第三章 師と友

 南塚教授の教授室は大学の中庭が見える教授棟の4階にあった。教授の妻がフラワーアレンジメントを教えているので、常に何らかの花が活けてある。聡祉が公共政策を研究しているが、教授の専門は教育行政だ。

 先ほど哲也が丸山と二人で発案したと言っていた教育に関するシンポジウムというのは、教育の地域格差をテーマにしたもので、南塚教授の様に専門家としての見識と社会の上層を経験してきた人物と、哲也の出身校の校長の様に、元々治安状態が極めて悪い地域の学校で、一時期は札付きのワルしか集まらない状態から自身の手腕で進学校に作り変えた人物、いわば正反対の経験を持って教育に携わった二人を対談させようという意図を持ったものだった。

 この校長であるが、経営手腕と呼ぶべきか、それとも手練手管と言うべきか、搦め手から物事を運ぶのが非常にうまい人物でありながら戦略の独創性をと言うものを持っている人物で、密かな毀誉褒貶の激しい人物でもあった。

 例えば、今は良く使う手法であるが、この校長は校内暴力全盛期の八十年代、私立の学校でありながら、ある改革を行なった。それは女子の制服を志願者が増えそうなセーラー服にして、男子の制服を、コンビニの店員か囚人服の様な非常にセンスの悪い制服に敢えて変えたのだ。

 こうする事で、女子の志願者を増やし、目立ちたがりの男子生徒を自主的に入学させない様に誘導したのだ。この校長は、この学校が荒れる原因を、地域的な物もさることながら、不良漫画に出てきそうな男子生徒の制服に原因があると見抜いていたのだ。

 そして、「モテる男」と言うのは往々にして問題を起こすので、推薦入試の枠を増やす等、入試制度で若干の調整をしながらそう言う生徒が入りづらい様にした。女子生徒の入学志願者を増やす為、高校の制服を当時一番人気が出そうなデザインにした件も、冬服を地味にして夏服を派手にするという方法で絶妙なコントロールをした。

 地域の特徴として、この高校は郊外の住宅地から見て、都会に行く路線とは逆の方向であり、かなり田舎から通ってくる生徒も多いので、例え目立つ制服を着せても、そこまでは都会で援助交際などして学校が荒れないであろうとこの校長は読んだのだ。それに、学力が低くても、女子生徒というのは特に田舎では一概に荒れている訳ではなく、むしろ、男子生徒に比べ成績も進学実績も良い傾向にあった。男子生徒の力を削ぎ、女子生徒のいやすい環境を作る。これによって徐々に学校の治安を良くして行こうと考えたのだ。

 この戦略は見事に的中し、徐々に学校とその周辺の治安は改善していった。一つ荒れた学校があると、その周辺地域全体の治安が悪化するのだ。

その上、警察のOBを体育教員として採用し、用心棒代わりに仕立て上げた。実の所、こういった用心棒代わりの教員というのは生徒に好かれる事も多く、この対策も功を奏した。

 最近この校長は、文学の解説をする読み物を出版しベストセラーを叩き出し、持ち前の口のうまさと立ち回りの巧さでメディアにも顔を出し、学校経営においても見事な収益を上げ、近々、付属の中学校を設立するつもりであるという。

 当然、教育行政が専門である南塚教授もこの校長の事を知っていたが、やはり蛇の道は蛇という言葉通り、この校長と親交を交わす事に一抹の不安を感じざるを得ない情報を南塚はいくつか耳にしていた。

 この校長は若い時、左翼活動の運動家としてかなり積極的な活動をしていたらしい。しかも東北のある中核都市での話である。その校長が埼玉の私立高校に勤めているのは何か理由があっての事であるとおおよその予想は付いていた。

 どうやらこの校長は、崩壊していく左翼活動の理念と現実を立て直そうと、対立勢力とも渡りをつけ、北海道で大規模な畜産事業を行おうと大風呂敷を広げたらしい。国家社会主義的な官民一体となった地域開発を行い、地域格差の是正を経済成長によって成し遂げようと考えた訳である。公立小学校の教員の立場でありながらこういう事を真剣やろうとしたらしい。

 当然、教師組合の吊し上げに合い、村八分の様な扱いを受けた。どうやらその際、暴力事件を起こしたらしい。それも地域では相当の立場のある人間に対して、どうせ全てを失うならと一矢報いる為に夜道で相手を襲ったが、後ろから襲うのは卑怯であるとして正面から襲ったらしく、そこを警察に発見され、北海道では新聞沙汰になったという訳である。

 その後は埼玉の私立の高校に採用され、しばらくは家政高校であり女子生徒しかいない高校で平穏な教師生活をしていたが、おりしの少子化と女性の社会進出により、この高校は家政女子高校としては経営に行き詰まり、男子生徒を受け入れ始めたが、間も無く校内暴力全盛期の時期を迎え、土地柄もあり学校が様々な問題を抱える様になった。そこで校長の辣腕の出番となった訳である。

