第3話 一日目


電車に乗って二駅。そこからバスで二駅。さらに歩いて三十分。古い住宅街の一角に老人の家はあった。

スマホがあればもっとすんなり来れたのだろうが、この一年で通信が止められてしまっている。探偵はスマホやパソコンなんて持ってないから、近所のネットカフェに行って調べなければならなかった。

持ち物は背中のバックパック一つ。それから写真。パーカーのポケットから写真を取り出す。温和そうな老人だ。この人が母さんを殺した犯人とどんな関係があるのだろう。

探偵は詳しいことをなにも教えてくれなかった。嫌な奴だ。だが、構うもんか。私がこのじいさんの正体を暴いて見せる。

とはいえ、いきなりチャイムを鳴らして問いただすわけにもいかない。とりあえず、老人を見張って様子を見るしかない。三日間。うまくいけばその間にあの男と接触できるかもしれない。期待に胸が膨らむ。

みててよ、母さん。

まずは周囲を観察する。閑静な住宅街。細い道。日中の人通りはほとんどない。

――こんなとこでボケッと突っ立ってたらすぐに警察に通報されんぞ。不審者がいるってな。ちょっとは頭使えよ。

頭の中で探偵の声がする。うるせぇ、わかってるよ、それくらい。

探偵の言う通り、この場所で四六時中、老人の家を見張るわけにはいかない。

だから頭を使う。手がかりは写真だ。写真の背景に映り込んでいるスーパー。老人の家には車も自転車もない。買い物に行くとすれば歩きだろう。ここから老人が歩いて往復できる範囲にスーパーは二軒。事前にネットカフェで調べてある。写真に映り込んでいるような青果コーナーがあるスーパーは一軒しかない。スーパーの近辺には商店街があり、最寄りのバス停もある。張り込むならその辺りになるだろう。

もう一度老人の家を確認する。表札には『田中』とある。待ってろよ田中、絶対尻尾を掴んでやるからな。

住宅地を歩いて五分。比較的開けた通りに出る。通りは小さいけど、商店街になっている。目当てのスーパーはこの辺りのはず。少し行くと通りの向こうにそれらしい店があった。そう、あれだ。すぐそこに最寄りのバス停も見える。

次はスーパーやバス停の周りが見えるような場所を探す。商店街の一角、いい位置に喫茶店がある。

――馬鹿野郎。ああいう街の喫茶店はな。近所に住む常連客で成り立ってんだ。いきなり他所者が入ってきたら一発で顔を覚えられるぞ。探偵が顔を覚えられたらおまんまの食い上げだ。

だから、それくらいわかってるっての。

だが、他に身を隠せそうな場所はない。できれば避けた方がいいんだろうが、背に腹は変えられない。腕時計を見ると午前11時半。ちょうど昼飯時だ。腹も減ってきていた。

店に入ると、カウンターの向こうに店員らしき高齢の男性が一人いるきりだった。窓際の席に座って、サンドイッチセットを頼む。

午前十一時四十五分。サンドイッチとコーヒーが届く。どちらも美味しい。ゆっくり時間をかけて食べる。

窓から外を眺める。街路樹の黄色い葉っぱが散っていく。あの時も葉が散っていた。

一年。あっという間のようで、遠い昔のようでもある。不思議なものだ。あの探偵と関わって、居候することになって……。

そう、一年。もう一年も経ってしまった。何もできないままに。母のあの顔。血の温もり。冷えていく身体。あの男の顔。眉の傷。絶対に許さない。早く思い知らせてやらないと……。

「コーヒーおかわりいかがです?」

店主がポットを片手にテーブル横に立っていた。

「え……あ、あの、はい、お願いします」

「待ち合わせですか?」

老人は柔和な笑顔を浮かべたままだ。

「いえ、あの、そうですね」

「そうですか。ずいぶん深刻そうなお顔をしておられたので……。すみませんね急に話しかけたりして。うちはいくらでも居ていただいて構いませんのでね」

「あ、ありがとうございます」

店主はカウンターの向こうへ帰っていく。

見られていたらしい。顔馴染みのない客だから目につくのは仕方がない。だが、気をつけないと。

午後二時半を過ぎた頃、窓の向こうに老人らしき人の姿が見えた。だが、写真でしか見たことがないから確信は持てない。老人はゆっくりとした足取りで道路を渡り、スーパーに向かって行く。

冷めたコーヒーを一気に飲み干し、会計を済ませる。

「まだ若いんだし、そんな深刻にならなくてもいいよ。そのうちいいことあるから」

店主がよくわからないことを言って手を振る。

店を飛び出すと、走って道路を渡り、スーパーに入る。見える範囲に老人らしい姿はない。出入り口は二つ。今入ったのと、もう一つは店の反対側にある。レジはこちら側に並び、反対側にはクリーニングの窓口がある。

一度外に出て周りを見渡す。すぐそこの自動販売機の脇にベンチが置かれている。自動販売機で小さなコーヒーを一本買って、ベンチに腰を下ろす。

私が客ならレジを終えて近い出口から帰る。

だが、こちら側の出入り口を張りつつ、念のため反対側にも注意を向ける必要がある。

この店の中で、あの男と老人が接触していたらどうする?裏口から男が逃げたら?どうする?取り止めのない不安が頭を掠めて行く。

落ち着け。とにかくできることをやるしかない。今闇雲に店の中に突っ込んで、老人やあの男に見られたら、今ここにある手がかりは消えてしまう。落ち着け。落ち着くんだ。

十五分ほどベンチに座っていた。老人が相変わらずのゆっくりした足取りで店を出てくる。思った通り、こちら側の出入り口から。老人が私のすぐ横を通り過ぎて行く。手にはビニール袋を提げている、写真と見比べるまでもない。間違いなく目的の老人だった。

――尾ける時は後ろに張り付くんじゃない。相手の動きや、行き先を予想して、上手く死角を探すんだ。警戒されたら終わりだぞ。

あぁ、わかってる。ちゃんとやるから心配すんな。


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