第四章 ある恵まれた家庭

 

 聡祉は打ち合わせが終わってその日の授業が終わると早々に家に帰った。その日はサークルの練習も無く、アルバイトも無かった。アルバイトといっても割りの良い家庭教師だったので負担に思った事はない。

 中学受験と大学受験をしている聡祉は受験業界では一番使えるタイプで、このアルバイトで苦労した記憶など何処にも無かった。あまり使えない家庭教師は箸にも棒にも掛からない生徒をおしつけられたりもするのだが、聡祉はそういった事にも無縁だった。

 聡祉ほどの社会的ステータスならば普通家に帰るとお手伝いさんがいるものだが、聡祉が成人した事をきっかけに住み込みの家政婦は雇わない事になった。流石に母が家事の全てをやるわけには行かないし、当然父も忙しいので、聡祉が家事の大半を担っていた。といっても両親とも料理はできるし家もステータスの割には小さな家だったので一人で掃除が行き届かないほどの家では無かった。

 今日は久しぶりに両親が早く帰ってくるらしい。まぁ政治家といっても都会を支持基盤にしているので国会会期中は地方を回ったりはしない。国会日程が終わると地方の状態を見て回るのは両親の恒例の事だった。それも各地の福祉関係に人脈と信頼関係にある両親だからこそできる事であり、さらにそういった地道な活動を評価する選挙民がいる地域だからこそ長年に渡るフィールドワークが可能になっているのであった。「政治家っていうのは個人事業主と経営者と芸能人の三足わらじみたいな仕事だよ。」かねがね父はそういっていた。母はもう少し法曹関係に重点的にアプローチしていたので、「私はせいぜい二足のわらじぐらいね。」よく言っていた。

 聡祉は一人で軽く水回りの掃除を終え、アイスコーヒーを飲んでいた。地位に似合わない質素な生活といえばそうだが、反面、両親の知名度の割には気楽な生活ではあった。昔いた家政婦も、この辺りでは家政婦がいることぐらいは普通だったし、野党時代が長かったので、特に支持者や陳情でごった返すという事も少なかった。政治家の中にはヤクザの事務所顔負けの屋敷に住んでいる者もいるくらいだった。事実、特に昭和の日本人というのはヤクザ的な価値観が好きだったので、ヤクザっ気のない政治家など子供扱いされるだけだった。

 そういえば、父も昔はよくヤクザとは付き合いがあったらしい。生活に困窮している者の周辺には常にヤクザがいる物だ。

 外から物音がした。音の仕方で父なのは母なのか大体分かる。どうやら母が先に帰ってきたようだ。

「ただいまー。聡祉、いる?」

「うん。いるよ。今日は夜食べに行くんでしょ?」

 以前から懇意にしているレストランに予約をしてある。

「お父さんは先にレストランに着いてるみたいだから先に二人で行こう。」

「分かったよ。」

 以前から両親とはこう言った何気ない会話もスムーズに進んだ。聡祉は両親との関係にわだかまりや引っかかりという物を感じた事が無かった。その代わり、昔からどうしてもわからない事があった。

 なぜ両親はこんなに熱心に政治家として働いているのだろうか。特に父は何故あぁも熱心に地方を周り、困窮者の話を聞いて回っているのだろうか。昔は自分を養うためではないかとか、政治家としての地位を守るためではないかと考えていた時期もあったが、今は、それだけでは説明の付かない物を感じている。

 同時にこう考える事もあった。自分には情熱を感じる根本的な何かがかけているのではないか。そのせいで両親と自分との間には何か分かり合えない一線があるのではないかと。

 こういう懸念は実は聡祉が大学生活を営む上でさえも、時折感じた物だった。

高校では学力で輪切りにされているため、質の違う友人と会う事はほとんどなかったが、大学には時折、哲也や秀樹のような地力で這い上がってきたような者がいる。そういう生徒と自分との間には何か埋めがたい経験の差のような物があるように感じられた。瑛里華とは二人で時折その溝を見ながら慰め合うような間合いが生まれる事があった。

 内心、今回シンポジウムに登壇する校長のような人物は特に苦手だった。クセが強いだけで聡祉は苦手意識を持ち易いのにも関わらず、そのクセが捉えどころの無いというか曰く言い難い物を持っている人間というのは聡祉のような人間にはどう接したらいいのか分からないのだ。こういう人間と接していると時折、蛇に睨まれたカエルの様な気分になる。

