022_戦争無き世界/21/剣の決断
国家間の往来が減った二二世紀ではあるが、国際的な経済のつながりは存在する。
二〇世紀の終わりに国際貿易機関が発足した。「自由に、差別無く、多角的に」貿易が行われるよう、推奨する流れとなったのだが、参加国の中に国際ルールを遵守しない国が現れた。
そして『大分裂』時代。
表向き争っていない国が工作員を送り込み、相手国内で暴動や内戦を誘発する。このような戦いが始まると、それまでの国交に対する信頼が揺るいだ。国家間の貿易も一時的に途絶えた。
現在は交錯型ブロック経済と呼ばれる、かつての二国間貿易が変形したような体制が主流である。
仲介国を介した貿易が行われたのは、国家間の信頼が大きく揺らいだためだろう。この体制により、富める国と貧しい国の格差はさらに広がっているが、『大分裂』時代後の世界は「どういう理由であれ、先に信用を裏切った者が悪い」という共通認識を持っている。
幸いなのはアカルナイ委員会の台頭で侵略戦争が無くなり、貧しい国でも国防が容易になって軍事費の負担が減少したことだ。二一世紀に比べて文明レベルは後退したという声もあるが、それが却って「人間らしい生活をしている」と評価されている部分もある。
話を戻すと、貴重な外貨獲得の機会を逃した上海政府にとって、日本は単なる競争相手では済まなかった。過去の歴史に遡る、反日感情なども背景にある。
「いい加減な施工や質の悪い欠陥品の納入、当初の契約内容を大きく逸脱した違約行為、納期の大幅な遅れ、追加費用の請求……こんなことを繰り返していれば、どこの国も背を向けるわ」
呆れを通り越した口調で志穂は言う。
「続けざまの入札失敗で政府に非難が集まりはじめたから、「日本に妨害された」って言い出したのよ。それにパラオは二〇世紀から日本との関係がある上に、水源プラントについては日本の実績を高く評価しているわ。西アラビアが情報収集でパラオに問い合わせたら、日本製プラントを強く推薦したって話よ。上海政府は今でも大国意識があるから、小国に邪魔されたのも気に食わなかったんじゃないかしら」
志穂が話す間も、リムジンは制限速度で靖国通りを東へ流している。都内の交通量は二一世紀より格段に減っているそうだ。
「こんな噂、聞いてる?」
唐突に志穂は話題を変える。
「この前の旧ブラジルの調停紛争もそうだけど、アカルナイ委員会が管理している戦争が、すべて外部から制御されている無人兵器の戦いというのはとにかく、中継されている映像自体、精巧なCGによる仮想空間での戦いなんじゃないかって噂よ」
陽輝は車窓の外へ目を向けると、
「別に仮想空間の戦いでも現実の戦いでも、同じことだろう。アカルナイ委員会がすべての戦争を管理しているのは」
アカルナイ委員会――二二世紀の国際社会から憎悪され、世界人口三十億人の頂点に立つ、一握りの人々だ。その姿を直接、見た者はいない、とされている。
彼らが事実上の覇権を握った時、かつての列強大国は彼らの暗殺を、何度となく試みた。しかし、すべて失敗して報復を受けている。
現在、アカルナイ委員会の代理機関は世界中に点在していた。今、陽輝の隣にいる志穂のように隠れている者もいれば、公式な発表機関として契約している広告代理店などもある。
これらはコンピュータ・ネットワークに接続している端末のようなものであり、何度もテロや暗殺の対象にされた。しかし、末端がいくら殺されても、中枢のアカルナイ委員会は倒れない。
そして代理機関に攻撃を行ったものは国家であろうと、組織であろうと、確実に報復を受けている。
国家の秘密警察や諜報機関が彼らを拉致し、拷問や洗脳をしかけても無駄だった。アカルナイ委員会は攫われた者を無視していたし、攫われた者も一定以上の情報は知らない。
戦争が遠ざかって平和な世界は閉塞感の中にある――と力説する人々がいる。
学者、思想家、政治家、軍人、市民団体代表、文化人、ミュージシャン、さまざまなクリエイター、テロリスト……。職種や属性などは幅広いが、彼らは共通して、アカルナイ委員会が首根っこをつかんでいる、今の世界に不満を持っていた。
しかし、アカルナイ委員会が提唱した「国家間戦争の完全管理」は機能している。
それによって兵士をはじめ戦争による死者は劇的に減り、経済への影響も少ない。戦時特需が起きないから株価の上昇などは望めないが、経済としては健全だろう。
戦火が直接、国民におよぶことも少ない。制裁という悲劇はあるが、こちらにも復興という経済を刺激する要素がある。
すべて彼らの言った通りになっている。「戦争は絶対悪であり、戦禍は悲劇でしかない。我々にとって犠牲者に崇高や卑劣の区別はなく、ただその数を減らすことだけが目的である」と。
「そのうち、CG説が主流になるかもしれないわね」
志穂の言葉が陽輝の耳に入る。
委員会は調停紛争が行われる交戦地域を、ギリギリまで公表しない。ドローンも含め航空機での接近は対空の『鉄槌』が対処する。仮に海上から戦域へ急行したとしても、電磁波妨害と荒波で接近は不可能だった。潜水艦の類いも探知されて、沈められている。
「だから現在まで、調停紛争の直接の目撃例はほぼ皆無……南極海のバレニー諸島沖で、開戦直前に遭難していた漁船の船員が光学砲の光を目撃したのと、東シベリア海のウランゲリ島から北極点方向で交戦する光を、自然保護調査隊が確認した。その二例のみよ。そのどちらも四半世紀以上前の記録だから……」
実在を信じられなくなるのも無理はない。笑った志穂は続けて、
「でも制裁という現実があるから、それが抑止力になっている……犠牲が出るのは痛ましいわ。でも、そうしていても今回のような代理戦争を仕掛けてくる輩が現実に存在する。残念だけれど、そういう人たちに消えてもらわないと、平和は保てないのでしょうね」
信号待ちでリムジンが止まる。窓の外を見る陽輝の視線の先に、五歳くらいの女の子の手を引く初老の女性の姿が見えた。どちらも満面の笑みを浮かべて話していた。孫とお婆ちゃんなのだろう。
これでも世界の政治家や軍人、学者、思想家、実業家といった人たちは、現在の平和が嫌なのだろうか。利益のために調停紛争を選択し、制裁による自国民の犠牲を出すことを、省みないのだろうか。
陽輝が考えていると、志穂の声が聞こえた。
「今日、呼び出された理由……わかっているでしょう?時期が時期だけに」
「先日の失態がある。そうじゃない可能性も予想していたが」
陽輝は抑揚の少ない口調で答える。
「確かに、先日の件はあるわね。でも、直接ではないけれど当事国の人間で、今回は南の島にあなたにとって親しい人たちがいることも考慮されたみたいよ。委員会にも「温情」という言葉があるの……どうする?」
既にそこまで調べがついているらしい。
陽輝は瞑目した。先日戦った調停紛争の後、行われた制裁の光景が脳裏にフラッシュバックする。
嘔吐の苦痛まで思い出して、陽輝は口を抑えた。その仕種を気にすることなく、志穂は静かに言った。
「断るなら他の候補者が選出されるわ。自分の意思で決めなさい、“
少しの間を置いて深々と息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した後、陽輝は両目を開いた。隣の女を見る。
陽輝がリムジンから降りたのは神保町である。走り去るリムジンに背を向けて、地下鉄の駅へと降りた。
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