第34話 恐怖

「まさか、この階にも誰か捕まっているのか」

「ああ。だから同じ廊下だというわけか」

 ひょっとしてと、二人の顔が真剣になる。

 まだ出会っていない翔の彼女、白川湖夏はここにいるのではないか。

「ああ。そう言えば、どの階かは知らないな」

 そして慧も、ひょっとしてという気分になる

 。湖夏は一度出てきたが、それは常陸と会話しているシーンだけで、どこにいるかは示されていなかった。地下だという思い込みしかなかった。

「後ろはまだ大丈夫だな」

「ああ。佳広に誓約書のサインでもさせているんだろ」

 二人は近江が追って来ないことを確認し、ゆっくりと廊下を進み始める。やはりここも、ドアが連なっていた。しかし、窓はあるが鉄格子は見当たらない。それに、人がいる気配がなかった。

「ここも防音されているはずだな」

「ああ」

 また静かな空間だと、翔は焦りを覚える。

 まるで迷宮のような建物だ。

 もちろん、廊下には窓があるので、外の光が入り込み、ここが地下ではないと頭では理解できる。しかし、感覚はあの地下に戻ってしまったのではないか。そう感じてしまうのだ。

「怖いのか」

「まあね」

 宇大のからかいに似た言葉に、翔は当たり前だろと頷いた。おかげで、宇大は困惑した顔になる。

「まあ、そうだよな。それだけ色々とされちゃあ、恐怖を感じるか」

 配慮が足りなかったと宇大は頭を掻く。

「ああ。いつ、強制的に誓約書にサインさせられ、あいつらの好きに使われるようになるか。本当はいつもびくびくしていた。どれだけ必死に抵抗したとしても、これだけ拘束されてちゃ、出来ることなんて少ない」

 佳広がすでに忠誠を誓ったはず。その事実に、翔は弱音を吐き出していた。

 あの、外の音は監視の靴の音だけという空間で一人、しかも身動きを封じられて閉じ込められていた。その孤独は、想像以上に辛いものだった。

 絶対に首を縦に振ってなるものかという思い以上に、ここから解放されたいという思いが強かったのも事実だ。

「まあな。明らかにこっちの気力を削っているもんな。奴らもすぐに忠誠を誓えって脅すことが出来たはずなのに、今まで待っていたんだもんな」

「それに関しては、おそらく、政治家の説得に時間が掛かっていたんだろう。それこそ、内閣総理大臣にまで話を通すためのね。理論だけでは無理なことは、素人にだって解る。具体的に進める方策を示す必要があるんだよ。

 だから、熊野と助手の小牧が加わっているんだ。二人が知恵を絞り、どうすれば実現可能だと信じさせることが出来るか、検証しているんだ。この計画書のようにね」

「なるほど」

 翔の手元にある計画書。それはまさしく、説得するために肉付けされた理論である。つまり、司門と梨々がすでに軍部の頭脳として動いている証拠なのだ。

 実際、丹波は翔がお偉いさんかと訊いた時、否定しなかった。

「そして今、総ての手筈は整った。だから熊野が俺の前に現れたんだ。もう逃げ場はないぞと示すためにね。かっとなって逃げてきたが、正解だったみたいだな。そもそも、熊野は拷問してでもサインさせるつもりだったし」

「ほう。相変わらず性格の悪い奴だな。というか、あれを根に持ってそんなことまで考えたってのが怖い。学者に向いていないんじゃないか」

 宇大はマジかと肩を竦めていた。それと同時に、差し迫った問題の大きさも理解する。

「捕まったらマジで終わりだな。一生、大学に戻ることはないんだ。ここでずっと働かされる。二度と自由はないんだ。死ぬまで軍にとって有益な論文を書く羽目になる」

「ああ。それに捕まったら、誓約書を書いて終わりってこともないぞ」

 司門は必ず、これまでのことに対して懲罰を与えるべきだと主張するに決まっている。実際、近江には危害を加えてもいいという許可が出ているのだ。命こそ取られないが、何をされるか解ったものではない。

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