019_戦争無き世界/18/ミンダナオ島沖の衝突


 自動運転で走る無人タクシー(この時代、運転手に運転を任せる車両は贅沢の象徴だった)は首都高速を駆け抜け、京葉道路を宮木野ジャンクションで東関東自動車道に接続した。少し雲が出ているが、晴天である。

「なんでタクシーなんだ?」

 後部座席の左側で、頬杖を突いて窓の外を眺めている陽輝が言った。成田空港までなら鉄道も通っている。

「んー。荷物が多いから」

 前席に座った琴音が言う。ハッチバック・五ドアの中型タクシーだが、荷物はすべて後ろのトランクに収まったそうだ。

「一週間分の着替えとか入れちゃうと結構、かさばるのよねぇ」

「下着とシャツ系の着替えがあれば充分だろう。荷物を少なくするのは旅の鉄則だ」

 ぼそりと言った陽輝に琴音は、

「あんたねぇ。女の子を何だと思ってんのっ!二日続けて同じ服を着ていったりしたら、それだけでビッチ呼ばわりなんだからね!朝ご飯の時と晩ご飯の時でも着替えることもあるって知らないでしょ?」

 ……陽輝が務めていた前の職場でもそうだった。女性は完徹をした後でも必ず始発で帰宅し、入浴と着替えを済ませてから仕事に戻ってきた。

「帰りのタクシー代なら心配しなくていいから。往復チャーターだよ」

 琴音は力強く言い捨てる。陽輝は抑揚の少ない口調で、

「そいつはありがとう。感謝してるよ」

 クスクスと笑う声がした。視線を転じると、後部座席の反対側に座っている娘が小さく笑っていた。琴音が口を尖らせる。

「何よ、菜々美。そんなに笑って」

「だって。琴音とハル君、前と変わらないなぁって」

 笹野ささの菜々美ななみは軽やかな笑い声を上げた。東ヨーロッパ系のクォーターでくっきりとした目鼻立ち、肩に掛かる髪は豊かに波打つ赤みがかったブラウンだ。

 この世代の女の子としては小柄な方で線は細く、おっとりとした印象だった。琴音と同じく、陽輝とは初等教育課程からの友人である。

 可憐な美貌を一瞥した陽輝は、無表情なまま視線を外に向けた。

「ハル君、元気そうでなによりだね」

 菜々美の言葉に陽輝は、相変わらず抑揚の少ない口調で応えた。

「ただの精神疾患患者だ」

「陽輝はそういう後ろ向きなのがいけないんだよっ」

 振り返った琴音が言う。

「琴音」

 菜々美が制した。陽輝に向かって、

「ハル君、今までずっとがんばり続けてたんだよね。だから心が少し、疲れたんだよ。ちょっとお休みしたらいいだけだから……ね。急がずに行こう。ねっ?」

 陽輝は答えず、窓の外に向けた視線を動かすこともなかった。

 それから三〇分ほどでタクシーは成田空港の第二ターミナル前に到着した。十五年前に行われた調停紛争後の制裁で東京湾周辺の地形が大きく変形して以後、東京の空の玄関口は主に成田だ。