 父も実を言うとそれに近い人物なのだが、聡祉は父の事を尊敬していた。父の持っている独特のアクの強さと押しの強さ。無欲でストイックな生き方。型にはまらない政治姿勢。そう言う物を間近で見てきた聡祉には、校長の様な欲と信念が矛盾する事なく交わっている人間を見ると、まるで父を否定されている様に感じられる事があり、またある時には父の醜いパロディにも見えるのだ。

 だから聡祉は、中年男性というのは南塚の様に、上品で温かみのある男性以外は少し苦手だった。最近はそうでない者自体が本当に減ってきたので特に問題はないのだが、昭和の化石の様な件の校長の事は、時折頭から離れなくなる時がある。

 出かける準備をしながらそんな事を考えていた。今日は父からどんな話があるのだろうか。恐らく自分の将来に関する事と、父の老後の事だろう。別に気が重いという事は無いが、こういう時に気が重く無い自分の方が少し変わっているのでは無いかと思う事もある。

「聡祉、行くわよ。」

 母の催促が聞こえてきた。いつも通り返事をすると聡祉は二階の自室から急いで降りてきた。制汗剤に整髪料、軽いスキンケアーにこまめなヒゲの手入れ、外行きの服にコーディネートする気軽な外出用のバックの選定と、男性にしては聡祉の出発準備は手間がかかる。

「分かったよ。」

 聡祉は両親と話すときは口数が少ない。別に嫌っている訳ではなく、聡祉としては両親を信頼しているから余計な事は別に言わなくてもいだろうと考えていた。

 出かける時にお隣さんとすれ違った。お隣さんは専業主婦家庭であったが、母は中年女性らしい慣れた様子で挨拶をした。聡祉もボケっとしてると近所の評判に差し障るので、大げさにお辞儀をし、ただ相槌を打つだけでなく、こちらからも2、3質問をしたりして、相手に興味がある様子を示した。この家庭では、すべての儀式が滞りなく終わる。

 外出をするときは普通、党が雇った運転手付きの車で行く事が多い。昔、連立与党で両親ともに閣僚入りしたときは家の警備から運転手から車からやたらとグレードアップした気がして、当時小学校四年生であった聡祉には落ち着かない記憶しか残っていない。両親も聡祉のことを心配したものだ。正直言って、聡祉はもう二度と社協党に連立など組んで欲しくは無い。与党になっただけで陳情などが家に押しかけるのだ。それも大物が家に来るので気が気じゃ無い。

 車の中で母が話しかけた。運転手との間には仕切りがあり、マイクを使わないと運転手とは会話できない。

「ねぇ、今日お父さんと少し話があるんだけどその前に聞いておきたい事があるの。」

「なぁに?」

「聡祉は卒業後の進路はどうするつもり?博士まで行くのか、留学までするのか、それとも修士で就職するのか。」

「正直まだ決めかねてるね。」

「どうしてあなたはそう優柔不断なの?糠に釘っていうか柳に風っていうか。」

母はよく自分にそう文句を言う。

「さあね。恵まれ過ぎたんだよ。」

「猫に小判って言いたくなってきたわ。」

「豚に真珠って言ったら家出するから。」

「はぁ、まったくもう。」

 母とはいつもこんな感じだ。母がいくら押しても引いても聡祉はうまく受け流す。それはそれでうまく行っている。

「今日お父さんは聡祉が後を継ぐかどうか意思決定をしたいと思ってるの。聡祉は支持者からの評判がいいから、党の方からは聡祉を擁立したいっていう意見は多いの。でも本人がその気かどうかっていうのと、どういうスタイルで政治家になりたいのかっていう所を党としてもちゃんと把握したいの。学者上がりなのか、メディア上がりなのか、民間の実務家上がりなのか、お父さんみたいに行政上がりなのか、それとも政治のたたき上げか。」

 どうやら党の組織ではなく、支持者からプレッシャーがあったんのだろう。それとも別の何処かからだろうか。この辺の人は面と向かっては言わないが、時折、近所の人から「お父さんに弟子入りしたら?」などと言われる事もある。後継者問題は、現状の政治活動にも影響を与える。両親共、秘書を政治家にした経験はあるが、皆、地方選出だ。都市部にここまで強い支持基盤を持っている聡祉の両親は政界でも珍しく、野党である社協党はこの地盤を決して手放すべきではない無い。

