45 思い出
「……落ち着いた?」
天井からつるされた魔光石の明かりが優しく降り注ぐ。オルゴールの音がゆっくりと流れ込んでいくこの場所で、ウィズは疲れ果てた心情で静かにうなずいた。
「……うん。ありがとう。そしてごめん。迷惑かけちゃったね」
あの後、なんとか馬車で『ガーデリー』まで辿り着いた。その後、どこか休める場所を探したのだ。
そんな流れで、今いる場所は『ガーデリー』にある喫茶店。カウンター席に座って、二人仲良く並んでいた。
カウンターの上にはそれぞれアイスティーが。ソニアはそれを飲んでは明るく息を吐いた。
「……気にしないでよ。人には……うん、色々あるからさ……」
「……色々か」
ウィズは目を伏せてカウンターの上にあるアイスティーのグラスを見つめる。
カラン、と氷が溶けて音をたてた。
ウィズにフラッシュバックした情景。それは間違いなく、『アレフ・ブレイブ』の追憶。
――『アレフ・ブレイブ』が幼少の頃。すなわち、まだ『ブレイブ家』がアレフに見切りをつける前。その時では、期待されていたのだ。だからああやって、本当の『家族』のように扱われていた。
そしてそれによって、『アレフ・ブレイブ』の心が育てられたことには変わりがない。
加えて、その記憶は不変だ。過去は変わらない。その先に何が待ち構えていようとも、その時に感じた
――ウィズは生きている限り、それと付き合って生きていかなければならない。
(生きにくいな……)
ふと、ウィズは心の中でそうぼやいた。
アイスティーに口をつけて乾いた口内を湿らすと、ウィズは明るめの口調で言う。
「……ごめん。もう大丈夫。ちょっと遅れちゃったけど、町を回ろうか」
ウィズの心内はすでに平常に戻っていた。果てしなくうなりを上げていた心臓の鼓動も、すでに過ぎ去っている。もっとも、その不快感が完全に乾いたわけではなく、未だ湿っているのだが。
「そうだねぇ……。これ飲んだら行こうか」
ソニアは目を細めて、ゆったりとした表情でアイスティーをストローですする。
ウィズもアイスティーに手を伸ばしながら、逆の手で近くの
例えばケーキとか。ウエディングケーキのような巨大な砂糖の塊など見た日には、当分は
ソニアは近くのピッチャーからシロップを掬い上げ、容赦なくアイスティーへ入れている。ウィズはそれを遠目で見つめていた。
「甘い物は苦手?」
そんなウィズを見てか、ソニアは笑う。ウィズはどこかバツが悪そうに頬をかいた。
「ちょっとした
「へぇ。意外」
クスクスと笑ってはソニアはアイスティーを吸う。ウィズは近くのシロップ入りピッチャーをソニアの方に寄せて、視線を適当な壁に反らした。
そしてグラスを持ち上げると、黙って無糖のアイスティーを飲む。
壁はピカピカに磨かれた木造建築。どうやら研磨・精錬の魔法をかけられているようだ。淡く店内を反射する壁に対して、視線を右往左往させていたらふと見覚えのあるものが目に入った。
「……あれは」
ウィズはきょとんとした表情でその絵画を見る。――それはフィリアがイスに座っている一枚絵だった。
あまり大きいとは言えないが、それでも精巧な作りだ。隣には現当主の『ガスタ・アーク』や、ウィズが知らない面々の絵画もある。恐らくだが、『アーク家』の先代たちの絵画だろう。
「お客さん、もしや外から来たのかい?」
ウィズがその絵画たちを眺めていたら、ふと喫茶店のマスターに声をかけられた。茶髪の髪を束ねたその女マスターに、ウィズは笑って応える。
「そんなところです。……ところで、あの絵画は」
「ええ。この地を納めていらっしゃる『アーク家』の方々よ。あたしたちが安全に暮らせるのは、この方々のおかげなの」
「へぇ……」
ストローをすすりながら、ウィズは相槌を打つ。
マスターの表情に負の感情はないようにみえた。店に絵画を飾るほどであるし、そこまで『アーク家』に対する悪印象はないようだ。
ウィズはさらに探ってみることにする。
「そういえば、ここに来る時に大きな屋敷が遠目に見えたんですけど、もしかしてそれが『アーク家』の屋敷だったり……?」
「そうね。とても大きな屋敷で、周りに家屋がなかったらそれが『アーク家』の屋敷よ」
「ふーん。とても立派でした……。この後にでも近くまで見に行きたいなあ」
ハハハ、と笑いながらそう言うウィズに、マスターの表情が微かに
「……そういうのは止めた方がいいよ。『アーク家』の方々はね……その、結構お厳しい方々だから、遠くから見るぐらいにしておきなさい?」
大層言葉を選んでいることは感じられた。『家訓』による効果はしっかりと現れているようだ。
ウィズはマスターの顔を見つめながら、アイスティーをすすりつくす。ズズズ、とグラスの底にちょっとだけ残る水分が音をたてた。
「そうですか。忠告ありがとうございます」
ウィズは笑って氷だけが残ったグラスをカウンターに置く。そして隣に座るソニアへと視線をずらした。
「そろそろ行こうか」
「う……うん」
ソニアはちょっと戸惑いながらもうなずいて、席を立つ。ウィズも彼女にならって席を立った。
「ありがとう。おいしかったです」
「はいよ。またおいで」
「うん。ご馳走様でした」
ウィズとソニアはマスターにお礼の言葉をかけると、お金を置いてその場を去る。
二人が喫茶店から出ると、ソニアは静かにウィズへと聞いた。
「ウィズ、なんであんな質問をしたの?」
『あんな質問』というのは、『アーク家』に関してのことだろう。『アーク家』の屋敷を遠目で見たどころか、その屋敷に泊まっている身だ。どうしてあんな嘘をついたのか、ソニアでなくても疑問に思うだろう。
ウィズは白々しい表情で即答した。
「僕は『アーク家』のことを全然知らないからね。領民の客観的な意見が欲しかったんだ。……
言っていること自体は間違いではないし、嘘でもない。
ソニアはじーっとウィズを見つめていたが、ふと刹那の瞬間にピンときた表情を浮かべた。
そして口をとがらせると、ジーっとした視線でウィズを見た。
「
「……何、どしたの?」
悪巧みの一端を勘づかれたのかとソニアを見るが、どうやらそうでもないらしい。
ソニアは頬を膨らませると、踵を返す。
「そうだよね。
「そ、ソニアさん……?」
ソニアは足早に小さな通りの段の幅が大きめな階段を降りていく。
なんというか、ウィズを引き離すが如く雰囲気に、ウィズは頬にさっきとはまた違う汗を晒しながら彼女の背を追ったのだった。
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