 南塚教授が聞いた話の中で確たる証拠のある話はこれだけであるが、如何せん、少々度が過ぎた大風呂敷を広げる人物なので、この程度の話だけで全ての功績が説明できる訳ではない。

 それにかつては問題の多かった地域で教員を続けるという事は綺麗事だけではすまない事を無数に経験するという事であり、要は生徒の犯罪の揉み消しから地域への根回しまで、汚れ仕事を厭わない人物であり、それでいながら教育者としての一線は守る人物でもあるので、こういう卑小な精神に収まらない人物というのは付き合い方に困る事があるのだ。このシンポジウムを企画した哲也や丸山はそこまでは気を回して居ないらしい。

 しかし、正直な話、南塚はこの校長には個人的な興味があった。向こうも大学教授相手にどう接するべきかという節度は持っているだろうし、やけに幅広い交際関係も、この人物であるからこそ党派性を超えて黙認されてる所がある。他の人間が同じ事をすれば、「あなたはこういう思想を持ってるのにこんな人間と付き合ってるのか」と余計な因縁を付けられかねないし、実際にこの校長はそういう雑音の中で生きてきたのであるが、まさにそれこそがこの校長の戦略の独自性と言うべきもので、先に述べた警察OBを採用する事で警察との関係を作り、生徒の犯罪のもみ消しをする事で大人になった地域社会の担い手に恩を売り、活動家崩れを保守派に転向させた上で教員に採用し、左翼勢力と陰ながら関係を持った。この時勢では活動家も程の良いリストラ先を欲しているのだ。

 公安関係者もこう言う事情をよく知っているので黙認した。あくまで第一には保守派である事を時に過剰な方法で世間や警察にアピールし続けた。さらに最近では大学院へ行く事でアカデミズムとも関係を保った。

 よくもこれだけ幅広い目端が効くものだと南塚教授は以前から呆れ半分関心半分でこの校長の事を見て居た。少し家柄が良ければ、過去に北海道で暴力事件を起こして居なければ、選んだ仕事が左翼勢力の強い教員ではなければ、この校長は保守派の政治家にでもなって居たかもしれない。

 しかし、この人物の理想を追い求める部分は極めて教育者のそれそのものなのだ。

教育行政を専門としている南塚にはこの校長が執拗に固執する教育者としての理想がどうしても捨てきれない尊敬の念を抱かせて居た。この高校がある地域は元々は貧しい農民がすむ地域で、件の女子高生が殺害された事件があった場所とは多少離れているが似たような地理的背景を持った場所である。

 こう言う場所で進学実績を出すと言う事は並大抵の事では出来ない。しかし着実に進学実績が上がると共に入学する生徒の偏差値が上がり、それに従って暴力事件などの件数は減っていった。

 暴力事件が減れば地域の再開発も容易になる。万引きや迷惑行為をする生徒が多い学校が一つあるだけでそれはショッピングモールやしゃれたレストランや服屋が出店しづらい理由になるのだ。従って地価も上がる。この校長は進学実績を上げる事によって地域の問題を着実に解決してきた事は事実なのだ。

 こういう時は通常の礼式や社会的常識では考えない方が良い場合がある。下手に何度も打ち合わせをすれば周りから親しい仲と思われるであろうし、そうなれば敵の多い人物なのでとばっちりを受けかねない。さらにこの校長が舌禍事件など起こそうものなら自分にも飛び火することも考えられる。確かこの校長は体罰容認派であった筈だ。

 それならいっそ、あまり細かい打ち合わせはしないで、可能な限りぶっつけ本番に近い形で対談には挑んでしまおう。そうすれば周りからも「一度会っただけの関係である」と言い訳できるし、知らぬ中ではないので校長の事を知りたい人間には多少の恩を売れる。あとはそれをどう学生達に納得させるかだ。

 そうしている内に研究棟の廊下に聡祉たちの声が聞こえ始めた。

「失礼いたします。シンポジウムの件で皆を連れて参りました。」

「あぁ。待ってたよ。みんな入って。」

 教授がそういうと学生達がそれぞれ挨拶をしながら入って来た。教授室というのは案外狭いもので、学生が数人はいると一気にゴタゴタした印象になる。研究者の部屋というのは程よく狭い方が物も取りやすいし気が散らないので研究はしやすいのだ。

「先生、大変お忙しい事と思いますが、今回はご協力頂き、誠にありがとう御座いました。」

 秀樹が口火を切り、哲也がそれに続いた。

「僕たちの地元で一度、このテーマのシンポジウムを開いてみたいと秀樹と意気投合して以来、先生のご協力を仰げないものかと二人で計画して来たものでした。今回先生のご協力を頂きまして、地域の問題を解決し、地元の貢献できると思うと本当にこのゼミに入って良かったと思っています。」

