020_戦争無き世界/19/タラウド自治諸島
成田空港まで出かけた陽輝が帰宅してから一時間ほどで、滝沢家は夕食となった。
姪っ子たちはもちろん、優奈も帰宅している。まだ帰っていないのは父と長兄の陽太だ。
和やかに食事が始まって少しした頃、通知音と共に投影テレビのウィンドウに緊急速報のテロップが走った。
『タラウド自治諸島、パラオ共和国に対する調停紛争を申請』
文字を読んだ陽輝の表情が珍しく固く強張った。優奈も「えっ!?」と声を上げる。
「どうしたの、陽輝?」
母が声をかけた。
「他所の国がまた、戦争をするんでしょ?」
「お母さん、
「あっ!」
二人のやり取りを他所に、陽輝は自分の携帯端末を操作した。ニュース速報などに目を通す。
「大丈夫だよね、
陽輝は答えず、液晶画面と投影キーボードの間に指を走らせる。
「
「パラオは日本が安全保障と防衛の協定を結んでいる。下手すれば、日本が当事国とされる可能性もある」
抑揚の少ない陽輝の言葉に、優奈は小さな悲鳴を上げた。
「それって……」
「そもそも、タラウド自治諸島なんて小さな国が、アカルナイ委員会に調停紛争を申請すること自体、おかしいんだ」
調停紛争は無料で行われるものではない。一度の紛争につき、日本の新円(二一〇〇年代、三五〇ミリリットル缶の缶ジュースが一新円)にして最低一億円程度の戦費を、定められた期限までに支払わなければならない。これは双方からきっちりと取り立てられる。
「支払わなかったらどうなるの?」
「調停紛争は行われず、支払わなかった方へ問答無用の制裁だ。理由の如何は問われない」
戦費は調停紛争を申請した側とそれを受け入れた側、どちらも支払うのが基本だ。
調停紛争の申請自体が不当な理由がによるものであれば、受理はされない。
仕掛けられた側が調停紛争を受け入れず、その理由が正当ではないと判断された場合は「申請した方の要求を無条件に受け入れる」とみなされる(戦争回避はアカルナイ委員会から評価されるため、要求を緩和した妥協案が提示されることが多い)。
申請受理について、アカルナイ委員会は過去に理路整然とした判断を、常に下していた。
感情的なことや曖昧な理由で判断されたことはない。中には賄賂などを贈る国などもあったが、ロビー活動も含めてそのような行為を委員会は一切、受け付けなかった(しつこく働きかけたり、不平不満を言えば問答無用に……ということはあった)。
「一億円って……キツくない?それって」
二二世紀の現在、日本国政府の年間予算が一兆円を越える程度で、その一万分の一以下である。
「戦費としては恐ろしく安い。それに人的な被害や負担もない」
戦争でかかる費用は兵器の武器弾薬や燃料だけではない。
食料や物資の調達費用と輸送費用、設備関係を動かすための光熱費、戦闘員やその支援要員の人件費。さらには国内の待機体制(市民の避難やその際の食料等)。
戦後は戦没者や戦傷者に対する給付金(給付される国家であれば)、対戦国に対する賠償金(ただし、これは関係国が相互に支払うことにもなるので、終戦後は互いに求めないこともある)……天文学的な数字となる。そして何より、経済への影響が大きい。戦争で停滞していた経済を刺激するための資金投入もある。
かつて大国同士が戦った世界大戦では、戦費が国家予算の二百倍以上になった、という試算もある。
そのことを考えれば、費用を抑えるという点だけでも調停紛争は画期的だった。その上で安易な戦いを仕掛けることがないよう、システムが構築されている。
「調停紛争を仕掛けられた側が、経済的に応じられない国であることを見越し、大国が小国を合法的に侵略する、ということにもならないようになっている」
領土問題は調停紛争の理由とならない。
アカルナイ委員会が提唱する協定への参加時に領土についての申請と認証も義務づけられている(領有について争われている土地については、客観的な物証をもとに帰属を決定される)。以後は寸土たりとも他国を侵犯することを許さない。
