第61話 引き潮に流れ去る砂は墜ちた馬
翔馬は業績不振の責任を問われ辞表を提出した。開設当初は順調に業績を伸ばした横浜営業所も、その勢いは徐々に低下した。翔馬は本社営業部の時代は優秀な個人成績をかわれ、初代所長に就任した。だが管理能力は別物である。このままでは翔馬を推してきた担当専務の責任が問われかねない。翔馬一人の問題ではなくなっていた。
翔馬の弱点は販売手法そのものにあった。客層に多いのが富裕層のご婦人たちであるのが災いした。その容姿と柔和な物腰がご婦人たちの心をつかんだ。高額な商品を扱う仕事にはうってつけの資質を備えていた。だが時には逆の作用をすることもある。
管理職となり、ご婦人たちとの接触時間が無くなっていた。徐々に客のご婦人たちが頻繁に営業所を訪れるようになった。
中にはあからさまに翔馬の愛人であるかの如く振舞う客もいた。いつしか営業所はご婦人たちの見栄を競う社交の場所に変わっていた。所員の士気も低下する。悪循環は続き、担当専務もついに決意した。
「雨宮君、オレの立場も分かってくれ」
もっとも翔馬が銀座と繋がりを作るお膳立てをしたのがこの専務であった。
始めは上手くいっていた。期待に応え翔馬は銀座の女たちに高額な車を売った。女たちは客に翔馬を紹介し業績はさらにアップした。しかしそれは同時に女と翔馬の関係が深いことを示す。
客は徐々に女を離れ翔馬の敵となる。翔馬が利用したはずの女が翔馬の障害となっていた。
女は気づかない。客の心を。そんな女の中に理子の後輩がいた。
蘭と同じ立場の女、女の名は歌子という。
理子は有名焼肉チエーンの事実上のオーナーとなった。成功した女の一人となった理子に近ずく女も多かった。
歌子は翔馬と自分が共に得られる捧果を求め理子に近づいた。
翔馬が待つ最上邸のリビングに理子が現れた。あでやかな赤いドレスの胸元は大きく開き、垂らした髪で隠れたその下にキラリと光るダイヤのネックレス。ほのかに包むシャネルの香り。
明るい陽射しのリビングの前には鯉の池。この舞台で展開する次の場面が暗示されていた。
「あなた何ができるの?」
「なんでもやります」
「じゃあ、私の仕事手伝って」
理子はドレスの肩の紐を外すよう促した。するりと落ちたドレスの下はすでに何も着けていなかった。
理子は腕を翔馬の首にまわし自から床に身を横たえた。
荒々しい息で唇を求め、息はすでに歓喜の声に変わっていた。その手は早くとせがむように翔馬のズボンを下げた。素早く移動した理子の口は翔馬を離さなかった。第一弾は終了。
理子はうつぶせの姿勢になり翔馬に背後からの攻撃を要求した。求めるままに応える翔馬に理子は若い男の粘り気と匂いを全身で浴びた。狂った女の熱い体はその後も翔馬を求め続けた。
果てた理子の口は翔馬の耳元で言った。
「仲間よ」
翔馬自身は女に狂って堕ちたのではない。上手に利用してきた。だが利用してしたはずの女が何故か翔馬に障害となる。引き潮に足裏を流れ去る砂のような墜ちた自分を感じた。
翔馬は指定されたプラチナ通りのカフェで蘭を待っていた。会いたくない女である。思えば翔馬が会社を辞めることになった原因のひとつに蘭がいた。あの若作りのぴちぴちのミニスカートでショールームに現れたあの日。従業員が蘭に驚いたあの事件。あれ以来翔馬は従業員の信頼を失った。転落のきっかけであった。
その蘭を今待っている。悔しさがこみ上げてくる。だが理子とも約束をした。理子は言った。
「仲間よ」
自分はすでに理子と蘭とも仲間なのだ。理子は続けて言った。
「後は蘭さんと玉川さんと相談して」
蘭は玉川という男と結婚した言う。よかった、再び自分に関係を迫られる心配はない。
だが蘭は玉川という男に自分のことをなんと言ってるのだろう。昔付き合っていた男とは言わないだろうが。考えている翔馬の前に蘭と玉川が現れた。
「まあ久しぶり、会社辞めたんですってね。私の車誰が見てくれるの?」
「いや、車は大丈夫ですよ、それより……」
「こちら玉川さん、私の旦那様」
「初めまして雨宮と申します」
「お前仕事できんのか?」
玉川は挨拶もなしに荒らっぽい言葉を口にした。
「どんな仕事ですか、教えて下さい」
「あいつ何も言ってなかったのか、役に立たねえ女だな」
玉川の言葉遣いは普通の社会人とは明らかに違った。理子に対しても「あの女」と言った。
自分はこんな男の仲間になったのかと運命を呪いたくなった。
「お前説明してやれ」
玉川は蘭に言った。蘭は玉川の様子に疑問を挟むこともなく。
リゾートホテル計画は蘭の説明で理解できた。詐欺臭いことも分かった。
「それでボクは何を?」
「お前は集金システムだ」
「会員NETのプログラムですね」
「NET? 集金係だ。いいか、女が会員を見つけたらお前が集金に行く。分かったか」
翔馬は会員登録をした人が、クレジットカードや銀行振込で支払いするものと思っていた。
だが玉川の考えは現金で回収するという。こんなやり方が今時あるのだろうか。
「大丈夫よ、集めた人の名前は全部私に電話があるから。雨宮さんはそこに行くだけ」
蘭の言葉で翔馬は全て理解した。架空のリゾートホテル計画とは公にはせず、こっそりと現金で。勧誘も集金も全て手作業で。目立たない。知られない。捕まらない。逃げられる。
玉川の計画は明快である。1口10万円の会員権が1000口集まれば1億円。5百口でも5千万円。
それを持って逃げる。玉川の人生計画は長い先のことなど考える必要がない。次の刑務所が待っている。それまでの短期間を遊んで暮らす。それができればよいのだ。協力者に払う気など毛頭ない。全て独り占め。
翔馬は玉川の魂胆は少し分かった。こんな男の仲間になってしまった。
後悔した。だが理子とも仲間入りの”儀式”をやってしまった。
子どもみたいにニコニコ笑う蘭の顔が一層憎らしく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます