、本人も子供もディス・アニマに汚染されている状態で昨年まで父と母、この子と三人で生活していた。

 父親が死んでからは母親と子供二人だけで暮らしていた。この世界では食糧生産に余裕があるのと家族制度が半ば崩壊しているので、返って女性同士の相互扶助が働いており、最低限の生活は出来ている。

 しかしやはり集団の地位というのは様々なところで本人達に影響が出てくる物で、例えば子供の七五三のお祝いの品の質から近所の人たちの目線など、大人なら耐えられそうな事が、子供には長期的な影響を与えたりもする。

 中でも武士であったもののやくざ者へ対する態度は現代人である聡祉達の常識を超えていた。

 そもそも、集落内でも、格式高い武士であったものとそれ以外のものは別の場所に暮らしている。戦国時代から来た者たちが魔法が使えない現在において一番肉体的な強さに優れているので、他の者たちよりも高い地位に付きやすい。総勢20名程いる彼らは弓と槍の使い方に彼らは一日の長があるので戦闘でも狩でも優位性があるのだ。彼らはヤクザ者など戦場の下っ端かゴロツキとしか考えていない。

 江戸時代中頃から来た武士とその妻、下女などを含めた男女ほぼ同数、総勢20名程の一団は、戦国時代よりも硬直した身分制で育ってきたので、やくざ者へ対する態度はもっと苛烈だった。そもそもやくざ者やその身内には家の敷居を跨がせなかったし、聡祉達魔法が使える者達の命令なので仕方なく従っているが、全員を一律同じ場所で教育するという事に一番反対していたのがこの一団だった。

 江戸時代後期から来た火消しの10名程の一団があり、彼らはどの集団に対しても分け隔てがなかった。彼らは公儀に仕える者であるが侍ではないので、その辺りの接し方が分かっているし、武士階級も一目置くのだ。

 火消しの一団10名余りと一緒に転生してきた元遊女五人がおり彼女達は、元は武家の生まれで吉原で火災があった際に三回建ての建物が倒壊し、そこに火消しと一緒に巻き込まれたらしい。基本的な教養があり身分に拘らないので彼女達は話がしやすかった。

 この集落での女性の大半を占めている20名ほどの女性は、どうやら島原の乱で死亡したキリシタンの女性達であるとの事だった。共に転生してきた司祭の男性数名と時折ミサを行なっている。この瑛里華を殴った子供の母親もそのうちの一人だ。そこが余計に、徳川幕府の治世からきた者には疎ましいのだ。この点を巡って、子供の父親と母親の間でも確執があったようだ。

 幕末に政府側が博徒を動員して臨時の軍隊にした事がある。鳥羽伏見の戦いなどでこの部隊は活躍したが、子供の父親はこの中から来たという事だ。総勢10名程。気性が荒く、実戦を知っている上に、自分たちは幕府に協力し士分に取り立てられたと思っているので他の武士とは相性が悪い。江戸時代から来た武士などは後の時代にそんな事が起きるとは信じられないので鼻から彼らの言い分を信じない。 

 第二次世界大戦中の戦艦から転生してきた10名ほどの者たちもいた。彼らの内三人はパイロット、残りは船内任務だった。彼らは良識もあり、近代教育を受けているので聡祉達が一番接しやすかった。汚染も比較的進んでいないので、まずは何事も彼らに相談する事が多かった。

 まずはコミュニティーにおいて自分たちに味方してくれそうな相手を探す事が第一になるからだ。

 さて、件の瑛里華を殴った子供の母親は隠れキリシタンであったとの事であるが、普段は主に農作業に従事している。いつの時代も日々の細かな仕事は女が担い、たまの力仕事は男がやるというのが農業のあり方のようだ。特に稲作では必要な人数が少ない為、こうなりやすい。真面目な働き者で女性たちのコミュニテーでも中心核であった。性格も穏やかで信心深く、キリスト教の価値観を直接スペイン人から教わった為、聡祉たち現代人と価値観が近い。

 しかし、子育ては主に父親が属するヤクザ集団が担っていたらしく、とにかく男は勢いと度胸さえあればそれで良いと教えられている。幕末にありがちな事であるが、女と子供は殴って躾けるのが当たり前だという価値観で12年間生きてきた。主に父親がいたヤクザ集団の中で生活しているらしい。食事もどうやら男たちの中で食事番がいるらしく、その男が主に作っている。つまり、女性の集団と接する事が物心ついてからあまり無かった。

 この隠れキリシタンの集団は、江戸時代からきた集団とはやはり折り合いが悪く、江戸時代中期からきた武士達の下女や女房などからも距離があった。この女性集団と一番距離が近かったのは第二次世界大戦中から転生してきた集団で、男手が必要な時は彼らが主にこの女性集団と接していたが、どうやらそれがヤクザ者には面白くなかったらしい。

 戦国時代からきた集団は既に中年に刺しかかているので性格も落ち着きつつあるが、幕末のヤクザ者と江戸初期の隠れキリシタンとはこの異世界の時間では精々7、8年程のタイムラグしかなく、帝国海軍の面々と幕末の面々のタイムラグはこの世界では2年程だった。ヤクザものと隠れキリシタンの女性たちは日陰者同士うまくやっていけそうにみえたが、キリシタンの女性たちは信仰にこだわりを見せ、やくざ者とは相いれなかった。そこを後から来た帝国海軍の一部隊は、現代人なのでキリスト教に理解があり、幕末のヤクザから見て、後から来た若造が達が女を独り占めしているように見えたらしく、一時期はかなり険悪であったらしい。しかし、一番直近まで魔法が使えたのはこの帝国海軍軍人達だったので、権力関係としては安定していた。しかしそんな事でただ大人しくしているヤクザ者であるはずがなく、どうやら隙を見て女性と関係する事があったらしい。その結果生まれたのは例の暴れん坊、その名を「一太郎」、あだ名を「拳骨一太郎」、略して「ゲンイチ」、という次第である。

 男と女が共に暮らせば当然、関係の結果として子供が生まれる事はあり、それはそれとして集団の中では受け入れられていたが、この女性は異教徒とは結婚してはならないという戒律をかなり厳密に守っていたらしく、妊娠した経緯も、どこまで本位であったかは皆が怪しんだ。

 従って当然、周囲の子供達から「妾腹」だの「無理やりっ子」だの「お手つき」という心無い揶揄をされて育ったが、父親といえば本人からしてヤクザなので、その程度の逆境は自分で乗り越えて当然であると考えており、その二つ名が示す通り、気に入らなければ拳骨で片をつけろと言われて育ってきた。

 瑛里華が殴られて時、近くには聡祉と哲也しかいなかった。校長がいなかったので直ちに指導が入る事は無かった。まずは子供と瑛里華を引き離して瑛里華のケアーをするのが精一杯だった。哲也が子供を引き離し、一時的にその場から隔離した。まだ校舎が出来上がっていないので青空教室で授業を行っている。一時的な配慮として少し場所を離す事しか出来なかった。

 「大丈夫?今回復魔法使うから。」

 「ありがとう。でも大丈夫。自分で回復できるから。」

 「無理しないほうがいいよ。こういう時は誰かにケアーしてもらった方がいいんだよ。」

 「そうだね。ありがとう。」

 こういった会話をしながら聡祉は瑛里華の精神的なケアーに当たっていた。

 哲也が少し離れた場所で子供に説き聞かせようとしていたが、聡祉が遠目に見たところでは上手くいっていないらしい。価値観が違う現代人など、幕末のヤクザに育てられた子供には半人前の男にか見えなかった。男が一人前であると言う事は気迫と度胸で判断される。そう育てられて来たのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る