第9話 苦手意識

「ねえ。湖夏ちゃん。あなたなら理解しているはずよ。このまま手をこまねいていてはダメだって。問題をこれ以上先送りは出来ないのよ」

「それは」

「ねえ。味方になってよ」

 おやおや。常陸は湖夏を陥落させたいらしい。

 責め所としては悪くないが、そうなると、こっちが湖夏を動かせない。

「だから嫌だって言っているでしょ。あんたたちの馬鹿げた計画には乗れない。あんたたちがやろうとしていることは、問題を大きくするだけよ。いずれ、翔が何とかしてくれる。もっといい方法があるはずだもの」

「ふうん。でも、あなたも翔君頼みってことね。それじゃあ、私たちと一緒よ」

「――出て行って」

 まあ、ケンカになるよなと、慧は苦笑してしまった。

 それにしても、本当に凄いリアリティだ。会話はとても滑らかで、アニメでもここまでテンポよく進まないだろう。まるで実写映画を見ているかのようだ。

「ううん。色々と複雑な設定があるみたいだな。ていうか、どうなってるんだ。説明しろよな。っと、その前に、セーブはどこだよ?」

 放っておいたら、選択画面のところで止まるだろう。

 そう思い、慧はごろりとそこ場に寝転がった。布団はすぐそこ、ごろごろと転がるまでもなく到着する。

「音声だけでも聞いていれば大丈夫だよな」

 そう思ったが、今日一日の内容が濃すぎた。波瀾万丈だった。おかげで布団を被ったところで、すぐに眠ってしまったのだった。




 翌日。

 ゲームが付きっ放しであることも忘れ、慧は家を飛び出していた。

「やばっ」

 朝から彩乃の補習授業があるんだったと、昨日から触っていないカバンを掴み――この中にはノートと筆記具が一応は入っている――スマホと財布をポケットに詰め込んで大学へとダッシュした。

 まったく、いくら忙しいからって、朝の七時半に呼び出すのは止めて欲しいところだ。ゲームをする時間が夜しかない以上、早起きは辛い。

 せめてもの救いは、一人暮らしのアパートから大学まで徒歩十五分ということか。猛ダッシュすればギリギリに出ても間に合う。

「せ、セーフですか」

 相川の研究室に駆け込むと、すでに彩乃の姿があった。彩乃は腕時計をちらりと確認して

「そうね。三分は許容範囲」

 と、厳しい一言だ。

 が、よく三分で済んだものだと、慧は頭を掻きながら思う。

 正直、起きた時間から考えると、巻き返すのは難しい時間だった。要するに、起きたのは七時十五分だった。

「あの」

「座って。まずはどのくらい覚えているかテスト」

「は、はい」

 反論の隙が無い。

 慧は言われるまま、昨日は相川が座っていた丸椅子に腰かけた。目の前の机は、彩乃が片付けたのか使えるようになっている。

「まずは工学基礎から」

「は、はい」

 と言われて渡されても、慧は昨日の内容を思い出せない。とんでもなく詰め込まれたどれかだと思うが、はて、どれなのやら。

「まさか、忘れたの?」

 シャーペンを持って固まる慧に、彩乃は冷たい。

 そんな一発で覚えろなんて、無茶にもほどがある。それこそ、あのゲームの主人公並みの頭脳が必要なのではないか。

「君、高校の頃は数学が得意だったんでしょ?」

「へっ、ええ、まあ、一応は理系クラスでしたから」

 どうして知っているのかと思えば、大学入試の成績を見たのだという。

 ああ、総てが筒抜けなんだったと、朝からテンションが下がる。

 弱点と恥を総て知られているようなものではないか。

「冷静に、微分積分を思い出して解きなさい」

「は、はあ」

 しかし、まさかのアドバイスを頂き、慧はもう一度、謎の工学基礎の問題へと目を落とした。

 たしかにこれ、微分積分で解ける問題だと気づく。なるほど、大学の講義内容は難しくて無理と、頭から拒否しているせいで、解ける問題まで解けないように見えていたらしい。

「出来るわね。ちなみにそれ、昨日は教えていないわよ」

 すらすらと解き始めた慧に、彩乃はそんなことを言う。

 底意地悪い。

 しかし、久々に自力で解くことが出来た。それはとても気持ちいい。

 こんな感覚も忘れていたんだなと、基本的なことを思い出すことが出来た。

「俺って」

 数学、まだ好きだったんだな。

 もう二度と解けないって思ってたのに。

「出来ないって思い込み過ぎなのよ。今日は徹底的に微積をやるわよ。リハビリだと思って頑張りなさい」

「はい」

 そう言われると、なんだか気持ちがすっと楽になった。

 理解できない。だから解けない。

 完全に頭から、大学の講義というものに拒否反応を示していた。それが、リハビリだけれども、彩乃と一緒に勉強を進めるうちに、嘘みたいに氷解していく。なんとも不思議な気持ちだ。

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