掌編小説・『赤いきつねと緑のたぬき』
夢美瑠瑠
掌編小説・『赤いきつねと緑のたぬき』
「赤いきつね」も「緑のきつね」も、そのフレーズはひとつの表象であり商標であるが、そこには、ほぼ無意識的なものであっても、様々なイメージや現代社会に生々流転している多くの事象との絡まり合いがあろう。いや、あらざるを得ない。牽強付会に見えて、すでにして人口に膾炙しているこうしたフレーズが、逆転的というかシナジカルに現実への分析的な表徴としてある恣意的な意味やメタフォリカルな社会的機能を持ちうることはむしろ運命的な必然である。
「赤い」から連想されるのは一つのラジカルな思想だ。「赤い」という言葉の持つ、我々の社会における一種の過激なニュアンス、本来的ではないそうしたラベリングは政治的な二十世紀の実験の、失敗から由来している。「情熱的」で「派手な」赤は左翼的な思想、マルキシズムと同一視されて、現実の体制へのアンチテーゼのように、過去の亡霊の英雄譚のごとくに、保守的になりがちな我々を鼓舞するアグレッシヴな象徴の色となっている。
「きつね」はイソップ物語などでも「ずるくて」、「小賢しい」ような人間を揶揄する記号となっている。かつての情熱的で赤く燃え熾っていた若い血潮を持つ革命の志士、あるいは予科練の特攻兵士、過激な時代の風潮が、インスタントな和食のパロディのような食物のネーミングになることによって強烈な風刺、あるいは軽やかな舞踏的な批判となっているのだ。荒々しくて未熟だった若者たちがしたたかな企業戦士、「きつね」となって、この我々を抑圧する体制に抗っている、その宣戦布告、時代の図式の暗喩、こそが「赤いきつね」の本意なのだ。
しかし、それだけでは偏頗というかアンシンメトリーで、相補的な象徴として「緑のたぬき」も必要不可欠である。
平和や安寧、エコロジーの象徴のグリーン、緑色も時代が要請する大事なアイコンである。
どこか間抜けで悪役的な「たぬき」。どうしても我々はどこか「間抜け」であるという運命から免れ得ず、絶えず間違うし、失敗する。しかし「たぬき」の滑稽さ、愚直なのろまさといった、日常を維持させる精神の平安のために必要な諸要素も、ラジカルで攻撃的、尖鋭的な「赤いきつね」を措定した場合、知に対する情、戦いに対する愛、男性に対する女性、あるいは東京に対する大阪、のごとくに陰画のごとくに付随的に存在して、相補しあ合わざるを得ない。二つの象徴を対比したとき、ラジカルな「赤」からエコグリーンへのゆるやかな移行、そうした時代精神の推移もそこに暗示されていそうな気がする。
ある象徴の謎解き、意味づけというのはどうしても恣意的だが、ある普遍的な人気商品のタイトルが一種のセンセーショナルなメッセージを持つ場合には想像力が刺激されて千差万別百花繚乱ないろいろな解釈が存在しうることは想像に難くない。
が、「赤いきつね」と「緑のたぬき」においては、そうした商標というものの特殊な存在様式と存在形態そのものへの微笑を誘うパロディという側面もあり、商業的な広告というもののデマゴギーというか皮相で胡散臭いありようへの自己批判となっているのが、長く愛されて、ネーミングそのものが奥深くていわく言い難い味わいを持つゆえんであろう。
掌編小説・『赤いきつねと緑のたぬき』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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