第40話 追い詰められる
「あれは本当に、凄く都合のいい論文だったわ。軍として、これほど理想的なものはなかった。そのついでにあなたの経歴を調べると、さらに都合がいいと解った。
小さい頃からあなたの名前は、一部では有名だった。アメリカに七歳で渡り、十二歳で博士号を取得。そこからは目覚ましい功績を上げている。その年ですでに有名人というのは、広告塔として都合がいいわ。これほど適切な人材はいないわよ」
「褒められた気がしないね」
「だから、納得すれば見え方が百八十度変わるって。あなたは何もせずとも、この国を、いえ、世界を掌握出来るのよ。これほど素晴らしいことはないでしょ」
「世界なんて興味ないね」
だからそれを平行線というのだと、慧は頭が痛くなってきた。
いやはや、絶対に解り合えない状況とは、こうも厄介なのか。しかも妥協がこちら側にしかないというのが腹立つところだ。
しかし、常陸の言うことにも一理ある。翔が総てを承諾すれば、制限があるとはいえ、全員自由の身になる。理不尽に監禁されたり、恋人を人質に取られることもない。
金は使いたい放題で、何なら軍の奴らを顎で使うことも可能だ。しかも論文だけで国を動かすことも出来る。強大な権力を得るのと変わらない。それこそ常陸のいうように、世界を動かす独裁者になることだって可能だろう。
けれども、それは翔が他の総てを諦めることと引き換えだ。
これまでどういう人生を歩んできたのか、それは解らないが、少なくともそういう勝手な理論に手を貸したくないとは思っている。自分で作ったものが空想で、だから好き勝手書いたのだということを、ちゃんと理解しているのだ。
そして、そんなもので得られるものなんて、何一つ欲しくない。
「それとも、やっぱり強制されないと駄目なのかしら。例えばこの子、どうなってもいいの? 今なら簡単に殺せるわよ」
「卑怯だぞ」
具体的かつ容易にできるその行為に、翔がかっとなって怒鳴った。しかし、要求を飲めるかとなると、無理だと解っている。だから怒鳴るだけで終わった。
宇大は警戒して肩を押さえつけていたが、それは必要なかった。
「卑怯と言われても結構よ。正直、あなたがここまで頑固だったのが想定外だっただけ。ちょっと権力をちらつかせれば片が付くかと思えば、まったく頷かない。仕方ないから長期戦に持ち込んでいたけど、政治家の方がこの話の旨味に食いついちゃって、あんたが陥落する前に全部が整ったのよね。
どうすればいいのかなって思うわ。どうすれば素直になるか。悩んじゃうわ。で、この子でしょ。やっぱり。大切なのよね。孤立しがちなあなたの、最大の理解者なんだもん」
常陸は全く困っていない雰囲気だ。むしろ、こうなってくれて嬉しいという顔をしている。
ああやっぱり、あの怖い会話はこの時のためにあったのかと、慧は捕まっている湖夏に同情してしまった。
その湖夏は二人の会話を青ざめた顔で聞いている。恋人ということは翔の性格を熟知しているわけで、自分の身がどれだけ危険か理解しているはずだ。
最悪の気分だろうなと、慧はますます同情してしまう。
ところで、翔ってちゃんと恋人らしいことをしていたのだろうか。それが疑問だ。見ている限り、恋人なんて作りそうにないタイプなのに。
とはいえ、大事に思っているのは間違いない。今も顔が真っ青だ。
「湖夏を返せ」
「ならば、伊勢の用意した書類にサインして。あれはちゃんと、法務大臣から認可を受けているものよ。どこにも不法な要求はしていないわ。つまり、サインすればあなたは軍部の一人ってだけ」
「それは表面上だけだろ」
追い詰められていることは解る。
逃げ道をどんどんと塞がれている。
そして目の前には、翔と同じくらい青い顔をした湖夏がいて、選択肢は一つしか用意されていない。
「ああ。これってやっぱりバッドエンドなんだ」
もう少し早くから真剣にやるんだったと、慧は頭を抱えたくなる。が、そんな時に突然、選択画面が現れた。
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