第58話 鯉は跳ね漂う野望

 俊介と萌音は久しぶりに、テニスクラブでミックスダブルスを組んだ。相手はクラブのコーチと会員の女性、かなり上手い。萌音は吹奏学部の練習で久しぶりのテニスであった。俊介も同様にプロの幻から醒めて以来である。


「練習不足ですけどお願いします」「私もよろしくお願いします」

 俊介と萌音はコートに立った。女性のフラットサーブが萌音を襲った。萌音はボールを追ったが脚が動かなかった。続いて打った女性のサーブは同じく俊介のラケットの先を掠めサービスライン上に落ちた。ゲームは変わり俊介のサーブを女性はスピンボールで返した。


 俊介のサーブをコーチがリターン、萌音が前に出たボレーが決まり初のガッツポーズ。

 コーチのサーブを俊介は女性のフォアハンドハンドにレシーブした。

 女性のレシーブはネットに跳ねた。

 今日は試合ではなく練習の一部、30分で終了。俊介は握手を求めた。

 

「俊介君、私がフォアーハンド苦手なの分かったでしょ」

「はい、分かりました」


「じゃあ、どうしてそこを突かなかったの?」

「でもお……」


「遠慮したのね」

「はい」


「私が女だから?」

「……」


「練習だから手を抜いたのか?女だから甘く見たのか、どっちだ!」

 コーチからも同じことを聞かれた。


「女の人だから……」

「俊介、甘くみるなよ、試合は相手に敬意を持って臨め!手抜きするほどのお前はレベルか!、全力でぶつかれ!誰が相手でも!」


「はい…………」


 見た目で判断してしまう。これほどの侮辱はない。

 それほどの目を持つ人間は存在しない!

 世界広しといえども絶対にいない!


 スポーツとは挑戦し続けること。勝って相手を称え、負けて己を知る。挑戦する心を捨てるのは己を捨てること。負けて徳なし。勝って得なし。

 己を捨ててを勝利を譲っても尊敬はされない、軽蔑されるだけである。


 それを知るのがスポーツの精神である。うなだれて聞くほかなかった。


 俊介はまた女性に学んだ。

 俊介の父にも教えたい。


 あの時コーチは言ったはずだ。

「私にできることは全部やりました。専門のコーチに付けたらもっと伸びると思います。ご紹介はできますが」


 コーチは言葉に苦慮してたはず。分かってほしい。

「私の手には負えません」と言いたかったことを。


 俊介と萌音の二人は星空の道を歩いた、俊介は萌音と帰り道を歩くのも久しぶりである。

 最近は萌音が吹奏学部の練習で遅くなり、幸恵の車で帰っていた。俊介のボデイガードも無用であった。建物の陰で俊介は萌音にキスを求めた。最後に萌音とキスをしたのはいつだろう。

 もう我慢が出来ない程に溜まっていた。杏里の唇に舌を差し込んだ。


「やめて」

 萌音は俊介を押し返した。

「俊介答えて、杏里とやったことあるの?」

「……」

「やっぱり、やったのね」

「……」

「あの人とは?」

「誰のこと……?」


 萌音は見ている。冴子がテニスクラブに現れた時の俊介の様子を。

 冴子にはオペラを見た帰り、家まで車に乗せてもらった。

 冴子のことを杏里も知っていた。

 俊介と杏里と冴子の関係が、萌音には解けない疑問であった。


 吹奏学部の練習室に40人が揃った。本来の担当楽器に戻り、コンクールのための練習が始まった。


 渡されたパート譜は第70回全日本吹奏楽コンクール。


 課題曲Ⅱ マーチ「ブルースプリング」


「いいか、マーチだからな、タンタンタンとリズムよく、分かってるな」

先生がタクトを置き腕を組んだ。

「違うだろ、いいかこれはマーチだ。軍隊じゃないぞ、おいマーチと軍隊の行進曲の違い言ってみろ」

杏里が聞かれたが分からなかった。同じだと思ってた。

「お前は分かるか?」

萌音も分らなかった。


「みんな聞け、軍歌の行進曲は突激の音だ! 怖さを忘れてぶっこむ音だ!爆音だ。

マーチはちがうぞ。マーチは聞かせる音だ。聴く人のために聴かせる音だ。

だから音楽なんだ。今のお前たちの音は突激ラッパだ!」


 聞いた部員全員が直立不動になった。


「違う、逆だリラックスだ。おいファゴこの音を吹いて見ろ」


先生が示したのは萌音の譜面台に置かれたピッコロのパート譜で、ファゴットには出ない音であった。

「まあやって見ろ」

杏里は出ないのを承知で吹いた。「ブオー」と変な音がして、皆んな笑いこけてしまった。

「よーしこれがリラックスだ」

 突撃の進軍ラッパは聴いてもらう音になり、「マーチ・ブルースプリング」は一歩前進した。


「ねえ私の彼、俊介って言うんだけど知ってた?」

「知ってるけど」

「じゃあ何も関係なかったの?」

「関係たって知ってる程度よ同じ中学校だから」


「じゃあ、杏里は冴子さんのこと知ってるの?」

「どうして?」

「俊介と冴子さんがねちょっと気になるの」

「萌音もそうなの?私もよ、隼人と冴子さん、変だと思うの」


 女の感が一致してしまった。俊介と杏里の関係はずーっと前のこととしても、冴子との関係は現在の問題。二人にとってもっとも重大な疑問が冴子で結ばれた。


☆☆☆


「玉川さん、上手くいってるの?」

 最上邸の日本庭園の見える明るいリビングで、二人は密談の最中である。


「大丈夫ですよ。理子さん」

「それよりも、こっち」

 玉川は理子を抱き寄せた。

「悪い人ね、結婚したばかりなのに……あぁ………」


 口と体は別物、欲しがっているのは体の方。口は玉川の口で塞がれている。漏れるのは微かに喘ぐ荒い息。

 玉川の指は理子の秘部を執拗に攻めた。そして口を移動した……

 ……あぁー……庭の池の鯉が跳ね、しぶきが垂れた。


 垂れたしぶきの波紋は理子の全身を包み、熱い体は揺れる波紋の中に邪移淫佚に流れて「ピチャン」と、また鯉が跳ねた。





 」

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