現在は、両親ともに同じ地域で、父、一秀は衆議院、母、夕里子は参議院だ。一時期は二人区から夫婦で出馬していた。前代未聞だとマスコミには騒がれた。

「政治家か。多分、自分はそつなくこなす事はできると思うよ。でも、何をミッションに政治家になるべきかはまだ見えて来ないんだよ。お父さんとお母さんを見てると、どうしてもそれが無いと政治家なんてやって行けないきがして。」

「よかったわ、そう言ってくれて。『でもしか議員』だっていっぱいいるわ。最近は活動的なバカが増えたわね。こういうのが増えると国が滅ぶわね。」

母は時折こういう辛辣な事をいう。ちょうど港区に差し掛かったあたりで、今話題になっている政治家の街頭演説があった。攻撃的な発言と新自由主義的な政策で耳目を集めている政治家だ。その上、地方政治とも繋がりが強い。母はこの政治家を毛嫌いしていた。

「どうしてああいうのが好かれるのかしら。だいたい、国民に語りかける言葉が攻撃的っていう時点で私は政治家失格だと思うわ。それに、この人『じゃあお前がやってみろ』なんて平気でネットや何かでも発言するけど、そんな事、コンビニのバイトでも言わないじゃ無い。どうしてああいう常識も品性もない田吾作が政治家になれるのかしら。みんなまとめて佃煮にでもしてしまえばいいのに。」

 母は嫌いな人間に関して言及するとき、よく料理の比喩を使う。「あんな卑劣漢は煮付けにすればいい」とか「あの浅漬け男」と行った具合だ。思わず笑ってしまう。

「まぁ、ある程度の腹は決めておいて頂戴。私は貴方が塩抜きの鮭みたいな男だとは思いたくないの。」

「わかったよ。」

 聡祉が気の無い返事をしたその時だった。新興政党の演説会で道ゆく人々にビラを渡す運動員の中に、丸山秀樹の姿があった。若く体が一際立派な秀樹の姿は運動員の中でやけに目立っていた。しかしその姿はどこかぎこちなかった。なんというか間合いを測りきれていないというか、道ゆく人々とぶつかりそうになったり、あるいはやけに遠い距離で渡したりといった具合だった。

「何見てるの?」

 夕里子が質問すると聡祉は我に返った。

「あそこでビラ渡してる背の高い運動員、僕のサークルの友達なんだ。院に行ってるんだけど。なんかやけにぎこちなくて笑っちゃった。」

「あらホント。大きくて目立つ割には全然ビラ渡せてないじゃない。ウチで修行させようかしら。」

「その方が良いかもね。あそこで仕事にあぶれてる運動員がいるじゃん。やり方が素人じみてるね。」

「新興政党なんてそんなものよ。無所属なんてもっとなんだから。あなたも少しは人の苦労がわかった方が良いわよ。」

「そう心がけるよ。」

 そうこう話しているうちに赤坂のステーキ屋に着いた。父も母もここはお気に入りだ。年齢など気にぜず両親はここでよく肉を食べる。「有機野菜は肉と一緒に食うのが一番だな。」と父は冗談交じりに言っていた。事実このレストランの野菜は様々な高級野菜を使っていた。

「駐車場はいつもの場所でね。」

 母は運転手にそういうと1階が赤煉瓦の建物に入った。表に突き出した階段で2階まで登ると、ドアマンが無言で黒い重厚な扉を開いた。

「お待ちしておりました。」

 受付で若い女性のウエイトレスが明るい声でそう言って母を迎えた。

「久しぶりね。オーディションはうまく言ってるの?」

「この前のは落ちちゃったんですけど、来週また挑戦します。また支配人にシフトの我儘お願いする事になりますね。」

「若いうちは挑戦した方が良いのよ。」

 夕里子がそう言うと、その若いウエイトレスは、はにかみながら会釈をした。どうやら母とは見知った仲らしい。

 奥の一本道の廊下から男性のウエイターが現れて自分と母、両方に声をかけているとわかるような声の掛け方で奥に案内した。こう言う声の掛け方は演劇のワークショップで自分も習った事がある。

