023_戦争無き世界/22/緊急メンテナンス

『あっ、ハル君?ごめんね、心配かけて。みんな無事だよ。街は少し荒れてるけど、ホテルにいたら安全だし……』

『おーい、陽輝。あたし、琴音だぁ。なに、心配するな。こっちは平穏無事。日本の駐留軍も警察もいつも通りさ。多少、騒いでるのはいるけどな……だーかーらぁ、心配するなって!ちゃんとお土産は買ってあるから……』

 そんな声を聞いている前で投影モニターの中継画面は、海に連なって浮かぶ島々を俯瞰する映像に変わった。

 南北に長く最も大きいバベルダオブ島、その南に橋で結ばれて連なるのは最大の都市にして旧都コロールがあるコロール島だ。

 近代的なホテルや港湾施設が一瞬にして吹っ飛んだ。もうもうと煙と粉塵が立ち上がり、青く美しい海は白く泡立つ。

『もしもし、ハル君?』

『聞いてるのか、陽輝!?』

 二人――菜々美と琴音の声が唐突に途切れ、陽輝は両目を見開いた。息を呑む。一瞬、自分がどこにいるのかわからない。

 やがて見慣れた天井と壁紙で、実家の自分の部屋だと理解した。安堵の息を深々とついてから、ベッドの上で上半身を起こす。額の汗を意識すると、手で拭った。

 陽輝は頭を振った。コロールが『鉄槌』による制裁を受ける、という悪夢をたまたま見ただけだ、と何度も思う。

 時計を見るまでもなく、窓の外を見れば今が何時かだいたいわかる。空が赤く染まり始めていた。


 社会の一部では先週から大型連休に突入している、四月二八日の月曜日。

 午後五時になって陽輝は階下に降りた。シャワーを浴びてからリビングに戻ると、テーブルにはおにぎりと卵焼きが並んでいた。

 それらを、母が少し早めに作ってくれた味噌汁と一緒に食べ始める。

「それにしてもまた、急に夜勤なんてねぇ?」

 鬱病で通院中の息子の身を案じる母に陽輝は、

「仕方がない。いつも世話になってる会社だ」

 在宅での仕事を受注している会社からまた、緊急のサーバーメンテナンス作業のヘルプを頼まれ、陽輝は出掛ける予定だった。

「どうしても企業のサーバーとかは、夜間しかメンテナンスが出来ないから」

 規模の大小を問わず、企業にコンピュータ関連の機器は欠かせない。膨大なデータを管理するサーバーは常に動いている。

 そしてサーバーのダウンなど、致命的なトラブルを避けるためにも、定期的なメンテナンスは必要だった。

 もちろん、現在では遠隔メンテナンスという手段もある。メンテ自体の自動化やセルフメンテナンス機能も、技術として確立されていた。

 しかし、最も信用が高く確実なのは、人の手による作業だ。そこまで手間をかけるとなると徹底した大規模メンテとなる。必然的に、作業は企業の業務時間外となる夜間が中心となった。

 これは珍しくはなっているが、現在でもこの仕事では見られるケースだ。そして陽輝の仕事柄、こういう作業にヘルプとして参加することは多々ある。

 陽輝が就職していた頃も夜間の作業は多かった。しかし、「鬱病の治療には規則正しい生活と安眠が必要」と聞いている母としては、次男の身を案じてしまう。

「大丈夫だよ。一人でする作業じゃないし、あくまでヘルプだから。言われた通りに動くだけだ。ずっとビルの中にいるから、深夜でも危ないことはない」

 夕食というには軽めの食事を陽輝は取った。「たぶん、夜食を食べるから」と説明してある。

 おにぎりの皿の征服は、途中から姪っ子二人が参戦して……「食べ過ぎちゃ晩ご飯が食べられないわよ!」と母親に叱られていた。

 陽輝が食べ終えて立ち上がると、数分前にLDKへ来ておにぎりの征服に参戦していた優奈が声をかけた。

「ねえ、ハルにぃ……」

「どうした」

「調停紛争、今晩だってね。さっき発表があって」

「考えても仕方ない。俺の仕事がなくったって、何も出来ないんだから」

「心配じゃないの?お友達のこと」

「心配だ……でも、なんとかなると思うしかない。それ以上、どうしようもない」

 そう言って自分の食器をまとめ、キッチンのシンクへ運んだ。まだ何か言おうとする優奈を母が止める。

 三〇分後。

 身支度を済ませた陽輝はカジュアルなジャケットとパンツという格好に仕事用の鞄を肩からかけて、実家を出た。地下鉄の駅まで歩き、都心部へと向かう。

 山手線に乗り継いで渋谷駅まで出た。この時間帯になると、帰宅のラッシュが始まりつつある。

 こんな時代でも夜の繁華街は明るい。飲食店や飲み屋へ行く人々の流れに逆らうように、陽輝は青山通りを表参道側へ歩いた。生温い都会の風に頬を撫でられながら、指定されたオフィスビルへ入る。

 それから一時間ほどして、そのオフィスビルを出たステーションワゴンは高樹町で首都高速に乗った。首都高速を下りたり上がったりして時間と距離を稼いでから、芝公園出口で首都高速を降りて品川へと向かう。品川駅の東側にまだ残っていた、とある高層ビルの地下駐車場に入っていった。

 それからさらに三〇分後。

 陽輝の姿は青梅にある私邸にあった。広大な敷地を持つ山荘にはヘリポートも完備されていて、今はそこで小型のティルトローター機が、回転翼をゆっくりと止めている……。

 日も落ちた庭園から山荘に入ると、奥にある書斎へと通された。上下一体となったつなぎ服風の服装に着替える。

 そこから地下へ降りるエレベーターに、一人で乗り込んだ。

 やや強張った表情の陽輝は、先日と同じようなコンクリートの壁と通路を進んだ突き当たりの部屋に入る。

「戦争代理人、“第四の剣”。現時刻をもって着任を確認しました」

 レッドブラウンの髪を背中でひとつにまとめ、軍服を思わせる服装に身を包んだトモエが琥珀色の瞳を向け、敬礼で出迎えた。

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