 南塚が軽く頷くと、今日が初対面である瑛里華が改まって挨拶を始めた。

「お初にお目にかかります。日本史研究科に所属しております、浦上瑛里華と申します。村山君とは以前、学際研究の集いで共同研究をさせていただいたご縁で今日まで互いに刺激を与え合う中となりました。その時のご縁で教育行政ゼミの方々には何かとよくしていただいております。今回教授とお近づきになり、シンポジウムの中で歴史研究家としても新たな問題意識を探求したいと考えております。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。」

 秀樹と哲也は瑛里華の挨拶を聞いて少し呆気にとられた。

 言葉の選び方もさる事ながら、イントネーションというか発話の様子がとても上品で、そうか、上流階級の女はこういう挨拶をするのかと、生まれが異なる二人は初めて貴族をみる中世の百姓のような気分になった。

「うん。みんな、どうもご挨拶ありがとうね。シンポジウムの件なんだけど、一度例の校長先生と直にやり取りをしたいんだ。できたら先にメールで丁寧にこちらの見解を伝えたいんだけれども、まずはそれで良いか確認をしたい。」

「了解しました。哲也、じゃあ先生にアドレス送っといてよ。」

「それなら今ここで送りましょうか?」

「うん。じぁお願いするよ。」

 シンポジウの企画者である秀樹と哲也がソファーの教授に近い方に座り、聡祉と瑛里華はドアに近い方で様子を見ていた。

 秀樹がその場を主導するように、シンポジウムの概要と懸念点を南塚に話し始めた。

「先生もご存知かと思いますが、僕と哲也の出身地は、様々な問題を抱えていている地域です。先方の校長先生も難しい地域での教育に長年携わって来られた方です。時折過激なところがある方ですが、教育に関する問題意識は教授とは合い通じるものがあるのではないかと以前から感じておりました。大げさな考えかもしれませんが、党派性の違いを超えてこの対談が実現できる事で、新たな時代の議論を巻き起こす事が出来ればと考えております。」

 穏やかに頷きなかが話を聞いていた南塚が返事を返した。

「そうだね。確かにあの校長にはいろんな事を言う人がいると思うけれど、私はそんなに悪い人ではないと思ってる。まぁ、学者が政治と無縁でいることなんて無理なんだが、それでもまぁあの人は融通無碍な人だから、かえってどうにかなるだろう。」

 哲也が一安心したように口を開いた。

「自分も校長先生には生徒会活動でお世話になりました。実際に接してみと、とても生徒思い方で、後世に何かを残そうと言う気概のある方です。あの校長先生は確かに特殊な経験を持たれている方ですが、だからこそ、教育制度と地域社会の関係に関してお二人の知見を総合し、未だ残る地域社会の問題に関して議論を深めて行ければと思います。」

「僕もあの辺りには昔の知り合いが何人かいてね。多分、聡祉君のお父さんとも共通の知り合いも何人かいるんじゃないかな。」

「そうですね。あの辺りは昔、父のいた団体がセツルメントをしいました。そのまま居ついた人もいると聞いています。」

「まぁ、農家を継いだり居酒屋をやったり、世の中には案外色んな人が居るものだよ。僕も早めに引退したら喫茶店でもあの辺りに開こうかと考えてるくらいだから。そういえば打ち上げの焼肉屋は哲也くんの担任の先生のお気に入りの所なんだって?大将は昔、革命闘士だったらしいじゃないか。」

「どうもそうらしいですね。でも女と税金の苦労話しか聞いた事ありませんね。」

「革命が成功してればどちらの苦労も免除だったろうね。」

 その場は少し皮肉な笑いに包まれた。

「聡祉君、君が車を出してくれるんだっけかな?」

「はい。最寄りの駅までお迎えにあがります。ご自宅までお迎えにあがりましょうか?」

「ははは。何もそこまでしなくてもいいよ。近くの駅までは自分で行くから。だいたい講演というものはそういうものだよ。」

「わかりました。当日は自分だけお酒が飲めないのが残念です。またお付き合いさせてください。」

「いいな、聡祉は。車が何台もあって。」

 哲也はワザとらしく当て擦った。

 大学というのはどこへ行っても酒の付き合いが非常に多い。というかできた方が色々と得なことが多い。全く酒を飲まない指導教員に着けばその限りではないが、それで一生やっていけるかというと運次第、立ち回り次第だろう。

「浦上さん、君は飲めるのかな?」

「はい。そんなには飲めませんけど。」

「そうだっけ?確か君ってハイオクでいつも高そうな酒飲んでるよね。」

 聡祉がからかうように割り込んだ。

「まぁ、女の子のそういうことは言うもんじゃないよ。この辺りは君もあの校長にでも指南してもらったら良い。」

「校長先生は加減を知らないので、聡祉が女衒にでもなるかもしれませんよ。」

 哲也がそう言うと浦上と聡祉は目を合わせて笑いあった。


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