第53話 食えない奴ら

 そこで相川は、仮の銀河系による恒星のエネルギーの利用に置き換えてしまったのだ。

 自分の理論を完全に白紙に戻すよりかはいい。そう考えてのことだったのだ。

 しかも自分がやっているものとは違う、宇宙物理学に仮託することにしたのだ。

 ちゃんと読み解けるようにしつつも、一見すると全く違う分野の論文。それは、こんな事情から生まれたのだ。

「天才ですよね。ものの数日で、論文を別の分野のものに仕立てちゃうなんて。山田先生、言ってましたよ。卒論提出締め切り一週間前のことだったって」

「ははっ。確かにギリギリの決断だったかな。でも、天才ならば、初歩的ミスはしないよ。これ、ちゃんと物性物理に直したところで、正しい理論にはならないね。こうやって、ちゃんとした論文になってみたら解る。計算ミスがあるよ。これもまた空想の産物だったんだ」

 相川は慧が渡した論文を、丸めてぽいっと放り投げてしまった。

 多分、計算ミスがあったというのは嘘だろう。もしもそんな初歩的ミスがあったのならば、山田が何か言っていたはずだ。

 これはもう過去のもの。そういうことらしい。

 しかし、相川の言い分は納得できないところだ。天才ではないと言い切る男が、こんな回りくどい方法を採るとは思えない。それに、いくら当時は自粛ムードだったからといって、学生の作った理論を受け入れないというのは、どうなのだろう。

「ひょっとして」

 ゲームを思い出す。

 あのゲームの展開において、翔の理論は利用されそうになっていた。これが相川の身にも起ころうとしていた。そう考えることも出来るのではないか。

 慧が事実に気づいたことを察知した相川は、やれやれと肩を竦める。

「そう。こういう理論を集めて、原子力の正当性を訴えるという派閥もいたんだよ。核融合は必要な物だってね。山田先生はその当時、立場を明確にしていなかった。そこに俺の、あの論文が発表されるとどうなるか。山田先生の立場は肯定派ということになりかねない。素直に発表するのは、色々な意味で危なかったんだ。俺のせいで、恩師を危うい立場に立たせたくないしね」

「なるほど」

 そういうことかと、まだ裏があったのかと慧は驚いた。

 ということは、山田は知らなかったとすっ呆けていたことになる。全部知っていたのだ。

 これは、自分の立場を明確にする危ういものだと。当時の山田は直感していた。そして、相川はそれを敏感に察知した。二人の思惑は一致し、この奇妙な卒業論文が出来上がった。

 だからSF的な変な論文として貫き通した。いや、貫き通すことが出来た。たしかに本人が言った通り、立場を明確にしなかったのだ。

 しかし、よくよく考えれば解ることだった。相川はあの論文を卒論として提出し、問題なく卒業しているのである。ということは、山田はそれを正しいと認め、学位を認定したということだ。それが全く別分野の論文になっているにも関わらず、自分の責任で相川を卒業させている。

 まったく、さすがは教授にまで伸し上がる人物。食えない奴だった。

「面倒な時期というのは、どういうものにもあるんだよ。俺が人工知能を選んだのは、当時はまだ、研究分野として認められていない、異端の存在だったからだ。なんせ、ようやくウインドウズが普及し始めた頃だ。パソコンの性能なんてたかが知れていて、人工知能なんて夢物語だった。だからこそ、俺は選んだんだよ。他の煩わしいことに邪魔されない分野だと思ったんだ」

「そう、ですか」

 意外なほど消極的理由から選んだんだなと、慧は意外な気分になった。

 今回のゲームのような小細工を考えるのは、相川にはぴったりな気がしたというのに。

「だからさ。人間の適正なんて、よく解らないものだよ。何に興味があるのか、自分ではっきり知ることは出来ない。論文を加工する時に宇宙物理学を学んだけど、あれもなかなか面白かった。そして、可能性を狭めているのは、いつも自分なんだなって気づいたんだよ」

 そこで相川は、どうすると慧に問うてくる。

 最終的に決定するのは君だと、そう言っているのだ。

「俺は」

 どうすべきだろう。

 今、確かに人工知能が面白いと思っている。

 でも、今のままだったら、慧はまた言い訳してしまう気がする。

 あの時、相川に買収されたからだ。

 そんなこと、ずっと言いながら生きたくはない。

 ちゃんと決めなければ。

 将来を賭ける選択は、ゲームのように簡単に選択できるものではなかった。

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