第七章 異世界との邂逅

 聡祉は突然、意識というか記憶が移り変わった様な不思議な感覚を感じた。気が付いた時は、というべきか、突然、草原の中に一人で座っていたのだ。心地よい風が辺りの草花を揺らし、そこかしこに見慣れない植物や鉱物が見える。

 これは一体どうした事か。確か自分は父の容体が変わった事を聞いて、哲也と秀樹が立案したシンポジウムの打ち上げを少し早めに切り上げて、埼玉のバイパスに出ようとしていた辺りだった。

 そのあとに事故に遭った事は記憶にある。それでいてしばらくの間の記憶がないという事は、おそらく急性のショックによって記憶が飛んだのだろう。昔、剣道の先輩が頭を強く打ち、そのまま試合に勝って帰りの電車の中で突然、「お前ら今何してるの?」と聞いてきた事があった。

 外傷性ショックによって一時的に記憶の連続性を失っても、判断力を失っていない状態に陥る事がある。周囲は本人が普通に受け答えをするのでそれが記憶障害だとは気がつかないが、本人だけが記憶の連続性を失っている場合である。

 そうであるとすると、少々困った事になる。父に緊急事態があり、自分は病院に向かっていたはずだ。現在、自分が入院していないとなると自分は軽傷であるはずだ。だとすると、父の容体や、もしかすると遺言の様な重要な情報を自分はその時受け答えをして、何か意思表示したにも関わらず、それを覚えていない可能性がある。そうだとすると、政治家の息子としては厄介だ。

 出来ればこの事を誰にも悟られない方が良いだろう。今、自分は一人ではないはずだ。一人でこんな自然公園の様な場所には来るはずがない。

 そう思って周りを注意深く見渡すと、遠くにアトラクションの様な物が見える。女性の声や男性の声で何か大きな声で叫んでおり、その反対側には動物や蟹やサソリの様なオブジェが見える。

 おそらくヒーローショーの様なものをやっているのだろう。ではそちらに行けば多少の状況は分かるだろう。

 そうして聡祉はそのヒーローショーのあたりに近づいた。

 やけにリアルなヒーローショーだ。そもそもオブジェだと思っていたものはちゃんと動いている。アメリカでリアルに動く機械仕掛けの恐竜ショーがある。成る程、日本人はそこまで恐竜が好きではないので、ファンタジー世界のモンスターの様なデザインでこの技術を使った訳か。よく考えたビジネスだ。

 地方の観光業はかつて、バブル崩壊と共に再起不能の痛手を受け、地方に廃虚と化したレジャーランドや「〜の原宿」といった場所はいくつもある。温泉街丸ごと痛手を被っている所もある。

 特に、バブル期に人口動態の急激な変化で地方の鉄道会社の経営不振を打開しようと、「第三セクター」の名の下に鉄道会社と国が共同で行った地方再生のプロジェクトは見るも無残な失敗で終わった所が多かった。鉄道会社がレジャーランドやお土産物屋などを経営し、レジャーブームの時代は上手くいっていたが、バブル崩壊と共にみるみるうちに経営不振に陥り、国家財政に不良債権の山を築いた。ただ、現在、地方の「イベント列車」などはこの時の事業体が引き継いでいる所もあり、「レオマワールド」などは民間資本で経営再建を果たしている。

 当時、日本全体が今から比べるとコンテンツの量が少なかったと言える状態であったし、インターネットのない時代、コンテンツを届ける方法は限られていた。90年代にそんな事に気がつく人間がいるわけが無かった。

 聡祉はこの見事なオブジェと派手な立ち回りのヒーローショーを見ながら、政治家になる上で何を考えるべきかという事に頭を働かせていた。技術の進歩によりかつて程大規模な投資を行わなくても見栄えのあるショーをできる様になった。それこそイベント列車等は、多少著作権絡みの事がどうにかなれば大した金など掛からないだろう。今、目の前で見ているファンタジー戦闘ヒーローショーもそうだ。中身の器械なら再利用なり資源にバラすなどすれば必要なくなった時もそこまでロスはしない。この手のヒーローショーに出たがる俳優というものはいつでもいるものだ。

 「俳優?」俳優という言葉が頭の中に浮かんだ事で初めて聡祉はファンタジーヒーローショーの俳優の顔を見た。何やら顔に見覚えがあるような気もする。

 一番近い位置に、魔法使い役の俳優がいる。初老だが中々良く通る高い声だ。

 高い声?