 荷物を下ろしてドアを閉めると、自動タクシーは駐車場へ勝手に移動する。帰りは携帯端末で呼び出せばいい。

「えーっ、陽輝かよ!?」

 驚いた表情で言った若者は岸井きしいたくみだ。

「変わらないな、巧」

 中等教育課程の卒業式以来の友人に陽輝は応えた。微かに苦笑が漏れる。

「どうしてたんだよ、ずーっと音信不通だったし」

 しばし懐旧を楽しみ、互いに近況を報告する。

「へぇ。でも、その歳でフリーランスなんて凄ぇじゃん。技術が認められたってことなんだろう?」

「いろいろ大変だ。確定申告とか、自分でしなきゃならないし」

 そんな話をしていると遅れていた面々が到着した。

「あれっ……陽輝?」

 同世代の男女が三人、やってくる。しばし、懐旧と近況報告の話にふけった。

「おい琴音、見送りにだけ連れてくるとか、悪いだろ」

 陽輝を一瞥した高橋たかはし悠真ゆうまが呆れたように言う。一行の中でもっとも落ち着いた雰囲気だ。現在は商社に勤めていると聞いていた。

「いいじゃん。家でじっとしてるより、外に出てきた方が健康的なんだしさ」

 唇を尖らす琴音に悠真は肩をすくめた。

「ごめんね、陽輝。お土産、買ってくるからね」

 田中たなか遙香はるかが苦笑いして言った。中背に明るく染めた髪は短い。

「別に気にしていない」

 無表情に応えた陽輝に、菜々美が笑顔を向けた。

「また行けばいいんだよ。その時はハル君も一緒に、ね」

 出発ロビーの時計を見上げた悠真は、

「そろそろ行くか」

 菜々美の肩に手をかけた。寄り添って歩き出す。

「陽輝。久しぶりに会えてうれしかったよ」

「今度は一緒に行こうぜ」

「帰ったらお土産、持ってくね!」

 六人が搭乗ゲートの方へ消えていくのを陽輝は見送った。振り返るのに、ぎこちない動作で手を振り、口元を開いてみせる――引きつっているだろうが、笑顔くらいには見えただろうか。

 パラオは成田から直行便があり、『大分裂』時代にアメリカ海軍が去って以降は日本が領海保全の国防を代行しているのだが、常駐はしていない。

 琴音たちが乗った旅客機が飛び立つのを見送った陽輝は、展望デッキから降りた。二階の到着ロビーを歩いていると、大型壁面ビジョンにニュース速報のテロップが流れた。

『西太平洋、ミンダナオ島の東南東一六〇キロの海上で、パラオ共和国の漁船がタラウド自治諸島の海上警察と衝突。死傷者が出た模様』

 物騒な話だ。百年ほど前は南シナ海や東シナ海もひどかったらしい。

 当時、軍拡の道を邁進していた中国大陸の巨大国家が日本やフィリピン、ベトナムなど周辺国の領海領空を連日のように侵犯し、時には衝突まで起きていた。

 しかし、二一世紀後半から後は大国というものが姿を消し、このような衝突も起こらなくなった。下手に争えば空の彼方から、アカルナイ委員会の『鉄槌』が降り注ぐことになる。

 今回、衝突したのはどちらも太平洋の、人口規模が小さい国だから、武力で争う前に話し合いで解決するはずだ。経済規模から考えても、調停紛争は起こりえない。

 空港内も緊張した様子はない。航空兵器などを出撃させれば、即座にアカルナイ委員会による制裁が発動する――彼らは加盟国の安全保障も宣言しているから、今の便も無事に着くだろう。

 そんな人々の話を耳に挟みつつ、陽輝はターミナルを出た。チャーターした無人タクシーが駐車場から、飼い犬のように近づいてきたので乗り込む。

 直接、和光市の実家には戻らなかった。首都高を東池袋インターで降りて、池袋駅前でタクシーを停めた。契約終了を宣言する。

 無人タクシーが走り去ると、駅の方へ足を運んだ。まだ午後二時なので、出口付近で少し遅い昼食の店を探す。

 陽輝は駅から少し離れた、一人でも入りやすい個別カウンタースタイルのラーメン店に入った。食券を買ってカウンター席の投入口に入れれば、少しして注文した品が届けられる。

 隣席と仕切られたカウンター席で、陽輝は豚骨スープのラーメンを無心に楽しんだ。一玉では足りないので、最初から替え玉も注文してある。今は家族も、友人も、仕事も、そして戦争代理人も、自分には関係ない。

 食べ終えて駅の方に戻った陽輝は、書店を何軒か回った。

 紙媒体の書籍は、現在ではほとんど見かけない。需要があるとすれば愛好家だけなのだが、それでもある程度の需要がある。少し栄えているターミナル駅であれば、複数の書店が見つかった。

 陽輝は何軒か書店を回って、二一世紀に関連する書籍を探した。当時の世界地図と小説、近代史の解説本などを買うと、地下鉄に乗って帰宅する。

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