第59話 雲の隙間に光る富士 

 理子が勤めていたクラブは冴子も知る銀座の老舗であった。この店の出身女性は多い。

 銀座に美しく咲く花の雌しべは、美しい雄しべを授かる。毒を持つ花は毒の雄しべを、棘を持つ花は棘の雄しべを。ある花は蝶によりある花は風に乗り雄しべの生を授ける。


 生を授かった花は短い生涯を終える。残った種子は鳥とともに飛び、又ある種子は川とともに流れ、各地に散り元銀座出身を掲げて店を構える。理子もその一人。銀座歴10年で開業の夢を果たした。


 だが世間の風は時には追い風となるも時には逆風となって襲う。散った花は蝶になり再び故郷に戻り雌しべとなる。

 実らす種子もなく果てた花の数は幾数あったか。甦るにはより強い異種の血を受け新しい花を咲かせる。異種の血はより強い花を咲かせる。毒を持つ花はより強い毒となる。


 理子は開業10年後襲った不況の波に抗しきれず閉店を余儀なくされた。


 理子は最上に拾われ、その愛を受け今の地位を得た。最上と理子の間にいたのは玉川信。

 玉川は棘と毒を持つ花粉を運ぶ男。鋭い針も持つ雄の蜂であった。甘い蜜は女を誘い、迷う男に近づける。


 玉川は持って生まれた嗅覚と、仕えた師匠の教えを学び詐欺師として生きていた。

 暮らした人生の半分は囲いの中。他人の半分しか持たぬ娑婆の時間を懸命に走る。今の玉川には長い先の人生は考慮の余地がない。今を生きる。詐欺師の生き方であった。


 最上はキャバレーのボーイを振り出しに飲食業の世界を歩んできた。知る女は数多いが結ばれる相手はいなかった。現れたのは理子と玉川。毒の女と針の男は容易に最上の胸潤に入り込む。

 最上70歳、玉川55歳、理子50歳、それぞれが残り人生に未練と享楽と野望を秘めて生きる。


 理子と同じ銀座のクラブの後輩に蘭がいた。同じ店ではあるが蘭は理子と入れ替わるようにこの店に入った。銀座時代は二人に接点はなかった。玉川にとってこれは好都合であった。玉川は蘭に理子の匂いを嗅がせた。過去の自分と同じ匂いを持つ女どうし理解は早い。だが深く知ると女どうしは必ず揉める。遠い過去を深く知る者どうしより、同じ世界に生きてきた女に共通する欲望の匂いだけを嗅がせる。玉川の巧みな計画に女は躍った。蘭40歳、先輩理子より10歳若い。若いだけより性を求める。蘭は玉川の欲と性の奴隷であった。


 冴子も同様銀座のうまれ。挫折も味わったが敦也の庇護のもと、より安全な道を歩むことができた。追及するのは少年たちを遊ばせること。遊ぶ子どもを見て楽しむ。時には羽目を外すが若い証拠。


 冴子のメルセデスは中央高速をを走る。冴子が今日向かうのは河口湖。

 理子から預かった書類の中にあったレストランとホテルの完成予想図。

 レストランの従業員の教育係として協力してほしいと言われた。その計画書の中にあった玉川信の名前。

 敦也は言った、玉川信とは有名な詐欺師だと。その玉川と蘭が結婚した。焼肉屋で言った蘭の言葉。

「私の会員になってほしいわ、あなたにはお金がいっぱい、私には少しだけ」

 何もかもが詐欺師の手口である。


 冴子が確認したかったのは会長夫人の理子が本当に詐欺師なのか。建設予定地を現場で確認しようと思った。

 もし事実なら夫敦也にも何等かの影響を与えるかも知れない。


 建設予定地と思われる道をもう何度も往復した。だがそれらしき場所はなかった。

 完成予想図に示された場所はどこかの会社の保養施設になっていた。

 建設されたばかりに見える綺麗な建物があった。この建物を壊して新しくホテルを建てるとは思えない光景であった。


 夏だけの利用であるように見えた。ドアーは固く施錠されていた。

 建物の周囲を歩いて見た。計画書ではこの建物の土地だけでは計画の半分にも満たない。

 少なくとも両隣の土地も買収しなければホテルは建てられない。隣の建物には人がいた。


「あんたも騙された一人かい、この回りの土地は全部オレのもんだがもう貸す土地は一坪もないよ。貸す気も売る気もないよ」


 この土地の所有者であった。もう何人もの人が同じことを聞きに来たらしい。


「こんな人も来たよ」

 土地の所有者が示したのは敦也が尊敬する倉橋氏の名刺であった。

 名刺はもう1枚。”三田 和幸”


 理子と玉川が架空のホテル計画を練り上げ、金を集めているのは明白であった。

 幸いにも倉橋氏は詐欺に気づいていた。


 築地本願寺のパーティーの夜の記憶が一瞬で、暗い過去の思い出になってしまった。

 富士を汚された無念と思い出したくない銀座時代や赤坂での失敗まで甦り、堪らない失望感に襲われた。背後にそびえる富士が雲に隠れた。


 冴子が寄ったのはもう一つ。

 河口湖自動車博物館、飛行館。復元された、零戦、隼、一式陸攻、などがある。

 今は8月だけの営業。

 愛する者を残して去る夫や父や恋人と待つ銃後の悲しみ。ここは人の心を知るところ。

 その空気は感じることはできた。来た甲斐はあった。


 ほど近いところにゴルフ場も沢山ある。無性に敦也が恋しく感じた。

 一瞬雲の隙間から富士が見えた。キラッっと光る何かが見えた。そして消えた。





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