第7話 甘酸林檎な気分

 最近、山田太郎といるとなんだか落ち着かない。いや、山田太郎といることは嫌いじゃないのに、どうも何か落ち着かない。ソワソワするのだ。

 この不安定な気持ちは、他の惑星侵略のときにも感じたことがある。侵略中に他の異星体が攻撃を仕掛けてきて、私の触覚がそれを感知したときだ。

 そう、つまり今、何らかの生命体が地球を狙って私を攻撃をしている可能性があると思われる。


 早く山田太郎をなんとかして、地球を征服しなきゃ。




 山田太郎に『サプリメントやゼリーとかの栄養剤は一日一摂取まで』としつこく口うるさく言われた。しかし、地球の食べ物のどれに何の栄養があるのか、私がわかるわけもなく。

 仕方なくスーパーに売っている出来合いのものやお菓子を食べていたら、山田太郎にあれはいいだのこれはダメだのとぐちぐちと口うるさく言われた。山田太郎、うるさい。

 そして終いには『自分で料理しろ』と言われた。私は当然言い返した。


『それはできない。フライパンは鉄の塊、重たい。私は持てない』

『せめて湯沸かせるようになるだけでも料理の幅広がるから頑張れ』

『料理? 食品なら毎日食べている』

『毎日ポテチだろ。それじゃ意味ないっつーか、以前より食生活が悪化してるっつーか』

『悪化ということは、やはり栄養剤のほうがいいということ?』

『これ以上は過剰摂取になるからダメなんだってば』


 心配しているのか怒っているのか。ちぐはぐな言い合いをした末に、山田太郎が呆れ混じりに笑った表情は今も脳裏に焼き付いている。


『ああもう、わかった。俺が地征に作ってやるよ、料理』


 その山田太郎を見て、頭の片隅でこれはいけないなと思ったことも。




 ある休日のこと。夏休みも終わり、再び学校生活が始まってしばらく経った頃だ。暑さは遠く過ぎ、大気が冷たくなってくる時期のことだった。

 山田太郎が私の家に料理をする日がやってきた。


 私は必ずや山田太郎を洗脳すると覚悟を決めた。方法は一つ。最古にして最強の伝統的洗脳術。それすなわち、私の血を飲ませる洗脳術である。

 料理を手伝う素振りをしてわざと怪我をし、どさくさに紛れて山田太郎に血を飲ませる、という計画だ。

 なんと自然なことか。私、天才すぎる。


 ふっふっふっとほくそ笑んで山田太郎を待つ。が、来ない。あれれ。来客が来たときに鳴るベルの音をひたすら待つ。遅い、遅い、山田太郎遅い。早く来て、早く来て。

 しびれを切らして外に出迎えようとした瞬間、ベルが鳴った。山田太郎、やっと来た!

 玄関のドアも開けて、動く箱から出てくる山田太郎を待ち構える。


「山田太郎!」

「悪いな、地征。スーパー混んでて遅れた。ごめんな」

「……あ、いや、全然いいの、うん」


 山田太郎の申し訳なさそうな様子を見たら、言ってやろうとか思っていた文句が吹き飛んだ。まぁ、ちゃんと来てくれたから許してあげる。

 玄関まで入ったところで、山田太郎が私のほうにぐっと近付いてきた。私の背中に腕を回そうとしてくる。え、急になになになに。妙にドギマギ。


「や、山田た」

「荷物ここ置きたいんだけど、地征ちょっとどいて」

「…………」


 玄関や廊下が狭いせいで、私は変な勘違いをさせられた。あーあ、なんだか調子が狂う。




 山田太郎が私の家のキッチンに立っている。テキパキと料理の下準備をしている。私はそれをソファーに座って眺めていた。良い景色だ。なんとなくそう思う。

 山田太郎は袖をまくれば腕が案外太くて強そうな個体に見えるし、真面目な顔して黙々と作業していれば知的に見える。様々な雰囲気を身にまとう山田太郎、ずっと見ていられる。

 次第に良い匂いがリビングを包み込んできたときに、見つめる先の黒い瞳がふと私のほうを見た。


「地征、あとちょっとでてきるからなー」

「あ、うん」


 山田太郎が私のために何かしてくれている。浮遊しているわけじゃないのに、ふわふわしている気分だ。不思議な感じ。



 いや、いやいやいや、くつろいでいる場合ではない! 料理中にさり気なく山田太郎に血を飲ませる計画だったのに!