 さて、父との対面である。別に嫌なわけでは無いが、人生の帰路に父と折り入って話すと言う事は流石の聡祉も物を思わないではいられなかった。

「ヤァ、お二人さん。遅かったじゃないか。腹が減って死にそうだよ。二人でデートでもしてきたのか?」

「嫌だわ。誰かが聞いてたらどうするの?」

「まぁいいじゃないか。さぁ、そこに座って。」

 両親はまず二人で会話を始める。聡祉が会話に入るのはその後だ。アメリカ的なマナーを日本風にアレンジしたような夫婦である。

「聡祉、まぁ硬くならずに飯でも食おう。話はそれからだ。」

「ありがとう。お父さん。気を使ってくれて。」

「なんだ、随分上品な言い方をするじゃないか。そんなんじゃ気の強い女の尻に敷かれるぞ。」

「お母さんで十分間に合ってるよ。」

「ハ、ハ、ハ。そうかそうか。」

 気さくで豪放磊落。それが父の人格だった。それでいて独特の品を失わないのが不思議だった。

 こうしてしばらくは普通の一家団欒が続いた。聡祉の近況報告、両親の仕事やプライベートの話、昔話から誰かの噂話。そう言う話がひと段落した辺りで、父、村山一秀は奇妙な事を言い始めた。

「聡祉、命を懸けてまで守らなければいけない正義はあると思うか?」

奇妙だった。父がこう言う話をする事自体が初めてだった。こう言う大時代的な正義とは一線を引く人物だったからだ。しばらく考えてから聡祉はこう答えた。

「あると思うよ。父さんも母さんもそのために頑張ってきたんじゃないの?」

一秀は安堵したような嬉しいような不思議な顔をした。

「そうだな。皆何か大切な物を守るために頑張っているわけだ。それが自分自身しかない人間もいれば、家族の人間もいれば、信念の人間もいる。政治とは妥協の産物である事は聡祉もよく知ってるはずだ。だから私は、妥協を何のためにするのかで、人間の真価はある程度わかると思っている。なんの妥協もしないで生きている人間など何処にもいない。どんな英雄でもそうだ。」

 一秀がこう言う改まった話をするのは珍しい。いつもはもっとまじめな話をする時でも具体的な話をする。人生観の話というのは普段ああまり好まない。

「実は、最近病気が見つかって、そう長くは持たないそうだ。」

 唐突に言われた言葉に聡祉は不意打ちを食らったようだった。

「いつ分かったの?」

「数週間程前だ。余命は1年から数年だと言われた。」

 隣で夕里子が頷く。

「私の地盤を引き継ぐかどうかを決める前に、いくつかお前に聞いておきたい事がある。もし、お前が命を懸けて正義を守らなければいけない時、お前ならそれを守れるか?」

「正義の内容にも寄ると思う。」

「そうだな。それが正しい。こういう時に威勢のいい事をいう奴は活動的な馬鹿だ。では、社会全体の正義と、お前の家族を天秤にかけた時、お前は社会正義の方を取れるか?」

「もちろん状況にも寄るけど、自分だったら家族を犠牲にはできない。なんていうか、たとえ正義や信念のためであっても、家族や他人を犠牲にする社会っていうのは、結局は別の形で不正を容認しているだけかもしれない。社会政策の失敗よりも、人を犠牲にする事の方が自分は罪が重いと思う。そういう積み重ねの方が社会を非人間的な物にすると思う。」

 夕里子が頷いた後に会話に加わった。

「そうね。それが人道主義の基本よね。」

 そういうと夕里子は安堵した様にも見えたし、まだ落ち着かないようにも見えた。一秀が続けた。

「そうだな。聡祉、人間的な社会を維持する為に政治家がしなくてはならない事は、政策取引や派閥駆け引きだけじゃない。日々に言動や振る舞いから、自分たちは社会の規範や善意を体現する者であると示さなくてはならない。こういうと貴族的だとか批判する輩がいるがそんな事はない。昔は貴族だけがそういう役割を背負っていたが、中世の貴族なんかがそんな役割できるわけがない。まぁ、日本では天皇制があるから一概には比較できないけれどもな。」

「どうしたの父さん?病気以外に何かあったの?」

 父が言いあぐねている様子を見て聡祉は自分から聞いて行った方が良いような気がした。

「実はな、病気の内容は末期の肝臓病だ。生体肝移植をすれば助かると言われている。だがまさかお前の肝臓をもらう気は無い。しかし、お前が政治家になるとすると、この選択がお前の人生に影響を及ぼしかねない。だから色々聞いておこうと思ったんだ。」

 まだ何か遠回しな言い方をしている。まだ何か言いたくても言えない事がある。政治家の家に生まれていればこんな事は一度や二度では無い。

父が聞きたい事と自分が言いたい事の間に折り合いをつけて話をするという振る舞いがだいぶ前から身に付いていたが、果たしてそれは何の為なのだろうか。

「率直に聞きたい。お前が本当に情熱を燃やせる生き方は何だ?お前はどんな事でも無難にこなす。普通以上の結果を出す。でも本当にそれだけがお前の望みか?」

 父はこの質問をして何を聞きたいのだろうか?

