第2話 変人相川

「あれ、珍しい?」

 しかし、予想に反して愚痴はすぐに終わってしまった。

 何が珍しいのか。擦り付けていた額を机から離し、顔を上げた。悠月が見ているのは教室の入り口だ。そこに、真っ黒な服装の人物が一人。付け加えると長身の男だ。

「変人相川」

 慧は思わず声に出して言ってしまった。すると、相川がこちらを見る。慧は思わず首を竦めた。悪口を聞かれたと思ったのだ。

「そこの君。たしか牧野慧だったな」

「へっ」

 しかし、その変人になぜかフルネームで呼ばれる。当然、慧は間抜けた声を上げた。横にいる悠月も、何で知ってんだという顔で二人の顔を見比べている。

 というのもこの相川という男、フルネームは相川成人あいかわなりとといい、学生ではなく教授だ。詳しく述べるならば、工学部情報学科に所属する、人工知能を研究している教授だ。

 年齢は四十一。身長百八十センチ痩せ型で、そしていかにも理系な雰囲気の持ち主であると書けば、外見の説明は大体が説明が終わる。

 付記するならば、なかなかのイケメンで腹立つということぐらいだ。

「そうですけど。俺に何か用ですか?」

 無視するわけにもいかず、他にも駄弁っていたグループからの視線も集まり、慧は立ち上がって相川の傍に行った。

 こうして並ぶと月とすっぽんって感じがして嫌なものだが、注目の的になるのも嫌だから仕方がない。

「よかった、見つかって。実は君に頼みたいことがある」

「は?」

 教授自ら頼みたいこと。

 それも疑問だが、なぜ相川が一学生である自分の名前を知っているのか。しかも、慧はまだ三年で、研究室に所属していない。もちろん、そろそろどこに入るか決めなければならないが、相川の研究室に入ることはまずないと言っていい。

 そもそも学部が違うのだ。有名な教授だから名前は知っているが、それ以外の情報は知らない。講義も取ったことがない。ということで、相川と個人的付き合いなんて全くない。

 それなのに相川は知っていた。ありとあらゆることが謎だ。

「あの」

「詳しい話は俺の研究室でやろう。いやあ、よかった」

 勝手に話を進める相川は、慧をそのまま引っ張って行こうとする。

いやいや、何一つ納得していませんが。

「せめてカバンを」

「ああ。そうだね。横の素敵な君。彼、今日一日休ませるから、代わりにノートを取っといてあげて」

 わたわたとカバンを取りに戻った慧にくっ付いて来た相川は、悠月にそんなことを言う。

 いや、休ませるってどういうことでしょうか。

 しかも今、さらっと口説きましたよね。

 教授権限にしては横暴だ。

「は、はい」

 が、悠月は相川の味方に付くことにしたらしい。

 まあ、相手はイケメン若手教授。片や慧は約束を破った冴えない最悪男。どっちに付くかなんて、悩む暇さえ与えなかっただろう。

「教授たちには後で俺が事情説明しておくから。じゃあ」

 そして、当事者であるはずの慧は、一言も発する間もなく相川の研究室に拉致されることになるのだった。




 研究室にも個性が出るんだろうなと、初めて入った相川の研究室を見て思う。しかし、これは個性で片づけていいのだろうか。

 はっきり言って、想像以上に汚かった。

 書類に埋もれた机。パソコンの周りは辛うじて片付いているが、明らかに昨日着たと思われるワイシャツが椅子に引っ掛けてあった。そのワイシャツも、もちろん黒色だ。

 他に本棚だった場所には本が無理やり自由気ままに詰め込まれ、もはや倒壊寸前。下には段ボール箱があり、そこにも本と書類が雑多に詰め込まれている。

 その上には、使用済みではないと信じたいボクサーパンツ。その隣の段ボールも同じ状態だが、その上にはソックスがあった。完全にここで脱ぎ散らかしている。

 この男、ここで生活を完結させているのか? 家に帰らない主義なのか?

 謎が深まる。

「まだ片付いている方なんだけどな」

「はあ」

 呆れられていると感じ取った相川が、そんな苦しい言い訳をしてきたので、曖昧な返事を返しておく。

 きっといつでも片付いている方だと主張するに違いない。

 それにしても、散らかり過ぎだ。これで片付いている方だというなら、慧の一人暮らしの部屋は、かなり片付いていることになる。

「まあまあ、ここに座って」

「はい」

 まだ安全だと思われるパソコン前の椅子を、相川は勧めてきた。

 たぶん、汚い自覚はある。どこもかしこも危険な香りがしている。そういうことだ。

 イケメンの意外な弱点だった。

「でだね」

 その相川は、どこからか発掘してきた丸椅子に座り、何事もなかったかのように話を始めようとする。

「いや。でだね、じゃないですよ。一体何なんですか?」

 慧は待ったと、相川の前で手を挙げて振り回した。この人、自分の世界しか見えてないんじゃないか、そんな懸念からだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る