第9話 地球侵略の悪魔

 故郷の依頼主と家族か、山田太郎か。

 どちらも選べずに他の異星体に地球を取られて死ぬか、逃げ帰って依頼主の奴隷になるか。


 苦渋の決断を前にして季節は巡り、日本は再び春を迎えていた。


 私はもう二度と高校という面倒な機関に通うつもりはない。だから、新学期が始まる前の、この春の長期休みの間に地球侵略に蹴りをつける。

 最後の最後に、私は一番得意な脳に直接かける洗脳術に全ての命運をかけることにした。




 本日は山田太郎を私の家に招き、一緒にお昼ご飯を作って、何かしら遊ぶ予定だ。

 食べるのは面倒だけど、山田太郎の作るご飯は食べてもいい。動くのは面倒だけど、山田太郎と遊ぶなら動いてもいい。山田太郎と一緒にいるのは、嬉しくて楽しくて幸せになれる。


 けれど洗脳すれば、この山田太郎ともお別れ。

 洗脳に成功したらこの山田太郎ではなくなるし、失敗したら私の地球侵略も失敗となって殺されるか奴隷になるか。

 どちらにせよ、この山田太郎とはお別れなのだ。



 いつお別れしようか。ごちそうさまを済ませたあと、二人並んでソファーに腰掛け、私はタイミングを窺っていた。


「星乃、午後は何したい?」

「んー」

「晩飯用の買い物でも行く? 作り置きの料理とか作るけど」

「あのね、山田太郎」

「ん?」


 私は深呼吸をして、山田太郎の膝に手を置いた。


「山田太郎は、私に何かやってほしいことはない?」

「やってほしいこと?」


 お別れする前に、山田太郎に何かお礼をしたい。

 山田太郎は「うーん」と首を傾けた。


「星乃に何かやらせてもなぁ。大変そうなことが起きる予感しかしねえ」

「そんなことない。なんでもできる」

「まぁ、考えとくわ」

「いえ、今日でなければダメ」

「ええ?」


 そんなだるそうな顔しないでよ。

 山田太郎はぼすっとソファーにもたれ、顎に手を添えて目を閉じた。しばし考え、ぱちっと目を開く。「あー、じゃあ」と体を起こして、私の手に手を重ねた。


「星乃、悩みごとがあれば相談してほしい。俺が力になれるかわかんないけど」


 やってほしいことがそれって。どうしてそんなに優しいの、山田太郎は。

 私はソファーの上で膝を抱えて顔を埋めた。きゅっと体の奥が締め付けられている。攻撃、痛い、苦しい。


 優しい優しい山田太郎のために、私ができることはないか。依頼もやり遂げて、山田太郎も幸せにできる方法は……。

 よし、決めた。他の生命体に地球侵略する前に、さっさと私が地球征服してしまおう。そして依頼主が地球を大切にするよう監視しよう。せめてもの償いに、山田太郎が嫌な思いをしないように。