 何やら聞き覚えがある声だ。それもついさっきまで聞いていた気がする。

 それにやけに芝居掛かったこの言い方は覚えがある。

「吹けよ風の結晶よ!舞うが良い竜巻の踊り子よ!」

 微妙に文学的な呪文の詠唱だ。聡祉はファンタジー物に詳しく無かったので何のアニメかは分からなかった。

「ハイリゲス・リヒト!」

 「聖なる光」という意味のドイツ語が聞こえてきた。聡祉は南塚教授から直々にドイツ語を習ったのでドイツ語は得意な方だった。よく発音の練習に付き合ってくれたものだ。

 教授のドイツ語?

 何やら聞き覚えのあるアクセントだ。確か教授のアクセントはアルザスだかロレーヌの癖があった気がする。子供の頃、親の都合でその辺りに住んでいたらしく、自分のドイツ語には癖がある。今でもたまに出てくると、標準ドイツ語との違いを教えてくれたものだ。

 もしかしたらこのドイツ語は教授が監修をしたのではないだろうか。語学関係の仕事を教授は度々引き受けている。語学は得意だと言っていた。

 取り込み中の俳優に状況を聞くのは良くないだろう。

 それに、自分は記憶と意識を失っていると周りに悟られるのはまずい。母にだけそっと教えるべきだ。したがって誰に何を聞くにも言い方と質問の内容を吟味しなくてはならない。

 こういうイベントには必ず、その世界観に相応しい案内係の様な者がいる。下手に聞くと、ファンタジー世界の事を答えてくるかもしれない。「ここはどこですか?」などと聞いても「多分、この人は世界に染まりたいんだ。」などと思われて「〜王国の外れの戦場です。あなたも戦ってください。」などと言われかねない。

 エルフ役と思われる女性が特に仕事もなさそうに見ていたので、この女性が案内役であると考え聡祉は声をかけた。

「あのぅ。」

「はい。」

 若干頼りない声になってしまったのは否めなかった。聡祉はこの状況でもっとも効果的に情報を収集できてしかも誰にも聡祉の意識消失を気取られない質問を考えた。

「ここから西武線に乗るにはどうしたらいいですか?」

「??」

 エルフ役の女性がキョトンとしている。

 なぜだろう?ここは埼玉辺りではないのか?父の状況がそこまで深刻では無いにしても、東京から遠く離れるという事はないだろう。千葉には知り合いはいない。神奈川にしては辺鄙すぎるし、北関東までは滅多に行かないだろう。

 もしかしてここは、東武東上線沿いなのか?だとしたら西武線に乗り換えるのは手間がかかる。聡祉は国立に住んでいたので、この辺りはおそらく西武線か中央本線、あるいはその周辺の路線だろうと考えた。大体どの路線も国分寺あたりで西武線か中央線に接続する。しかし、飯能か秩父当たりだろうと聡祉は考えた。中央線沿いの田舎はもっと山が近い。やはりここは西武線沿いか東上線沿いだろう。

「聡祉くん?気がついたの?良かった、見つかって。ごめんね、あとで説明するけど、ここは埼玉じゃないの。北関東でもなしい千葉でもないの。あとで説明するから、しばらくあそこのバリアの中に入ってて。」

 浦上瑛里華?がなぜ大剣を持ってビキニアーマーを着ているのだ。

 彼女は自分へ対する用件が済むと、「フライ・ハイ!」と威勢良く叫んで空に飛び上がり、「ビゴール!」と叫ぶと体に緑の光というかオーロラのような物を身に纏った。

 そこから彼女は「サンセット・ブリッツ!」との掛け声と共に急降下をして獣の動くアトラクションに突進していった。

 見事な狙いと力強さで数々の獣や見慣れない甲殻類を打ち倒すと彼女は後ろを振り返り、「校長先生!哲也くん!」と叫ぶと後ろから「躍動の風!」という校長によく似た声と共に、魔法使いと剣士を足して二で割ったような格好をした哲也が空を飛び、「流星の太刀!」との掛け声と共に剣を空で振り下ろすと、青く光る無数の剣の分身が細々とした敵を一掃した。

「村山君、驚いているだろうがこっちに来なさい。」

 教授の声だと思い振り返ると、中世のキリスト教の僧侶のような格好をしながら、大きな手甲を装着をし、先にかなり大きな重りがついた杖のような物を持った教授にしてはマッチョな中年男性がそこにはいた。そういえば教授は体が大きかった。聡祉はあまりプライベートな事は聞かない主義だったのだが教授は何かスポーツでもやっていたのだろうか。

