第7話 飛鳥法律事務所
時刻は午後六時半を回ったところ。事務所の電気は消え、人の気配はない。背中のビニールバッグから鍵を取り出す。
「あれ?」
鍵を回しても手応えがない。ドアノブに手をかける。ドアが開く。鍵をかけ忘れた?いや、そんなはずはない。戸締りはきちんとしている。
中を覗き込む。事務所の中はがらんとしている。荒らされたような様子はない。恐る恐る中に入る。
「よう、お疲れ」
声に飛び上がる。窓際の机に探偵が――飛鳥礼司が座っている。
「それで、どうだった?あのじいさんとお前の事件の関係、わかったか?」
「……わかったよ」
「よし、じゃあ、一から説明してみろ」
「あんた、ほんと性格悪いね。最初から言ってくれれば……」
「そんなことは聞いてねぇよ。それで?あのじいさんと事件の関係性は?」
「……調査対象は田中真一。七十五歳。事件の被害者の立花未来の父で、立花薫の祖父」
「よし、正解だ」
「なんでこんな回りくどいことすんだよ!」
「なんでだと思う?」
「しらねぇよ!」
「馬鹿かお前。頭使えって何度言えばわかんだよ」
「……この調査に何かあんたの意図があるってことはわかる。でも、なんでこんなことをするのかは分からない」
「そうか、そいつは残念だな。どこからおかしいと気づいた?」
「調査を始めた日の夜。調査しろって言われたけど、情報が少なすぎる。張り込みするにしても、一人じゃ無理だ。尾行しろって言ったって限界がある。こんな方法じゃなんの調査にもならない。そもそも、何のための調査かも分からない。だからあんたには別の目的があるんだと思った」
「ほう、初日から気づいたのか。上出来、上出来。それで、その後どうした?」
「あんたの本当の目的がどうであったとしても、私の手元にある手がかりは田中さん――調査対象だけだと思った。あんたに問いただしたところではぐらかされて終わるだけだし。だから調査を続行した」
「まぁ、冷静な判断だな」
「そこから先は運が良かっただけだよ。張り込みに使った喫茶店に田中さんが来たんだ。それで、店主にかまかけて、情報を聞き出した。娘さんが亡くなってるって。ただ、店主は亡くなったのは十数年前って言ってたけど」
「立花未来は駆け落ちしてお前を産んだんだよ。18の時だ。親父さんはその時、娘は死んだことにしたんだろ」
「……全部知ってるわけね」
「それで?それからどうした?」
「……その話を聞いて、田中さんは被害者の家族なんじゃないかって考えた。あの男が十数年前に田中さんの娘さんに付きまとってたんじゃないかって。それが原因で娘さんは亡くなった。田中さんは昔のあの男を知っていて、私はそれを調査しろって言われてるんだって」
「素晴らしい!見事なもんだ。もうほとんど正解じゃないか!」
「それで、今日、田中さんと話した。私は孫の薫で、無事に生きてるって。あんたのところで男のフリして、身を隠してたんだって。田中さん、怒ってたよ。あんたに私を探すように依頼してたのに、手元に置いて隠してたなんて、って」
礼司さんは鼻を鳴らした。
「ちゃんと無事だって報告してあるし、心配しなくてもそのうち会わせるって言ってあったのにな」
「田中さんに私のことを教えなかった理由はわかってる。あの男がまだどこで何してるかわからなかったからだ。私は母さんが刺された現場にいて、あの男の顔を見てる。生きる証拠だ。証拠隠滅のためにあいつが襲ってくるかもしれない」
「大事な情報は胸の内に閉まって、外に出すな、ってことだ」
「それはわかるよ。でも、なんで今?なんで今、田中さんと私を会わせたの?」
「……テレビ、つけてみろ」
探偵がソファの上のリモコンを指さす。私は暗い事務所をゆっくり進み、リモコンを手に取ってテレビをつける。
部屋の角、天井の近くにつけられたテレビが光を放つ。
「……男性は手足を縛られ、口にテープを巻かれた状態で発見されました。念のため、病院に入院していますが、大きな怪我はないとのことです。この男性の所持品からは、男性と複数の殺人、傷害事件との関係を示すものが大量に発見されました。また、県警の幹部がこの男性に関わる事件の揉み消しを行っていたという証拠の資料が報道各局に届けられています。県警本部はこの男性を殺人及び障害の疑いで事情を聞いています。」
「……なにこれ?」
テレビの画面にはあの男の顔が映し出されている。切長の目。眉の上の傷。全て記憶の通りだ。
「どうやら、あいつは捕まっちまったらしいぞ。それに、あいつのやったことを隠した悪いお巡りどもも、告発されたみたいだな」
「あんたがやったの?」
「おいおい、滅多なこと言うなよ。現行犯以外の私人逮捕は逮捕・監禁罪に問われるんだぞ?俺が犯罪に手を染めるとでも?」
探偵は例の笑顔を浮かべる。その顔はテレビの明かりで妙に白く、力なく見える。
「あんた……」
探偵が床に崩れ落ちる。驚いて駆け寄ると、探偵は力なく笑う。
「ちょっと滑っただけだ。そんな顔すんなよ」
探偵の体に手を伸ばす。暗くてよく見えないが、手が何か、暖かいものに包まれた気がした。地面に溜まった赤い血が見える。
「おまえ、早く髪伸ばせよ。眉毛もな。そしたら未来そっくりなんだから」
探偵の顔が母さんの顔とかぶる。誰かが叫び声をあげている。多分、私の声だ。世界が白黒になる。
いや、ダメだ、しっかりしろ!今はダメだ!
探偵は目を閉じて、ピクリともしない。
私は立ち上がり、机の上の電話機に手を伸ばす。
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