024_戦争無き世界/23/ウェッデル海

 青梅の山中にある、広大な敷地を持った山荘。

 最も近い民家から一キロ近く離れている。元はとある会社が建てた、福利厚生施設だったという。

 陽輝が降りた地下は、この山荘を建てたのが音楽関係の会社ということもあり、社長の肝いりで深夜でも演奏が出来るよう、全体は防音仕様で作られていた。ステージと対面する観客席側には、酒類を供するカウンターバーが備えられていたそうだ。

 そのような元ライブホールだったという室内は、今は調停紛争の指揮所に改装されている。構成は先日とほぼ同じだ。

 各種操作を行う、というよりも受信や映像を映す投影モニターなどが設置されている。目立たないようになっているのは、視界を妨げないためだ。

 そしてそれらの機器の向こう数メートルには巨大な壁面モニター、手前には半透明のウィンドウが幾つか、空中に浮かんでいる。

 迎えたトモエに答礼で応えた陽輝が指揮席に着くと、

「開戦まで残り一時間です、“第四の剣”」

 陽輝の傍らに立っているトモエが言った。

「現有戦力の確認を」

 指示に対して近い空中に投影モニターのウィンドウが開かれ、内容をトモエが読み上げていく。

「今回は旗艦セクメト以下、一八隻の編成です……今回もショボいわよ~」

 トモエは口を尖らせて言う。いつもの口調で、

「今回は両陣営が実質、日本と上海政府だから、もっと大規模な艦隊になるかなって思ってたんだけどね。委員会はパラオとタラウドの国土・経済・人口規模も考慮したんだって……もうちょっと派手なのを期待してたのにぃ」

 旗艦以外の編成は戦艦一、重巡二、軽巡六、駆逐艦八となる。文字情報を確認した陽輝は、

「そうかな。二〇隻近いのはそれなりの規模だと思うが……相手は?」

「詳細は不明。でもこっちと同じくらいのはずね」

「戦場の発表はまだ?」

「……今、来たわ。公式発表はまだだけど、ウェッデル海湾口の南緯六九度五二、西経四〇度二八より半径五〇〇キロ内の海域」

 南アメリカのホーン岬とドレーク海峡を挟んだところにある南極半島の東側、南極大陸・コーツランドとの間に挟まれた海がウェッデル海だ。

 湾口だけで一〇〇〇キロ以上の距離がある。そして現在、世界中の国々で南極の開発や調査をしている国は皆無だった。

 これはアカルナイ委員会の「国家間戦争の完全管理する」ための協定に含まれている項目のひとつだ。

 内容は南極にあるすべての基地からの人員撤退と調査活動も含めた進入の禁止。その一方で、気象関係のデータは委員会側が観測したものを随時、提供していた。

「地形および気象について」

「東京との時差は約一二時間。三方を南極大陸に囲まれているため、陸から海への滑降風の影響が強いよ。現地の正確なデータはまだだけど、気象衛星からの観測では現時点で風速二〇メートル超。それでなくても南極の周りは荒れやすい海だから、風の影響は常に頭に入れておいてね。私も常時、モニターするから」

 電波を吸収し熱を遮断する装甲で覆われている艦艇は、広域電波妨害と合わせればレーダーはもちろん、熱映像でも捉えにくい。

 だから索敵は光学と音響が中心となっている――当然ながら、光学・音響ともに気温や気象の影響を受けやすかった。

「戦場についての制限は?」

「指定海域の中心点より、誤差を含めて半径五五〇キロ以内なら問題なし。ただし、艦艇が沈められて陸や流氷の上に落ちたままになるとペナルティー対象になるのはいつもの通りよ……南極大陸に近づくほど棚氷たなごおりが多いから気をつけてね」

 トモエが手を振り繊細な指を空中に踊らせると、投影モニターが次々とウィンドウを空中に開いていく。そのひとつに陽輝が手を伸ばすと、半透過のそれはその場に存在しているかのようにつかめ、手元に引き寄せられた。

「引っかかる陸地はほぼない、な。イレギュラーな棚氷くらいか」

 棚氷とは南極大陸から海へと押し出された氷だ。元は氷河や南極大陸の大半を覆っている氷床ひょうしょうなので、巨大なものが多い。

 陽輝は黙り込んでしばし考えると、

「戦場の最新地図を、立体で」

 指示にトモエが動くと、大きな投影モニターが開かれた。

「我が艦隊の進入位置は?」

「東側になるから、こちらね」

 指定された中心点から真東、指定された戦場の円内のうち、約四五度の範囲のどこからでも進入可能だ。約四七一キロの幅になる。敵はその正反対だ。

 そしてどちらも侵入地点の後方に支援艦艇が配置されている。

 これらは砲弾等の補給を担う補給艦、破損した艦艇の補修・曳航を行う工作艦だ。先日のブラジル調停紛争でも配されていたのだが、戦闘中に使われることはほとんどなかった。

 調停紛争では互いに索敵した後で一度戦端が開かれると、そのまま勝敗が決する場合が圧倒的に多い。

 これは個々の艦艇が持つ火力の強力さ故である。小型艦でも、大型艦を屠るだけの力を持つ。戦場を離脱する際に補修を受けたり曳航されることはあっても、補給を受けて戦線を維持するような戦いを、陽輝はまだ経験したことがなかった。

「地図を進入側、南北ゼロ地点(戦場中心から真東)の高度一〇万メートルから三〇度に変更してくれ」

 立体地図は俯瞰図から角度が変わり、俯角三〇度で見下ろした図になった。少ししてから、

「高度一〇〇〇メートルの視点から水平で」

 視界が変わった。この高度だと水平線までは約一一三キロだ。ちなみに一二〇〇キロ先を見渡すには高度一一二キロまで上昇すればいい。しかし、当然ながらこちらの姿を相手に晒すことになる。

「水平線下の地形図を透過投影」

 立体図が半透過状態になり、小さな島なども示された。

「戦争代理人へ。委員会の名代より、連絡です」

 不意にトモエの口調が変わり、陽輝は立ち上がった。委員会から直に連絡を入れてくることは皆無では無いが。毎回あるわけでもなかった。陽輝は初めて調停紛争の指揮を執った時、短い言葉をかけられただけだ。

 コンソールの向こうに中年のヨーロッパ系男性が現れる。古めかしい正装と金色がかったブラウンの波打つ頭髪と美髯が印象的な立体映像だ。

『戦争代理人、“第四の剣”にお知らせする』

 直立不動の姿勢で陽輝は言葉を待った。

『本日の調停紛争はタラウド自治諸島からの申し出により、パラオ共和国との間で行われる。貴公はパラオ側の戦争代理人として戦うべし』

「宣誓。協定に従い、当事国の名誉と正当なる権利の代理人として、全知全能をもって戦うことを誓う」

 陽輝は挙手をして、型どおりの返答を返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る