44 シグナル

 ウィズとソニアは再びエントランスに向かった。


 そこで入口付近で待機する使用人に外出の旨を伝えると、なんと馬の手配をしてくれた。加えて、『アーク家』の従者証明書まで用意してくれるようだ。それがあれば領地内の町で色々と役に立つらしい。


 ウィズとソニアがエントランスから外に出て少し待つと、使用人が馬車を持ってきた。二人の前で停まり、その使用人の彼は規律正しく降車してお辞儀をする。


 そして封筒を取り出して、二人に差し出した。


「こちら、『アーク家』発行の証明書となります」


 ウィズとソニアはその封筒を受けとる。すると僅かに中身に入っているものは輝いた。


 二人は顔を見合わせて、中身に入っていたものを取り出す。


「これは……」


 そこに入っていたのは厚紙であった。どこか熱を帯びていて、細い紫色の光が何かの記号を独りでに刻んでいた。――文字だ。何か、バラバラな順序で文をしたためている。


 それを見つめる二人に使用人は告げた。


「使用期限は今日の日没まで。日没過ぎに自動的に焼失しますので、それまでには屋敷にお戻りください」


 厚紙に文字を刻む行為が終了する。改めてその紙を見てみると、そこにはウィズの名前やらの情報が書き込まれていた。そして大きく『証明書』を示す文面もある。


 それを確認した使用人はもう一度お辞儀をした。それから屋敷の中へ帰って戻っていく。


 青空の下、その場に残されたのはウィズとソニア、そして馬車だけだった。


「すごいね……『アーク家』って」


「……うん」


 ウィズも素直にうなずく。


 『東棟』に行った時も感じたが、『アーク家』は魔法技術を敵視するどころか、柔軟に取り込んでいる。『聖剣御三家』と名乗っている割には、魔法技術に対しても目を光らせているようだ。


(……まあ、剣術にも『魔力』は使われる。そういう意味で『魔法』は身近なモノにしておいた方が合理的だわな)


 ウィズはそう思っていつつ、『証明書』を懐へしまおうとする。しかしその途中で、指に違和感を覚えて目線を下げた。


 するり、と『証明書』の下で何かが滑った感触。その正体は視線を下げたことで明らかになった。


「……?」


 証明書の下にもう一枚、紙が挿入されていた。ウィズはソニアをちらりと見て、彼女の視線がウィズに向けられていないことを確認する。


 それからこっそりと下の紙をスライドさせ、そこに表記された文字を見つめた。


『夕食後、襲撃者の件で尋問を行う。詳細は報を待て』


(……そういや昨日、フィリアがオレを尋問するだとか言ってたが……)


 ウィズはその内容を見るや、すぐに『証明書』の下に隠す。そして何事もなかったように『証明書』と一緒に懐へしまった。


 一応、そういう話は極秘扱いのようだ。確かに今は大事な時期。あまり目立った行動はしたくないから、こうやって秘密裏に色々と動いているのだろう。


 そのためにウィズがするべきことは、ここで疑われるような行動は避ける、ということ。


 フィリアにはウィズの中にある『企み』を見逃してもらっているが、現当主の『ガスタ・アーク』やフィリアの弟にして長男『アルト・アーク』はそうはいかない。『企み』の存在が確定すれば、深いところまで追求される。


 なので町での行動はほどほどに慎むこと。立場的にはフィリアの庇護下にあるのだ。今の段階で疑いが掛けられることは極めて低いだろう。


 ウィズは馬車に近寄ると、ソニアへ言った。


「僕が手綱を取ろうか」


 主に"バギー"といわれる、馬と乗車席の二つの簡素な作りになっている馬車に乗りながら、ウィズはソニアへ言う。そして自分のポーチを後ろにある小さな荷物置き場に置いた。


