第32話 残酷な選択肢

「そういう礼儀に煩い奴なんだな。翔って。ちょっと意外な気がする」

「そりゃあ、小さい頃から大人ばかりの世界だったからさ。下手に下の名前で呼ばない方がいいってのは、自然と学習するよ。相手のプライドは尊重すべきだからね」

「確かに。頭の固い人は煩そうだ」

 軽口を叩き合う翔と宇大の様子にほっとすると同時に、このリアリティ必要かとも思うのは、慧が捻くれているからだろうか。

 軽口もそうだが、会話の内容も、現実世界に則しているものばかりだ。臨場感を出すための演出ということか。やはり、映画を見ているような錯覚に陥る。

「おや。楽しそうですね」

 そこに、またしても余計な奴が登場する。

 このゲーム、団結しようとすると闖入者が現れるようになっているらしい。

 性格が悪いなと、慧は相川の顔を思い浮かべていた。

 あの綺麗な顔で、何という捻くれたゲームを作っているのやら。

「近江」

「お待たせしました。どうやら皆さん、口で言っても解らないタイプらしいと、伊勢から報告を受けましてね」

「――」

 近江はすでに、刀を抜き身で持っている。それと楽しむようににやにやと笑う口元から、すでに上司から許可を得ているということだろう。先ほどの言葉を実行するつもりだ。

「くそっ」

 脱兎とは、こういう時に使うのだろうなと慧は思う。

 三人は悩むまでもなく走り出していた。しかし、手錠をされたままの翔は明らかに不利だ。ここに来て、それを実感した。本気で逃げるとなると、腕を振れないのは辛い。駆け足と長距離を走るのは違うのだ。

「翔」

「大丈夫だ」

 心配する佳広に、翔は何とか笑う。しかし、額には汗が滲み出ていた。腕を使わずに走るのは想像以上に難しいのだろう。無理をしている証拠だ。

「別れよう。このまま同じ方向に逃げていても駄目だ」

「お前、それって」

 宇大の提案に、翔はまたかと驚く。

 もちろん、慧も驚いた。が、状況が今回は違う。近江は確実に三人に危害を加えるつもりだ。証拠に、近江は先ほどとは違ってどんどん躊躇いなく距離を詰めてきている。

 と、そこに選択画面だ。

 しかも今度は宇大を置いて行くか、佳広を置いて行くか。そんな残酷な選択だ。確実にどちらかを見捨てなければならない。

「くそっ。ここで宇大と別れるのは痛いんだよな」

 とはいえ、三人でいればすぐに捕まる。しかし、佳広を見捨てるのはかなり不安だ。が、戦力としては宇大がいい。翔の気持ちが不安定になりやすくなっている今、佳広と二人きりになるのは危険だ。

「ああ。さっきの雑談が余計に胸に罪悪感を生んでくれるな」

 そう呟いて、だからあれが必要だったのかと気づく。

 なかなか手の込んだ、そして厭味ったらしい作りだ。三人の関係性を知っていると、安易な選択ができなくなる。その悩みを生むためだったのだ。

「でも」

 脱出が最大の目的だとすれば、ここで情に流されるわけにはいかない。

 慧はぎゅっと唇を噛むと、佳広を選択した。

「俺が残る。宇大は翔についていてくれ」

「お、おい」

 宇大が止める間もなく、佳広が逆方向に走り出した。それに、翔が手を伸ばして止めようとするが、宇大が首根っこを掴んで止めた。

「走れ。お前が取られたら負けなんだ。佳広はそれを理解して、残るって決断をした。将棋やチェスと同じなんだよ。お前はここでは王将でありキングなんだ。相手に取られたら俺たちも終わる。総てはお前に掛かっているんだ。解るか」

「――」

 宇大がなぜ残ると言い続けるのか。佳広がどうして、すぐに近江を止めるために走ったのか。その二つは同じ意味だと知り、翔は俯く。しかし、足は止めなかった。

 いや、ちゃんと理解したからこそ、振り向くことも立ち止まることもしなかった。計画を止めたいのならば、絶対に捕まってはいけないと、固く決意する。

「坂井は、とっくにその点に気づいていたんだな。俺が捕まっている状態では何をしても意味がない。それを、解っていたんだ」

 上の階に上がり切り、近江がまだ追って来ないことを確認してから、翔がぽつりとつぶやいた。

 どうして佳広は無抵抗だったのか、それはすれに翔がここに捕まってしまったからだった。自分では何一つ変えられないことを、佳広は真っ先に気づいていた。

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