「私が何を聞きたいかではなく、お前が何を言いたいかで答えてみなさい。」

 見透かされている様で意表を突かれた。少し考えてからこう答えた。

「今の自分には強い情熱と呼べる物は無いと思う。でもそういう人生を生きる事が出来るのは日本が平和だからだと思う。だからそういう平和と安定を維持する為には色々な工夫をしなきゃいけないとお思う。それ以上の事は今は言えない。父さんや母さんと違って今の僕にはそんな強い感情は無いよ。でもきっと結婚したり仕事をしたりすれば色んな感情が生まれてくると思う。」

 一秀、夕里子が少し話を聞いて黙っていたので聡祉は続けた。

「父さんも母さんも、いろんな経験があってそういう精力的な活動をできる様になってるんだと思う。自分は何も不足ない人生を送ってきたから、そういう気持ちはわからないと思う。でも、いつかそういう情熱がわかる日もくると思う。誰だって、社会で不条理に揉まれればいろんな事を考える様になるよ。」

「今時の若い子は自分の育ちを鼻にかけたりはしませんし、この子はそんな事で人に不愉快な思いをさせる子じゃありませんよ。」

 夕里子が一秀をなだめる様に言った。

「そうか。前置きが長くなったが本題に入ろう。実はさるアメリカの民主党系シンクタンクがお前をアメリカに留学させたいと思っていると私の方に相談があった。無論、多少の寄付の無心はあったが、向こうの腹づもりはただの金の無心では無いらしい。お前は帰国子女でない割には英語に堪能だったな。第二言語としては十分なレベルだ。」

 聡祉は以前、学内の論文コンクールに出した論文を思い浮かべた。確かアメリカと日本の社会保障の問題点を扱った論文を書いて賞をもらった筈だ。日本にもアメリカにも、社会保障のタダ乗りが問題になっているが、日本ではアメリカが新自由主義の国であると先入観があるので、アメリカの社会保障の問題は取り上げられる事が少ない。

 弱者を批判した論文を書いたわけではなく、制度上の問題点から、ある程度の不正受給は止むを得ない物で、問題を建設的に議論するたたき台を目指して書いた論文だった。その辺りの見識がアメリカの目に留まったのか。

 おそらく両親としては病気をきっかけにして、自分に関する事はカタをつけたいのだろう。

「とりあえず公共政策を勉強しに留学はしてみたいな。その後はどうするかはまだ分からない。でも政治家になる事はもっと真剣に考えないといけないと思う。今はもう、父さんの時代とは貧困の形も変わってるから、僕の世代の政治家は弱者救済だけじゃやっていけないと思う。でも民主党系のシンクタンクという事は、新自由主義グローバリズムになるでしょ?父さんも母さんもわかってると思うけど、グローバリズムは必ずいつか国家の主権と対立する。それこそ弱者が黙ってないと思う。」

「聡祉は発展途上国の貧困に関してはどう思ってるの?」

 母、夕里子は国際関係に人脈があり、民間人としても国会議員としても実績があった。与党時代には得意の語学、外交的教養、弁護士としての実務感覚を生かして八面六臂の活躍をしたものだ。

「基本的にはその国がどうにかすべきだと思ってる。今でも植民地時代の弊害がある事は分かってるけど、グローバリズムでそれが改善するとは思えない。中国も北朝鮮も、結局、経済発展で政治的問題は解決しなかったわけだから、このままグローバル経済だけ広がっても、同じ問題がいろんな所で起きるだけだと思う。それに、アメリカの貧困を例にとると、その辺の発展途上国よりもひどい生活をしてる人はいっぱい居る。貧困を冷戦構造の延長じゃ考えられない時代が来ていると思う。」

 一秀と夕里子は少々の時間考え込んだ。確かに聡祉のいう事は一理ある。それにこの混迷の時代に自分達は付いていけるのかという不安もあった。「グローバリズム」とは2000年代まで欧米化を意味したが、現在では中国化を意味している。欧米化という意味でのグローバリズムなら政治的な見通しが付くが、中国化という意味のグローバリズムは見通しが付かない。聡祉には西側諸国の政治家としてはアメリカに留学させるのが一番良いのではないか。やはりそう判断するのが妥当であろう。

「以前より腹を割ってくれるようになったな。聡祉。」

 昔なら今頃ウイスキーを4、5杯飲んでいる頃だ。医者に止められているのか今日は素面だ。


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