 私は顔を上げた。


「山田太郎」

「ん?」

「あなたは本当に地球人?」

「あぁ」

「私、その言葉を信じるよ、山田太郎」


 地球人に精神干渉ができることは判明している。山田太郎も例外ではない。

 今までの洗脳術はダメだったが、今回の術は間違いなく成功する。成功以外あり得ない。


「山田太郎。ちょっと目を閉じて」

「え、何すんの」

「悪いことはしないから」

「はいはい」


 山田太郎は気の抜けた返事をして目を閉じた。おでこにかかる前髪を払って山田太郎を見つめる。大切な人、どうか幸せに。

 私は山田太郎の額に自分の額をくっつけた。


〈☆△%&、◇○〉


 脳に直接念波を送る。接触洗脳術の中では一番強力かつ確実な洗脳術だ。

 念のために二度、三度かけたのち、私はゆっくり目を開いた。山田太郎の頬をさすると、まぶたが上がって黒目が私を見据えた。

 洗脳が効いているか、確認の念波を――。




「…………どうして」

「星乃?」


 自負心とか自尊心とか、そういう気持ちが崩れていく。なんで、なんでなんでなんで、なんで山田太郎にはうまくいかなかいんだろう。


「山田太郎、あなた、本当に本当に地球人?」

「当たり前だろ。生粋の地球人」

「…………」

「星乃」


 この私が、失敗続きだなんて。おかしい、おかしいすぎる。わかった、他の生命体からの攻撃で洗脳術も阻害されているのだ。絶対にそう。

 きっと、山田太郎の声がとびきり甘く優しく聞こえることも、適当に付けた名前も特別なものに変わったのも、呼ばれるだけで胸が高鳴るのも、全部全部他の生命体が妨害しているに違いない。


「星乃、悩みごと言ってよ」


 山田太郎が私の手首にそっと触れた。その箇所が焼けるように熱い。だって、こんなの、おかしいでしょ?


「さ、最近、私、変なの。ドキドキしたり熱くなったり核が痛くなったりして、他の惑星の生命体に精神攻撃されているみたい……」


 目からじわっと水が出てきた。

 地球はあまりにも不便だ。念動力も使えないし、栄養摂取も面倒だし、泣きたくないのに涙が出てくる。

 そして山田太郎はあまりにもずるい。私がボロボロになったところに甘すぎる言葉をかけてくる。ずるい地球人だ。ついすがりたくなってしまう。


「私、私は、地球の生命体ではないの。遠くの惑星から、この地球を侵略しにきた」

「うん」

「あなたも洗脳できればよかったけれど、何度試してもできなくて。他の生命体の襲撃とも被るし、故郷に帰ったら奴隷だし、もう最悪……」

「奴隷? 星乃が?」

「そういう契約で、だって、前払金がすごくてね、家族がこの先百代遊んで暮らせて、でも依頼主が例外的な額だからって、もし失敗したら私をって」


 瞬きをする度、涙がぽたぽた落ちていく。私は泣きたいわけじゃないのに。地球に来てから何一つうまくいかない。




 少し開いた窓の隙間から吹き通る風が、春の花の香りを運んでくる。

 山田太郎は私の話を否定せずに聞いていたけれど、やがて両手で私の頬を包んだ。


「星乃、地球侵略なんかやめろよ」


 諭すような声だった。

 何よ、何よ、何よそれ。私の言っていることを、いつもの戯言だと思ってる? あるいは、この事態を甘く見ている? はたまた、また私のことをバカにしている?

 私はキッと山田太郎を睨んだ。この小さな世界で平和ボケしてるあなたに、状況を教えてあげる。


「いいこと、山田太郎。私が侵略しなくても、この星は終わる」

「いや、終わらせない」

「いえ、終わる。だって、私の洗脳術を妨害してくるほど強い生命体が襲ってきていて」

「安心しろ。後にも先にも地球侵略者はお前だけ。今後十数世紀、太陽系圏内は平和だ」


 私の言葉を遮った山田太郎は、突き刺さる熱量でまっすぐと私の目を見ていた。

 山田太郎、何を言っているんだ。私が現在進行系で攻撃を受けているのに、平和だなんて。というか、今後十数世紀?


 私が自分で答えを出す前に、山田太郎が淡々と話し始めた。私の手首を痛いくらいに強く握って。


「地球侵略の悪魔。十数世紀先の未来で、星乃はそう呼ばれてる。相当な有名人だ。火星に逃げた地球人に今でも恨まれてるよ」

「……あく、え?」

「二度と悪魔に襲われないために、地球人は技術力を上げて過去をも防衛範囲に含めた。星乃、地球に侵入するとき何か思わなかった?」


 頭の整理が追いつかない。山田太郎の言っていることがよく理解できない。未来? 悪魔? この私が?

 私はソファーの上で後ずさった。体の重さでクッションが潰れた感覚がした。


「あなたは一体……」

「俺は火星に逃げた地球人の子孫だ。お前を殺すために未来からやってきた」

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