第55話 自分のやりたいことは

「俺は、人工知能をやります。新しいことにチャレンジするって決めたんです。今までありがとうございました」

 成人は頭を下げ、山田と決別したのだ。

 それは物理学という学問との決別でもあった。

 この頃、人工知能研究はまだ冬の時代。注目さえされていない分野だった。むしろ異分子のような扱いだった。人工知能なんて夢物語だと思われていた。

 そんな状況だからこそ、今の自分にぴったりだと、成人は飛び込んだのだ。もしダメになっても、あんなもんの研究だから仕方ないと言い訳できる気がして。

 それでも、やっていくうちに、考えは大きく変わっていた。

 ここにはまだ、無駄な要素がない。やるべきことが山のようにある。出来ないことを出来るに変えていくんだ。そんな思いで、努力した。

 それが、今という結果に繋がっている。唐突な感情任せの選択は、ちゃんと実を結んだのだった。


 人間、何が最適かなんて、ピンチになってみなければ解らないものだ。


 それがこの事件で得た最大の収穫だった。




「社長、早くしてください。もうすぐコンペ始まりますよ」

「解ってるって。でもこれを仕上げないと、完璧とは言えないんだよ」

 五年後。

 慧の姿は大学ではなく、とある共同オフィスの一角にあった。そしてパソコンの前で悪戦苦闘中。そんな慧を急かすのは、なんとあの指導に付いてくれていた彩乃だった。

「まったく。相変わらず計画性がないですね。大学四年、さらに言えば、修士論文の頃と何も変わっていないんだから。どうしてギリギリになって焦るようなことになるんですか」

「うぐっ」

 そして、それは総てを知られているということと同じで、大学時代からの計画性のなさを指摘される結果となる。

 あの時、工学部への移籍を決断して相川の研究室に入ったはいいが、色々と大変だった。卒論も当然のように彩乃の世話になることとなった。

 何もかもが初めてで、それなのに卒論を書かなければいけない切羽詰まった状況。いやはや、今思い出しても地獄だった。

 しかし、相川の過去を知っているだけに、ここで弱音を吐くことは負けを認めるような気がして、がむしゃらに頑張った。

 卒論提出直前に、まったく違う分野の論文として、自らの研究を書き上げた男。もちろん、慧の頑張りなんて、相川の苦労からすれば微々たるものだが、それでも、弱音を吐くのは嫌だった。

 そんな慧の心情を見抜いているのだろう、相川はにやにや笑って、アドバイスをやろうかと定期的に言ってきた。それに対し、要らないと意地を張ったのは言うまでもない。

「自分で選んだんだ。ちゃんとやる」

 そう言えるようになったのが、一番の成長だろう。だが、その答えに相川が嬉しそうに笑うので、慧はますます意固地になったのは当然の流れだ。

 おかげで、間に入ってくれている彩乃には、多大なる迷惑を掛けることになった。

 それを、こうやって今でもねちねち言われているわけだが、反論の余地なし。大人しく拝聴するしかないのは、悠月と付き合っていた頃から変化なし。

 どうやら自分は、女性の尻に敷かれるタイプらしい。

 自主的に選択してやるようになろうと、ここまで変化がないのだから、そういうことだろう。

「難しいんだよな、人工知能。何年経っても弄ばれている気分だ」

 慧は大学でのあれこれを思い出し、むすっとしてしまう。

 まさかその人工知能が本当に自分の将来にがっつり絡んでくるなんて、最初にゲームに出会った時には思いもしなかったことだ。

 卒業できて、さらに大学院でちょっと学生時代が延びて、就職に有利になる。そんな気楽な気持ちから始まった選択は、今、とんでもなく大きな結果を呼び込もうとしている。

「でも、面白い。色んな変化があったけど、楽しいって気持ちはどんどん強くなっているや」

「ふふっ。確かにそうですね。あの奇妙なゲームのおかげで、色々と大きな変化がありました。私もこうやって、ベンチャー企業の一員になるなんて未来、あの当時は想像さえしていませんでした。

 やれやれ。いいですよ。社長の面倒を見るのは、あのゲームを作った一人として責任があると思っています。それに、まさかそれを売り出せるほどのゲームとして成立されるとはと、驚きもしました。

 あれは相川先生の過去という事実をベースに、あれこれ無駄な変数が入っている変則的なゲームでしたからね。こっちも悪ノリで作っている部分がありましたし。他にも応用できるとは、全然想像出来ませんでした。ですが、時間は守ってください。相手方が迷惑するんですよ」

 彩乃は捲くし立てると同時に苦情を述べてきた。それを慧は、やっぱり大人しく拝聴するしかない。社長と呼ばれているが、実質は弟子のような感じだ。

 そう、慧はあの後、ゲームに使われていた人工知能の研究を進めるにつれて、その可能性の大きさを知るにつれ、あの相川の作ったゲームの魅力が大きくなっていた。

 プレイヤーの状態に合わせて、ストーリーの進行を変え、あまつさえ映画のように魅了するように動くゲーム。これを、このまま埋もれさせるのはもったいなく感じていた。

 これこそやりたいことだと思えてきたのだ。そこでゲームを専門的に作りたいと、相川に申し出たのだ。

 自分が好きなものは結局はゲームだったという、相川とは違ってがっかりする結論ではあった。それでも、初めて自分から動きたいと思ったことだった。

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