 私は急いでキッチンに駆け込んだ。


「山田太郎、何か手伝うことはない?」

「ど、どうした。もうすぐ完成するけど」

「でも、何か、ええと、刃物を使ったりはしない?」

「刃物? 地征は刃物使いたいの?」

「ぜひぜひ使いたい」

「うわぁ。怖え……」


 山田太郎はフライパンで何やら白いソースと細長く黄色い麺を炒めながら、私にドン引きするというなんとも器用なことをやってのけた。

 そんなことしてないで、早く私にわざと怪我をするチャンスをちょうだい。


「お手伝いしたいしたい」とアピールしたら、山田太郎は冷蔵庫から赤くコロコロした丸い物体を取り出した。あれはリンゴってやつだった気がする。


「じゃあ、これ切ってデザートで食お」

「はーい」


 水で洗われたリンゴは、食品を切り刻むための板の上に寝かされた。よしよし、ここからが本番だ。

 包丁とやらの持ち方は、ええと……調べ忘れた。自己流でいこう。私は両手で包丁を握り、構えた。すぐに止められた。


「いや待て地征。包丁使うの初めてか?」

「初めて。案外重たくてびっくり」

「俺も刀みたいな持ち方されてびっくり」


 山田太郎が包丁を片手で持って、もう片手を軽く丸めて見せた。


「こうやって持って、もう片方は添える。わかった?」

「わかった。余裕で理解した」

「ほんとかよ。気を付けろよ。地征って怪我したら痛い痛い騒ぎそうだしな」

「……痛い? 怪我したら痛いの!?」


 それは聞いていない。私は慌てた。山田太郎は首を傾けた。


「怪我したら痛いに決まってるだろ」

「怪我したら痛いに決まってるの!?」


 私は怪我をしたことがないので知らなかった。驚きの初耳。痛いのは嫌だ。今さら不安になってきて困る。

 山田太郎はちょっと引いていた。


「なんだ、その反応は。切るのやめる?」

「いや、やる」

「やるのか……」


 渋々といった様子で包丁を渡される。

 私は先程見せてもらったお手本通りに包丁を持った。片手で持つには少し重たすぎるけど、これならなんとか頑張れば。


「え、ふらふらしてないか? 怖いな。いける?」

「いく」

「無理すんな」

「えいやっ」


 全力で持ち上げ、目をつぶって振り下ろす。リンゴを切るついでに指をちょびっとかすめればそれでいい。いけ、包丁!

 そおっと目を開いたら、包丁はリンゴに突き刺さっており、半分も切れていなかった。あら、出血チャレンジは?


「地征は一生包丁持たないほうがいいタイプだな。はい、チェンジ」


 はい。私はおとなしく包丁を山田太郎に渡した。手が一気に軽くなって、あとからわずかな震えに襲われる。あぁ、疲れた。


 血を用いる洗脳術は、私に向いてないみたい。包丁は地味に重たいし、怪我して痛いのも嫌だし。

 血を用いる洗脳術は二度とやらないと心に決める。



 軽快にリンゴを切る山田太郎の横顔を見上げる。前髪の隙間から覗く伏せ目はアンニュイそうで、でも優しそうで。そばにいると安心するような、緊張するような。

 あ、他の生命体から攻撃されている感じがする。


「地征」


 名前を呼ばれて我に返る。


「あ、うん?」

「リンゴ一個食う? ずっと見てるから」

「じゃあ、食べる」

「ん」


 一口大にカットされたリンゴを受け取り、口に運ぶ。噛む噛む噛む、飲み込む。

 水分量が多くみずみずしくて、ほんのり甘くてちょっぴり酸っぱい。ふむふむ、これがリンゴか。


「美味い?」

「また食べてもいい。二つ目は?」

「お気に召したようでなにより。残りはデザートな」


 山田太郎が笑いながらカットリンゴを冷蔵庫に入れて、まだ湯気立つフライパンを手に取る。


「鮭のクリームパスタも美味いから。今盛り付けるわ」

「楽しみ楽しみ」


 手で食品を持ち上げたり、口に入れて噛み砕いたり。

 食事は面倒だけど、山田太郎と一緒なら別に食べてみてもいい。山田太郎がニコニコと食べる姿を見ると体の奥が温かくなる。


 けど、他の生命体からの攻撃がある以上、悠長なことはしていられない。早く山田太郎を洗脳しないと……。

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