夜のモブ

 アルバイトを始めたきっかけは、親に連れていかれたプレオープンだった。

 プレオープン――――本開店に向けての最終調整として、知り合いや身内だけを招いての仮営業。

 そんな場に僕が呼ばれたのは、フルールの店主、佐藤さとう けいが僕の母の弟、叔父だったから。

 いまでも鮮明に覚えている。夕暮れというには少し遅い夜の帳の片鱗が見える時間。その薄暗さでも昭和の良い古臭さで溢れた商店街には、フルールの看板は眩しかった。  

 両親を差し置いて先陣を切って、からりとベルを鳴らしてドアを開ければ、やたらと顔の整ったお兄さんが3人と見慣れた叔父の姿があった。

 叔父さんはいつもの眉を上げる仕草を、お兄さんたちは見知らぬ家族の来店に戸惑っている様子がうかがえた。

 でも、僕にはそんなことはどうでもよかった。僕の心はフルールの店内に奪われていた。

 ドラマや漫画でしか見たことの無い長いバーカウンターとその後ろに無数に陳列された酒瓶。その間に立つ普段のラフな服装からは想像もできないベスト姿の叔父。おまけに、店内にはスタイリッシュなスーツに身を包んだお兄さん達。

 店内には静かなジャズが流れ、店内の移動に支障が出ないギリギリの明るさの照明がそれらを照らし出す。

 中学3年の時分、思春期の真っただ中に大人の社交場の代表であるバーという場所は鮮烈に記憶に刻まれ、確かな憧れを抱かせた。 

 遊園地などとは全く違う意味での別世界だった。

 自分でドア開けておきながら、足が進まなかった。

 そこへ服装以外はいつも通りの叔父さんがやってきて、席まで案内してくれた。

 叔父の話では、先に店にいたお兄さん達は前の職場の後輩らしい。

 ずっとフルールができるまで手伝ってくれていたそう。見た目は話しづらそうだったけど、叔父さんが紹介してくれた後気軽に話しかけてきてくれた。

 その後は呼ばれていた親戚たちがやってきて、プレオープンという名の宴会が始まった。

 店の中央にボックス席のテーブルを繋げて、そこにオードブルやらサラダやら中々の品数が並んだ。

 叔父が乾杯の音頭を取って、そこからは騒がしく時間が過ぎた。

 余談だがお兄さん達は親戚みんなにお酌をしながら回り、最初にあった部外者の雰囲気をあっという間に撤回していた。

 というか、話がうますぎた。僕の母の兄――――伯父さんにはつけていた時計から、僕の父には飲んでいたお酒から話を広げて、帰り際には2人ともお兄さんたち全員と肩を組んで歌っていた。

 もちろん僕の母や伯父さんの奥さん――――伯母さんも好印象のようだった。まあ、結局顔が良いというのが何よりもその印象に貢献していたようだったが。

 いったい何者なのかと疑問に思わずにはいられなかった。

 そんなこんなで宴会はお開きになった。

 帰り際、こんなところは叔父さんの店でもなければ来られなかっただろうと記念に写真を撮らせてもらった。その時に叔父から一言。

 「高校生になって、まだこういう店に興味があったらバイトしにおいで」  

 僕は二つ返事で答えた。

 それから高校受験を終えて合格発表を確認したその日に、フルールに直接出向いてバイトに入ると叔父に告げたのだった。

 今もこうしてバイトに向かう道すがらでふと記憶が蘇る。

 我ながら本当に衝撃的だったんだなと振り返りながら、今日もフルールのドアを開いた。


                     

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