このことについて大国がどんな言い訳や持論を展開しようとも、アカルナイ委員会は一度として受け付けなかった。それどころか自己の掲げる正義に従い、問答無用で『鉄槌』を使用してきた。衛星軌道上に展開されている大小数千基とも推測される電磁砲群は、対核兵器用の地下シェルターでも防げない。
「パラオは日本との間に幅広い協定を締結している。領内の安全保障も、その中に含まれていたはずだ。戦費も肩代わりするかもしれないな……」
そうなると、調停紛争後の制裁の対象が日本となる可能性はある。
そして制裁を回避することは不可能だ。委員会は算出された被害や戦果に応じた制裁を科す際、場所を選ばない。
ずっと以前は病院など、特定の施設は制裁の対象から外していた。
しかし、ある国の権力者たちとその一族郎党が、病院の地下に避難シェルターを建造した。制裁が始まると逃げ込むための地下通路まで造られていた。
それが判明すると病院も制裁の対象に含められ、悲惨なことになった。戦後、アカルナイ委員会は「病院に入っている人間も、勤め先に出ている人間も、生命の重みに代わりはない。問題はそのような場所を利用する権力者たちにある」と言った。
制裁の第一目的は戦争の苦痛を権力者たちに味あわせることだ。
「アカルナイ委員会の老人じゃないが、調停紛争はどんな形であれ戦争だ。軽々しくするものじゃない」
珍しく忌々しげな感情を表した陽輝は、早々に手作りハンバーグの夕食を食べ終えた。すぐに携帯端末で琴音らに電話をかけてみるが、
『ただいま、回線が大変混雑しております。少し時間をおいてからお掛け直しください……』
お決まりのメッセージが流れた。一応、メールを送信したが、受信されているかどうかは不明だ。返事も来ない。
黙り込んだ陽輝は、自分の部屋に戻った。しばらくはネットのニュースや掲示板、SNSなどあらゆる手段を使って情報を集める。
タラウド自治諸島は旧フィリピン、ミンダナオ島の南にあった。西はセレベス海、東は太平洋に面している。
二一世紀までは世界屈指の人口を誇る、インドネシアの一部だった。
『大分裂』時代に入り、一億人以上の人口を有していたフィリピンが分裂した際、自治諸島となった。信託統治領として、国防などを外国に委任している。
隣り合う国が地下資源、海洋資源、水産資源などを巡ってもめることは多かった。
しかし、パラオなどと同じく大きな軍事力を保有していないため、これまでに争い事などはほとんど起きていない。起きても当事国同士で話し合い、国際調停機関などを介して合法的に解決していた。
今回は「パラオ共和国の漁船が領海内で違法操業をしていて、タラウド自治諸島の海上警察による取り締まりに抵抗した」という速報が入っていた。
しかし、事件の発生から数時間後(陽輝が帰宅した頃)には、「パラオ漁船の乗組員八名中三名が射殺、残りは拘束されて船も拿捕された」という情報が入ってきた。
日本国内のニュースサイトは元より、海外のニュースサイトを翻訳した情報も同じ内容だった。
それにしても……と陽輝は考える。
これまでにも人口の少ない国同士が争い事を起こして、互いに激しく非難し合うことはあった。
しかし、ネット上に上がったタラウド側の公式声明を見ると、
「我が海上警察の指示に従わず、直ちに停船しなかったので警告として発砲した。その後、停船した漁船に乗り込み臨検したところ、抵抗したので威嚇のため発砲した。しかし、漁民が勝手に動いたために命中した。殺傷する意図はなかった。責任は無駄に動いた漁民側にある」
タラウド自治諸島は随分と強引なことをしている。翻訳された声明でも責任回避に終始した内容で、相手を見下した調子だった。
この強気はどこから来るのか、と考えていると携帯端末が鳴った。
見るといつも利用しているパソコン関係の販売店「端末工作室」からのダイレクトメールだ。
ざっと目を通す。掘り出し物の所に幾つか目を引く商品がある。
それらの値段や搭載しているCPU、OSなどのスペックを、陽輝は自分の端末のテキストファイルに打ち込んだ。複数に開いたテキストのウィンドゥを、比較するように並べる……。
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