第5話 二日目②

結局、今日も例の喫茶店に来てしまった。ここの立地は理想的だ。スーパーに、商店街、バス停まで視界に入る。これ以上ないロケーションだ。

時刻は七時半を過ぎたところ。モーニングセットを頼むと、トーストにスクランブルエッグ、味噌汁におにぎり一個、それからコーヒーが次々出てくる。時間をかけて全て平らげ、昨日古本屋で買った文庫を開く。内容は全く頭に入って来ない。タイトルも覚えていない。本を読むふりをしながら、通りを眺め続ける。

午前九時を回ったところで、喫茶店のドアベルが鳴る。顔をあげると、そこには老人が立っていた。調査対象の老人だ。老人は店内をじっくり見回す。私は開いた文庫本に目を落として、顔を伏せた。

「今日も大盛況だね、マスター」

「おかげさまでね」

店主と老人が笑い合う。

――だから言ったろ。こういう喫茶店は近所の常連で続いてるんだ。調査対象が常連じゃないってなんでわかる?

うるさい!

老人はモーニングを頼んだ。

「トーストとスクランブルエッグ、それとコーヒーだけで良い。おにぎりと味噌汁は勘弁してくれ」

「おいおい、うちのサービスにケチつける気かい?」

二人はいかにも昔馴染みと言った風情だ。後で店主にあの老人が何者か聞いてみても良いかもしれない。さりげなく。なんでもない風に。

老人はゆっくりとした動作でパンをかじり、スクランブルエッグをすくう。

その所作や佇まいはごく普通の老人そのものだ。やはり、犯罪と関わるような人には見えない。

――おいおい、犯罪に関わるような人ってなんだよ?犯罪者はみんなヤクザみたいな顔してると思ってんのか?

うるさいな!そんなのわかってるっての!いちいち口出ししてくんな!

だが、それでもやっぱりこの老人が犯人と繋がっているようには思えない。根拠はない。直感的にそう思うのだ。

――勘で判断できるようになったら立派に一人前だ。もう独立しても良いんじゃないか?

あぁ、もう、あの皮肉な笑顔が浮かんでくる。

老人は一時間ほど滞在して、店を出て行った。店の窓からバス停とスーパー方面を観察するが、老人の姿は現れない。住宅地の方へ入って行ったらしい。

「おかわり、いかがです?」

店主がポットを片手にやってくる。

「ありがとうございます。いただきます。……あの、さっきの方、学校の先生じゃないですか?田中先生じゃないかと」

「先生?違うよ。あの人はエンジニアだったはず。でもあの人も田中さんだ」

「あれ?違いました?よく似てたのでてっきり。その先生もこの辺に住んでて……、奥さんと娘さんが一人いるんだったかな」

「この近所で田中ってのは二、三軒あるけど、学校の先生は知らないなぁ。さっきの人は確か娘さんが一人いたけど、二十年近く前に亡くなってるはずだし」

「そうなんですか。じゃあ人違いですね。娘さんを亡くしてらっしゃるんですか……お気の毒に」

「そうだねぇ。人間、生きていれば悲しいことはたくさんあるからねぇ。あの人は偉いよ。去年、奥さんも亡くしてるんだけど、それでも一人できちんと生活してる。俺が腐ってたら向こうで叱られちまう、なんて言ってさ。人間、あんな風にまっすぐ強く生きなきゃねぇ。あんたも腐ったりしてないで、強く生きなよ」

適当に店主に話しを合わせ、午前十一時半に店を出た。

あの老人。田中さん。事件の関係者。

関係者っていうのは、被害者も含まれるのだろうか?二十年近く前に亡くなった娘さんがあの男の被害にあった、なんてありえるか?

あり得る。あの男ならやりかねない。

喫茶店を出て商店街を歩く。平日の日中と違って、多少人通りがある。店員も呼び声をあげている。辺りには食べ物の匂いが満ちている。

土曜日。あの日も土曜日だった。

父さんが死んでから、母さんはスーパーのパートととスナックを梯子して働いていた。小さなスナックで、来るのは常連ばかり。母さんはいつも楽しそうに仕事をしてた。そこにあの男が現れた。最初は客だった。だけど気づくと母さんにずっと付きまとうようになった。母さんが男を避けるようになると、男は店に来て暴れた。男は店を出禁になった。すると仕事終わりを待ち伏せるようになった。母さんは警察に相談するのを嫌がった。刺激したくないからと。相談したのは私だ。その次の日、母は刺された。男は逃げた。男の顔は覚えている。警察に訴えたが、なぜか無視された。母の同僚に聞くと、男は県の警察幹部の息子だったらしい。だから母は警察に相談しなかったのだ。母は代わりに探偵に相談していたらしい。だから私もその探偵を頼ってみることにした。姿を隠した男を見つけて、罪を償わせるのだと。

探偵。だらしがなくて、不潔。怠け者で、いい加減。口が悪くて、手癖も悪い。最悪の男だ。

だけど、助けてくれた。これまで一年、隣で見てきて、あいつはいい奴だと確信できる。そりゃ、囮にされたり、騙されたり、借金の肩代わりさせられそうになったり、ヤクザにお酌させられたり、色々あった。色々あったけど、色々あったからこそ、あいつは信頼できる。信用はできないけど。

探偵が私に田中さんを調査させる意味はまだわからない。だけど、とりあえず後一日、できることはやろう。

時刻は午後十二時半。商店街には食べ物のいい匂いが漂っている。気が抜けてお腹がなる。大きな音だ。思わず笑みがもれる。

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