「急いで。こっちだ!」

 教授らしき人に急かされたので急いで教授とその周辺にある光で照らされた場所に移動した。昼間なのにライティングがこうまで効果的に作用するとは新しい技術だろうか。サブカルチャーに詳しいIT系ベンチャー企業がいた事を思い出したが、聡祉も流石に、そろそろそういう問題ではないという事に気が付いてきた。

 やはりどう考えてもこの教授に似た人物は教授本人にしか見えなかった。もはや何から聞いたら良いものかわからなかったので、とりあえずは手近なところから聞くしかなかった。

「ハイリゲス・リヒトというのはこのバリアの事ですか?」

「いいや。違うよ。さっき回復魔法を使ったんだ。これはマウアー・デ・グラヒティヒティカイトといって正義の壁という意味だよ。」

 教授が中二病なのか自分がおかしいのよくわからなくなってきた。こういう発音がスムーズにできる教授はやはり凄いと思った。

 教授と話して少し落ち着いたので周りを見渡してみた。すると教授の後ろには、男女の耳の長いエルフ達がいて、それぞれ呪文の様なものを使いながら遠隔攻撃で遠くにいるモンスターと思しき、先ほどまで機械だと思っていた生物に攻撃を加えている。中には弓にオーラの様な物を纏わせて攻撃しているものもいる。前線で肉弾戦をしているのは少し背が低いが筋骨隆々なドワーフのような人たちだ。この人達も若干の魔法は使えるらしく、武器にオーラのようなものを纏わせ、ハンマーや斧の様な大型の得物を小さな体で力強く、それでいて器用に使いこなしている。そしてそのドワーフ達に紛れ、槍や剣など、中型の武器を手に前線で戦っている人達がいた。「人達」といったのはこの人達が、紛れもなくドワーフでもなくエルフでもなく、自分と同じ人間だからだ。

 よく観察していると、この人間種族達は、エルフの様に魔法を使える訳ではなく、ドワーフの様に力があるわけでもなく、武術の腕前と鍛えた筋力だけで戦っている。やはり若干戦力として不安があるのは否めない。だから槍や薙刀の様な長い武器を中心に使っている。どうやら弓は魔法と一緒に使わないとモンスターには効かないらしい。しかし、今の所、味方の犠牲者は出ていない。

 聡祉がこの異世界の戦場を観察してると、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。飛行機の音にしては小さすぎるし、新幹線でもない。

遠くの音のありかを探そうとした次の瞬間、戦場の敵陣中心あたりの轟音が響き何かが激突した様な音がした。その物体は、敵陣の中心にいる5メートル程の巨大な雪男の様な化け物に激突、いや突進したらしい。どうやら音速をかなり超えていたらしく、ソニックブームだけで無数の敵を倒していた。そして巨大な雪男の土手っ腹に身体の1・5倍はあろうかという大きさの槍を持った丸山秀樹が武器と突き立てていた。

雪男の腹に宙ぶらりんの様な形になった秀樹は、足を水泳の平泳ぎの様に使った様に見えた。足を縮める動作は見えたが伸ばす動作は見えなかった。どうやら足の動きは音速を大幅に超えていたらしく、足の後ろに衝撃波が出た瞬間、反動で秀樹は体ごと雪男の胴体を貫通した。

「聡祉くん。」

 後ろから教授が呼びかけた。

「早めに言っておこうと思うんだけれども、この世界では、基本的に、テレパシーでやり取りができるんだ。限界はあるし、戦っている最中なんかは気が立ってるからテレパシーは使えない時もあるんだけれども、少し慣れてくれば、テレパシーで話す事も、プライバシーを確保する事も出来る様になるんだが。」

 教授が少し間を置いた。少し嫌な予感がした。

「さっきから君が考えてる事は、多分、みんなには伝わっていると思う。まぁ予想通り君には変な邪念なんか無い訳だけれども。笑い話で済むだろう。我々も最初は戸惑ったが今は笑い話だ。」

 もはや何を考えたらいいのかも分からなくなっていた。聡祉はとにかく気疲れしたので早く眠りたかった。

「もう一つ、先に言っておくと丸山秀樹くんはテレパシーが何故か使えないらしい。こういう事はこの世界では前例がないと聞いた。それに魔法の性質がかなり他の人とは異なるらしい。まぁ、おいおい話すだろう。」



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