第4話 書面契約の反応
私の星では声を具現化して残すという術が存在していた。何かを契約する際、例えば惑星売買の証拠としてきちんと売りました買いましたという契約証明を残すために使われる。
この星では物理干渉できないので、その術は使えない。声は全て消えてしまう。けれど、紙という薄っぺらい木にシャーペンという細長くした炭の先端をこすりつけ、文字にして残すことができる。
すなわち、声の代わりに文字を使った契約術を用いて、山田太郎を洗脳がすることができるのではないか?
何事もやってみなければわからない。よし、今回はこの洗脳術を試してみよう。
昼休みに、私は山田太郎に話しかけた。
「山田太郎」
「何」
「なんでもいいからノートを貸してほしい」
「なんで?」
「理由は聞かないで。お願い」
あなたの名前を手に入れるため、だなんて言わせないで。お願い。
山田太郎は、ハッと察したように目を開き、ドヤ顔で私に白い一枚の紙切れを渡してきた。
「わかった、ノート忘れたんだろ。ルーズリーフやるよ」
「え」
「地征って授業でノート取ってないだろ? ったく、ノートないならもっと早く言えよ」
「いえ、それは違う。どうでもいいの」
授業中にノートを取っていないのは、手を動かすことが疲れるからであってノートの有無ではない。
「それより、私はあなたのノートを」
「ノート写したいなら他のやつに頼んでくれ。俺は大体寝てたから」
私は唖然とした。こ、この地球人、これっぽっちも私の話を聞いていない! 私は有象無象のノートではなく、山田太郎のノートが欲しいのに。
我が星では念動力が使えたので、自らの手や足で何かを動かすということは基本的にしなかった。
けれど、地球ではそうはいかない。浮遊できないから自分の足で歩かなければならないし、ものを運ぶときは自分で持ち上げなければならない。
そして、文字を書くときは自分でペンを持ち、動かす必要がある。
「……む、難しい」
私は山田太郎からもらった紙切れに契約書の練習書きしてみた。が、なかなかうまく行かない。ペンを持つことすら困難極まりないのだ。
我が星では術を込めて読み上げるだけで声が残すことができた。なんと楽々なことか。素晴らしいこと、この上ない。
しかし、これを文字にするとなると、術を込めながらペンを持ち――器用さが要求される高難度技だ――、複雑怪奇な文字を一字一字書かなければならない。
術込めとペン持ちと書き記し、難しいのトリプルコンボ。地球、なんと契約術がしにくい星なのか。
契約術の最初の発言を書き記してみた。文字にすると二行になった。疲れた。たった二行を書くだけで、どんな洗脳術をかけるよりも疲れた。
私がべたっと机に倒れ込んだとき、山田太郎が「地征」と声をかけてきた。
「ノートは借りた?」
「いえ、借りてない」
「もうすぐ定期テストあるんだし、なまけてたら赤点取るぞ」
「それは問題ない」
即答すると、山田太郎は少し驚いた声を出した。
「地征、勉強できるんだ?」
「あの程度の量であれば、師の言っていたことは全て覚えている」
「師?」
「授業のときに、私たちに教えてくれる人がいるでしょ」
「あぁ、先生のことか。って、先生の言ってること全部覚えてんの?」
「当たり前じゃない」
私は惑星侵略の天才なのよ。覚えるだけで点数が取れる地球式のテストなんて、簡単すぎて笑えるレベル。たまに行われる小テストも満点しか取ったことない。
山田太郎は良いおもちゃを見つけた子どもみたいな邪気のある目でニヤッとしてきた。
「じゃあさ、さっきの現国で先生が最初に言ってた話は?」
「『え、今日先生テンション高い? 高い? そうなの、テンション高いの〜! 朝旦那さんと行ってきますのハグできる生活ほんっと最高すぎて毎日ハッピ〜! 結婚とっても最高だから、みんな結婚するのオススメ!』」
「すげえ。声真似まですると思わなかった」
「余裕よ」
「なら、その先生が一昨日話してたやつは?」
「『あのね、ちょっといい? 授業の前に一つ旦那さんの話していい? あ、いい? ありがと! じゃあいっぱい惚気ちゃおー。あのね、先生料理あんまり得意じゃないんだけど、旦那さんはすーっごく上手でね!』」
「あ、その話長かったからそこまででいい。よく覚えてんな」
「朝飯前よ」
ふふんとしたり顔。山田太郎は口を開けて「おお」と感心する生き物になっていた。そして呟く。
「マジで記憶力良すぎだろ。人間じゃねえな」
「なっ」
私は絶句した。人間じゃねえな、だと。まさか私が異星体だとバレた!?
