018_戦争無き世界/17/浮き沈み
旧ブラジルの国々が関わった調停紛争の翌週、四月二五日の金曜日。
この一週間ほど。陽輝は朝からネット上のニュース記事を閲覧したり、昼間は外を出歩いたり、姪っ子たちを公園に連れて行き、走り回るのに付き合わされたりして過ごしていた。
朝食の後、父と兄は出勤、妹は登校、姪っ子たちは通園、母と義姉は買い物にと、家族はみんな出かけていた。
誰もいなくなった後、陽輝は自分の部屋で腕立て伏せ、腹筋、背筋を中心としたサーキット・トレーニングをしている。医者から言われて、少しでも身体を動かすようにしているのだが――。
『熱心だね、ハルキ。筋トレとか』
端末のスピーカーからは声が、投影モニターは椅子に座って足を組んでいる、レッドブラウンの長い髪をポニーテールにした少女の、詳細な立体映像を映し出していた――トモエだ。
先日の通話から三日後にも彼女から連絡を入れてきたが、その時の陽輝は感情の浮き沈みが少ない――というより半ば沈んでいるように見えたそうだ。
それでも受け答えは普通だったし、トモエとの会話を自分からやめようとしなかったので、彼女も安心したらしい。
今、トモエはグレイッシュ・ブルーの軍服を思わせる、丈が長めの開襟ジャケットにブラウスと黒いタイという姿だった。
しかし、下は軍服ではあり得ない、ジャケットと同じ色・素材のミニスカートだ。まるでその場に本人がいるかのように見える。
双方向通信の技術は二〇世紀から劇的に発達し、現在ではその場に立体映像を投影しながら、カメラではなく互いの顔を見て話すことも可能だ、と言われていた。
しかし、実際はそれほど普及していない。投影モニター自体の出力と解像度、カメラの性能と配置位置、端末自体の高い処理能力などが必要となる。それには家庭用の投影モニター程度では荷が重かった。
映像の前で、陽輝は応えずに黙々と腕立て伏せをしていたが、一定の回数を終えるとすぐに身体を裏返した。膝を折り曲げて立て、左右に捻りながらの腹筋を始める。
筋トレマニアなどに「二〇世紀のスタイル」と揶揄される形だが、負荷のかかり具合がちょうど良いと教えられてから、陽輝はずっとこのやり方をしている。
陽輝の精神的な復調を確認したトモエは、
『まあ、大丈夫だとは思うんだけどさ』
「何が心配なんだ?」
陽輝は短く尋ねた。
『この前のもそうだけど……妹さんと調停紛争見てからのハルキ、特に沈みがちだったし』
「見ていてわかるのか?」
『もっちろーん!トモエさんにわからないことなんてないんだからねーっ』
満面の笑みで胸を張るトモエに陽輝は、
「ところで……今日のその格好はどうした?」
『やっと気付いた?女の子の服装や髪型は、真っ先に褒めないと駄目だよ~。今日はミリタリーをテーマにしてみましたっ』
そう、とだけ言うと陽輝は両足をベッドの下に突っ込んで、背筋を始める。背を向けられたトモエは立ち上がり地団駄踏んで、
『こら~!感想ぐらい言いなさいよぉ』
「よく似合ってる」
『心がこもってないって!絶対に他のこと、考えてるでしょ!?』
抗議するトモエに陽輝は、
「優奈の機嫌がずっと悪い。調停紛争を見てから……」
衛星軌道上からの砲撃で、調停紛争結果の制裁を課せられた旧トルクメニスタンや旧ブラジルの当事国では、今も復旧作業が続いているというニュースが連日、報じられていた。
アカルナイ委員会による調停紛争が始まって、既に四半世紀近い。だから制裁についての備えや知識はあるのだが、未だに被害は無くならなかった。
各国に出来るのは、制裁の終了と共に支援活動に入る程度だ。日本からも救助隊等が派遣されている。
最近、陽輝の妹が不機嫌の極みに至ったのはブラジル調停紛争の制裁から七二時間が過ぎて救出作業が復旧作業に移行した頃に、幼児の遺体が見つかったというニュースを聞いてからだ。
「
『大変なんだね、お兄ちゃんも……』
「すまんな、気を遣わせて……時間が経てば、何とかなると思う」
ゆっくりと上体を反り返らせながら、陽輝は言った。
『次はどんな格好にしよっか?リクエストとかある?』
「意外性を楽しみたいから、トモエのしたい格好でいい」
そう応えたところで携帯端末のアラームが鳴る。
陽輝は背筋を終えた。タオルで汗を拭うと、部屋を出て浴室に向かう。
シャワーを済ませた陽輝は、髪を乾かしてから部屋に戻った。投影画面内のトモエは自分の携帯端末を眺めていた。陽輝を見て、
『出掛けるの?』
「友達が旅行に行くから、見送りに来いってさ」
『えっ?ハルキは行かないんでしょ?』
「しばらく疎遠になってた連中だが……同窓会っていうか、顔を出せとうるさい。そろそろ迎えに来るはずだ」
言いながら陽輝は構うことなく部屋着を脱ぎ、ブリーフ一枚になって着替え始めた。トモエは視線を逸らして、
『本当に行くのが嫌なら、断ればいいじゃない』
「……」
黙って陽輝はデニムパンツのファスナーを引き上げる。
『必要だったら手伝うよ?断るの』
「ありがとう。でも、いい。どんなに煩わしくても、付き合いというものがある」
春物ジャケットの袖に腕を通した時、携帯端末の呼び出し音がワンコールだけ鳴ると、すぐに切れた。
陽輝はトモエに別れを告げて、端末の電源を落とした。部屋を後にすると、玄関の管理端末で屋内の全施錠をチェックしてから、外へ出た。
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