「へへへ、ありがと」


 ソニアは楽しそうに笑うと、ウィズの隣に座る。それからソニアは自分のカバンの中から地図を取り出して、指でなぞりながら告げた。


「えっと……一番近い町は『ガーデリー』かな。ボクが道案内するよ!」


「それは助かるね。じゃ、行くよ?」


 ウィズが手綱を振るい、馬車は発進する。


 穏やかに揺れながら、景色が回り出した。馬の足音が馬車越しに全身へ伝わってきて、それは乗馬感を思わせる。


 屋敷の門を出ると、ウィズは少しスピードを上げた。


 流れる雲の下、逆らうように進んでいく馬車。林の道を静かに駆けていく。


 そんな中、ウィズの肩に重さが増えた。ふとウィズがそちらを見ると、ソニアが寄りかかってきていた。


「……このままでもいい?」


 ちらりと、恐縮を思わせる瞳でソニアはウィズを見つめていた。ウィズはそのまま笑って視線を前に戻す。


「もちろん」


 ソニアの口元が緩んで微かに笑ったのを、ウィズは肩に感じる彼女の動きでウィズは悟った。


 それは穏やかな日常の一幕であった。穏やかで、ぬるま湯につかっているような。現実からは少し浮いていて、ちょっとした夢心地な気分。


 それを人間ヒトは平穏というのだろう。ウィズは手綱を握りつつも、その懐かしくも儚い感覚に瞳を閉じた。


 ――"それ"はいつのことだったのだろうか。


 同じように馬車に揺られ、庭園をゆっくりと走る情景。


 かつての『アレフ・ブレイブ』は剣の握りすぎで、両手がじーんと痛んでいた。しかしその痛みさえも、その空間は幸福の感覚シグナルへと昇華させる。


 そう、今のソニアのように、『アレフ・ブレイブ』も誰かに寄りかかっていた。


 ウィズよりも図体が大きくて、フィリアよりも威圧がある。けれど、世界に存在する全ての不安から守ってくれるであろう存在だと、『アレフ・ブレイブ』は直感していた。


 記憶の中にある憧憬。その大きくて暖かいハンモックのような背中の男の顔が、こちらを見下ろして――。


「――っ!」


 バッ、とウィズは突然身を乗り出した。寄りかかってきていたソニアは飛び起き、手綱は不自然に揺れて馬が吠える。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!!」


「うぃ、ウィズ……!?」


 ウィズは全身を汗だくにして、まるで悪夢を見たばかりの少年のように、正体不明の恐怖に取りつかれていた。ソニアは驚きつつも、そっと手を伸ばす。


「……ソニア」


 ウィズは疲れ切った瞳で彼女をちらりと見ると、差し伸ばされた手をぎゅっと握り返した。もう片手は手綱を握っている。


 ソニアの手を握った手。そこには確かな体温を感じていた。『あの男』のものではない。ちょっと小さくて、柔らかい女の子の手。


 普段のウィズにとってはなんてこともない、ただの物理的な現象の『接触』に過ぎない行為。


 しかし今だけは。ウィズはソニアの手を握りしめる、今のこの時だけは。


「……君の手、とても安心する」


「……え?」


 ウィズがそう零した。ソニアは突然の、しかもウィズらしくもない発言を前にして、困惑と心配の二重感情に囚われて唖然とする。


 もしもウィズの様子が普段と同じであれば、顔を真っ赤にして慌てていたに違い。けれど、その純粋な恋心を吹き飛ばしてしまうほどに、今のウィズの情緒は不安定だった。


 ソニアはウィズに手を握られていたままであったが、ふと笑みをこぼすと、優しくウィズの手を握り返した。


 その瞬間に一方的な人間ヒトの熱を乞う行為が、相互的な施しに変化する。ソニアは普段よりも大人し気な微笑みを浮かべた。


「なら、しばらくこうしていようか?」


「……ごめん」


「うん」


 謝罪を口にするウィズに、ソニアは少し握りしめる力を強めた。そして彼女は、それ以上の理由を探ってはこなかった。


 それがどれだけウィズの情緒を守る事になったのか、ソニアどころかウィズにさえも思いもよらない。


(クソ……! クソ……!)


 汗で頭に髪が引っ付き、鎖骨辺りに流れた汗が服にくっついて嫌悪感を増長させる。


 心臓が直接冷たい風にさらされたような気持ちの悪い感覚が、血液の流動によって全身に運ばれているようだった。


(あの顔……アイツは……! でも『アレフ』は……! クソクソクソ、思い出したくなかったのに……! しかもこんな時に……!)


 暴れる記憶と感情に言葉が振り回される。言語化できない感情が複雑に絡み合っては、"躊躇"となってウィズの"決心"や"  "を突き刺してきた。ウィズは大きく息を吸っては吐いてを繰り返し、暴れ狂う感情の波を静まらせる。


になっても……あの時、『アレフ』は幸せだったんだろ……! 『過去』は変わらねぇんだ……『過去』変わらねぇんだ……!)


 強く歯ぎしりをして、八つ当たりをするかの如く、乱暴に手綱を振るっては馬車は加速した。


 ――記憶の中で、『アレフ・ブレイブ』が寄りかかっていた人物。



 世界一大きくて、世界一安心できて、世界一大好きで、世界一立派で、世界一自分の事を守ってくれて、世界一暖かい――。


 

 『ジャコブ・ブレイブ』の背中は、『アレフ・ブレイブ』にとって、かけがえのない心の居場所

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