第6話 三日目
調査二日目。結局その後は何もなかった。商店街で適当に昼飯を済ませ、私は老人の家へ向かった。休日なら日中でも目立たずに歩き回れる。一カ所にとどまらず、老人の家を中心に歩き続ける。時々、自動販売機の周りで休憩を取る。
一度だけ、老人が玄関から出てきたが、ちょっとだけ庭のプランターをいじって、すぐに家の中に戻って行った。
やっぱりあの老人が犯罪に関わるとは思えない。
張り込みは午後六時ごろまで続けた。あたりが暗くなったので、家の前まで接近して、ぐるりと周囲を回ってみる。家の裏手に回ると、シャワーを使う音がする。風呂に入っていたらしい。今日はもう、外出することもないだろう。張り込みはここで切り上げることにした。
昨日と同じインターネットカフェに戻る。昨日と同じボックス席に入り、パソコンを起動する。インターネットで「〇〇町 田中 被害者」で検索する。関係のなさそうな記事やサイトがずらずら出てくる。次に「〇〇新聞 田中 殺人」で検索する。地元の地方紙なら何か事件の記事が見つかるかもしれない。しかし、それらしいものはない。
パソコンの電源を落として横になる。結局、探偵が何を考えてこんな事をさせているのかはまだわからない。明日になったら何かわかるのだろうか?
明日。明日は母の命日だ。
母は今、家の近所にある寺の合同墓で眠っている。昔から知ってる住職が骨壷のまま預かってくれてる。いつか迎えに行く。そう、あの男にきっちり償いをさせたら。それまでは母に合わせる顔がない。
この調査で何か手がかりを掴まなければ。
だが、あの老人、田中さんは男を匿うとか、逃すなんてことはしないと思う。そんな人には見えない。直接接触して、事情を話せば協力してくれるのではないだろうか?
――証拠が揃って確信が持てるまでは、判断を保留しろ。何度も言ってんだろ、人を見た目で判断するんじゃねぇ。
わかってる。わかってるよ。だけど、どうしてもそんな風には思えないんだ。
腕時計のアラームが鳴る。午前六時半。シャワーを浴びる。軽食を済ませ、店を出る。
午前七時半。田中さんの家の前に到着する。
ぐるりと周囲を回って、異変がないか確認する。何もない。さて、また今日もあの喫茶店のお世話になるか。
その時、田中さんの家のドアが開いた。思わず足が止まる。田中さんはゆっくりした動作で玄関を出る。今日はスーツにネクタイ、それにアルペンハットを被り、手にはサイドバックを持っている。明らかによそ行きの格好だ。
胸が高鳴る。緊張で肩に力が入る。大きく息を吸って、深呼吸。よし、いける、大丈夫だ。ゆっくりと足を進める。
田中さんの足取りはゆっくりしている。後ろからついていくのは不自然だ。しばらく遠巻きに様子を見て、行き先を予想する。方角的に、あの商店街方面だろう。この時間に家を出るということは、遠出になる可能性が高い。目的地はきっとバス停だ。
田中さんの通るルートを避けて、バス停まで急ぐ。たぶん、田中さんのペースなら十分程度でやってくるだろう。十五分待って田中さんが現れなければ、引き返そう。
バス停には誰もいなかった。時刻表を確認する。平日ならこの時間は十五分に一本のペースでバスが来るが、休日は三十分に一本となっている。今の時刻は午前七時四十分。次のバスまであと二十分以上ある。田中さんがバスに乗るならきっとこれだろう。
待合のベンチに腰掛けて、田中さんが現れるのを待つ。
十分ほどして、田中さんが姿を現した。ゆっくりとした足取りで、バス停に近づいてくる。
田中さんは時刻表を見つめ、小さくうなづく。振り返って私の存在に気づく。私は少し身体をずらして、ベンチのスペースを広げる。
「ありがとう」
田中さんは帽子に手を当て、軽く掲げて、ベンチに腰掛けた。
私は背負っている小さなビニールバッグから文庫本を取り出す。文庫本を読むふりをしながら動きを待った。
バスは定刻通りにやってきた。田中さんが立ち上がる。文庫本をカバンに入れ、私も立ち上がる。
バスには私たちを除いて二、三人の乗客がいた。誰もこちらに注意を払わない。田中さんも特に不審な動きをすることなく、適当な席に座る。
