第20話 特訓の汗と悔し涙
隼人の成長ぶりは目覚ましかった。同時に入部した一年生の中ではもちろんトップだが上級生をも凌ぐ活躍を見せるようになった。女の子たちの注目をあびる存在であった。ネット越しに隼人の活躍する姿を見る杏里は誰かに見せたくてたまらない。隼人を。そして自分を。自分こそが隼人の恋人だと見せたかった。
隼人は今日は公営グランドにいる。他校との練習試合にチームの一員として参加する。レギュラーの座を獲得するためには大切な試合である。勝敗はもちろん大切だが監督に認めてもらうことも一年生部員にとって大切である。
巡ってきたチャンスは確実にものにしなければならない。隼人に監督の指示が出た。交代の2年生とグーをしてグランドに走る。ボールを追って必死に走る。交代の指示が出た。今日は10分の出場で終わった。他の一年生部員も同様であった。
応援に来た杏里は隼人の10分を脳裏に焼き付けた。隼人には残念な10分であったが杏里には隼人が出場できただけで嬉しかった。試合は終わり選手は帰校する。
高校のマークが大きく描かれたバスに乗り込む隼人が頼もしくみえた。
男に頼もしさを感じるほどに、杏里も女として成長していたのかも知れない。
恰好いい男の子が好きと思う幼い乙女心とは違う、大人の女の感情である。
杏里の心がもう俊介に戻ることはない。
俊介の中学校の敷地内のテニスコートは2面ある。
通常はこのコートを男子と女子の部員が曜日を変えて使用する。
だが夏の特訓期間だけはこのコートは女子専用となる。
男子は中学校から少し離れた公営のコートを借りて練習をする。
12面ある大型の施設である。駐車場もあり練習を見る親も多い。
今日は俊介の練習を母が見守っていた
今日の練習時間は3時間。特訓と呼ぶには短いが時間制で借りているコートであるからやむを得ない。あとの時間には別の中学校の生徒が待っている。
俊介がコートを使用できるのは15分間。これが6回巡ってくる。計90分。
俊介には短いが母には十分である。これ以上立っているのは母にはつらい。
母が見守る中を俊介は必死にボールを追う。バックハンドの打ち方がまだ弱い。
「もっと早く走れ」
コーチの指導する声も俊介には聞こえていない。目はボールを追っているのだが、心の中では冴子の姿を探していた。しかし冴子の姿はない。母が見守っているのは分かっていたが何故かあまりうれしくない。
小学校低学年のころは運動会で母がみているとうれしくて、いいところを見せたいと必死になった。その後の母が作った弁当の美味しさは忘れられない。
だが今は何故か冴子と食べたファミレスの味が懐かしい。
「もっと速く走れ」コーチの声にはっとして振ったラケットの先をボールは逃げていった。
逃げたボールの先に母がいた。母はにっこり笑っていたが冴子の笑顔に感じた気持ちの高まりとは異質なものであった。
久しぶりに今日の練習はお休みである。隼人も俊介も。熱中症対策としてとられた措置である。杏里も猛勉強の中休みとした。
隼人と杏里の二人はショッピングモールの屋上でポップコーンを食べながら、杏里が写した動画を見る。隼人の練習中の姿が映っている。ヘマをしてしょんぼりしてる隼人の顔を見て隼人本人も笑った。杏里も笑った。二人が楽しく笑いあったのは久しぶりである。おたがいに深く知り合った仲なのに。初めて会ったあの日は高まる気持ちを抑えられず、合ったその日にセックスをした。
あの日の感情に浸る自分を発見した。
二人はキスを交わした。いつまでもそのまま続けていたい衝動に駆られる。
隼人も杏里もそのままセックスに移行したいがそれはできない。
キスの深さで穴埋めをする。ポップコーンの匂いがした。
遠くに富士山が見える。ここは俊介に別れを告げた場所でもある。
隼人と杏里は駅に向かって歩く。帰宅の時間がきていた。仲良く手をつなぎ。
誰かに見せたい。杏里の心は隼人と自分の関係を誰にでもいいから見せたかった。自慢の彼を。
降りた駅から歩いて10分で隼人のマンションに着く。
今日はここでお別れである。杏里のマンションは5分先にある。
二人は最後のキスをする。杏里は誰かに見せたいが見られても困る。
人通りが多い場所である。軽くキスをした。
二人の少し先に俊介がいた。二人は気が付かない。
杏里の相手の高校生とはこの人だったのか。同じマンションの同じ階にいたのに初めてみた。恰好よくみえた。サッカー部で鍛えた体は引き締まり、日焼けした顔は凛々しかった。俊介もテニスで鍛えている。日に焼けている。だが成長具合はやはり高校生と中学生では差がある。これは仕方がない。杏里があの時いった「俊介は好きだけど隼人はもっと好きなの」無理はないと思った。
だがもっと強い衝撃が俊介を襲った。隼人のTシャツが冴子からプレゼントされたあのTシャツと同じデザインだった。
あの人は自分だけでなく隼人にも贈っていたのか。自分だけと思っていたのに。
どうして、どうしてなんだ。あれは嘘だったのか。大人の女は嘘をつくのか。
俊介は動揺する気持ちを抑えることができなくなっていた。
「ばっかやろ」叫ぶと冴子のマンションに向かって走り出した。
走る俊介の目に涙があふれた。悔し涙が。
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