ガタッと立ち上がり、山田太郎の両肩を掴む。
「そ、そんなことないに決まってるでしょ! 私は、ちきゅ、や、にんげっ、にん、人間だから!」
「え、何急に。そんな慌てなくても。言葉の綾だろ?」
「私は正真正銘の人間だから! 目も耳も手足も二つで、きちんと人間になってるでしょ!?」
「はいはい、わかったって」
山田太郎が冷めた目で私の手を降ろさせる。
な、なんだその目は。信じているのか、疑っているのか、読めない目だ。
これはよくない、非常によくない。唯一の不穏分子が不穏すぎる。
私が異星体だと言いふらし始める前に、早急に山田太郎を洗脳させて地球侵略を成功させ、地球を征服せねば!
学校が終わってから、私は休まずに契約書を手書きし、ついに完成させた。
書き始めた頃の空は茜に色付いていたのに、書き終えた頃も空は茜に色付いていた。地球七不思議の一つだ。
私は若干ふらつく体で登校し、いの一番に山田太郎のところに向かった。机にすっと契約書を置く。
契約書の文面は奴隷化について。山田太郎が私の奴隷、すなわち私の意のままに動く下僕となるという内容である。
これで山田太郎も、洗脳術をかけられた地球人たちと同じ状態になるはずだ。
「山田太郎、ここに名前を書いてちょうだい」
「なんだよ。どうした? 顔色悪いけど」
「いいから」
紙の下のほうにある空欄を指差す。私の名前はすでに書いてあるから、あとは山田太郎の名前を書くだけで契約術が成立する。
元々はノートを手に入れて名前の文字を書き写そうと思っていたけれど、本人に書かせるほうが手っ取り早い。さあ、早く書いて。
私は山田太郎のサインを待っていたが、相手は眉間にシワを寄せた。
「なんだこれ。全然読めねえ」
「気にしないで。あなたはここに名前を書くだけでいい」
「いや、怖い。何語かわかんねえし、地征クマやばいし、なんか怖いわ」
怪しそうに契約書を触ったり裏返したり、得体のしれない契約書に怯えている。安心して、我が星の言語で書いているだけだから。怖くないから。
私は大ざっぱに説明した。
「自作した契約書よ。別に怖いものじゃない」
「自作した契約書ぉ?」
「そうよ」
「ちなみに、どんな内容?」
「変異体のあなたを、他の一般人と同状態にする契約」
「……地征、今日は学校休んでおとなしく精神科行っとけ。な?」
哀れみと哀れみと哀れみをたぶんに含んだ表情と声色で、山田太郎が私の肩にぽんっと手を置く。
どうして契約書を書いただけで可哀想な子の扱いを受けなければならないんだ。
私はしばし考え、思い至った。
もしかして、地球では個人と個人が自作の契約書を用いて契約を交わすことはポピュラーではない?
そうだ、この星は契約するにもいちいち書類を書くという重労働をする必要がある星だ。契約術に向いていない星なのだ。なるほど、契約術は地球人に合わせた洗脳方法ではなかったということか。
これは仕方ない。契約術は諦めよう。
ところで山田太郎、いつまで私に哀れんだ目を向けているの。
今に見ていなさい。次こそは、洗脳してみせるんだから。
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