――密閉された場所にいる時は、対象を目で捉えながら、できるだけ全体を見渡せる場所に座れ。そうすれば対象が多少移動しても、カッコ悪く慌てることもない。
後部の窓際の席に座る。タイヤの上で一段高くなっていて、バス全体を見渡すことができる。
心配すんな、ちゃんとやってる。
バスは循環線だ。街の主要な場所を巡っている。次の停車場所は駅。他の乗客が身支度をする。老人は微動だにしない。駅のバス停を過ぎると、老人と二人きりになった。駅から乗る人はいなかった。そこから三つのバス停を過ぎる。
「次は妙山寺。妙山寺」
田中さんの手が動く。私は田中さんより早く停車ボタンを押す。田中さんは不思議そうに顔を上げる。私は文庫本を読むふりをしてやり過ごす。
バスが止まると、すぐに席を立つ。田中さんより先にバスを降りる。
バスは寺の門前に停まっている。これが妙山寺なのだろう。私は寺から離れ、一区画先の角を曲がる。時刻は午前八時三十五分。バスが走り出すまで待って、田中さんの姿が見えなければ、寺の中に入ってみよう。
バスが走り去る。時刻は午前八時三十七分。田中さんは出てこない。後一分だけ様子を見る。三十八分。よし、行こう。
門の前から寺の中を伺う。田中さんの姿は見えない。境内に入ると、墓地はこちら、と案内が出ている。なんとなく、田中さんはそっちにいる気がする。
ゆっくりと、注意しながら墓地に向かう。寺院を過ぎて裏に回ると、墓石や卒塔婆が立ち並んでいる。墓地は死角が多く、隠れるのには向いているが、探すのには気を使う。墓石で周りがよく見えない。
あたりを見回しながら進むと、背後から人の気配がする。足音だ。すぐに古い墓石と植木の間に身を隠す。
歩いてきたのは田中さんだった。手にはバケツを持っている。どうやら水を汲みに行っている間に追い越してしまったらしい。
息を殺してやり過ごす。田中さんは私の隠れている場所から少し進んだところで立ち止まる。
「なかなか顔を出せなくて悪かったな」
喫茶店で聞いたのと同じ声だ。
「最近は足も腰も痛くて、ここまで来るのもしんどいんだ。勘弁してくれよ」
水をかける音。それから墓石を擦る音。
「しまった、花を持ってくるのを忘れた。父さんはダメだな。やっぱり母さんがいないと。絶対何か手落ちがあるんだ」
しばらくして、マッチをする音がする。
「レイコ、それにミク、そっちで仲良くやってるか?ごめんなミク、本当は一周忌できちんと法要をあげてやりたいんだが、カオルちゃんがまだ見つからないんだ。カオルちゃんの無事がわかるまで、お前もなかなか安心して寝てられないだろ?」
田中さんの声が震えている。私の身体も震える。
ミク?カオル?一周忌?どういうことだ?田中さんの娘さんは何年も前に亡くなったんじゃなかったのか?今日が一周忌ってことか?それに名前。ミクは母さんの名前だ。それにカオルは私の名前。
「レイジ君は大丈夫だって言ってくれるが、カオルちゃんが心配でならんよ。レイコ、ミク、頼むからカオルちゃんを守ってやってくれ」
田中さんの嗚咽が聞こえる。
「死ぬまでに一目でいいからカオルちゃんに会いたいなぁ。なんで、私はあの時……」
思わず私は立ち上がっていた。田中さんはこちらを見て驚いた顔をしている。目が涙に光っている。
「あんた……」
「あ、あの怪しいものではなくて……。あの、飛鳥礼司の助手で……じゃなくて。いや、助手は助手なんですけど。えっと……あの、私、立花薫です。初めまして」
「立花?……いや、でも、あんた」
「いや、あの、こんな格好してますけど、私、女です。薫なんです。えっと……」
頭をかく。短く刈り上げた髪がジョリっと鳴る。ダボダボのパーカーに黒のジーンズ。細く剃った眉。ぱっと見は男にしか見えないだろう。
「……きちんと説明してくれないかな」
「あ、はい。……あの、私も聞きたいことが沢山あります」
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