017_戦争無き世界/16/合理的システム

 調停紛争の指揮から帰った翌朝。

 陽輝はいつも通り乏しい表情で、家族の前に現れた。朝食の席で優奈があれこれ話しかけてきたが、適当に応えて登校時間まで聞き流す。

 家族が出掛けると、陽輝も着替えて外へ出た。

 光が丘公園まで歩く。平日の昼間――幼児を連れた女性、ウォーキングする老人、インラインスケートに興じる若者……以前に来た時と変わらない、平穏な日常を目にして、無意識に息が漏れた。

 一昨日、地球の裏側では二三万人が死んで六〇万人以上が負傷している。そんな災禍があったことなど信じられないような、平和な景色だ。

 その災禍に関わっている自分がこの場にいることに、陽輝は違和感を感じた。自分の指揮で数十万人が死傷し、その数倍の人生が歪んだ……。

 しかし、正規の軍同士があの規模で戦っていれば、こんな被害では済まない、というのがアカルナイ委員会の言い分だ。

 陽輝は一昨日の制裁の現場を思い出した。

 降り注ぐ質量弾頭は建物や施設、市街地を構成するあらゆるものを破壊していく。瓦礫の下からあふれ出る血と肉片。悲鳴こそ聞こえないが恐怖に歪んだ表情が瞬時に吹き飛ばされ、煙が晴れるとそこに痕跡を示す、血溜まりだけが残る。

 それは一方的に人が虐殺されていく光景だった。

 近代以降とそれ以前の戦争で劇的に異なるのは、戦いに戦場と後方の区別がつかなくなったことだ。

 古来より戦闘は戦闘員で構成された軍と兵士たちが行い、戦場は可住域の外であることが多かった。これは大規模な兵力を展開出来る地形を選んだ結果に過ぎない。戦場の戦いに決着が付いて、敵領土内への侵攻や都市攻略戦に移行すれば、虐殺と略奪は発生した。

 近代以降の戦争では、市街地が最初から標的にされている。敵国の生産能力を奪い、戦争を有利にするためだ。また、兵力の移動速度が上がり、火砲等の射程が伸びていくと、後方にあるはずの都市部が奇襲を受ける事態も発生した。

 有名なのはヨーロッパで唱えられた戦略爆撃論だが、中には怨恨や新兵器実験の目的で、不必要な都市爆撃が行われた例もあった。

 調停紛争の代償たる制裁について、協定に参加する各国からは「制裁による一般人への攻撃をやめろ」という意見が絶えない。

 それに対してアカルナイ委員会は「制裁がいやなら調停紛争などせず、話し合いだけで解決すればいい。その選択権は当事国にある」と応える。

 そして制裁を行う理由は、戦争の痛みを植え付けるだけではない。

 ただ戦闘を代行して勝った負けただけでは、負けた方はその裁定に従わない。制裁の主たる目的は、調停紛争の結果に従属させることだ。

 逆らえばどうなるか……を暗に告げる威嚇のデモンストレーションであり、それは敗戦国だけでなく戦勝国に対しても突き付けられていた。

 調停紛争が導入された直後は、戦前に取り決められたさまざまな事柄――通商や漁業、資源採掘などの権益争いがほとんどである――を認めない、と声高に叫んだ国が幾つか存在した。

 それらの国は調停紛争での敗北が確定すると、保有していた戦力――秘匿していた弾道ミサイルを対戦した国へ撃ち放った。

 結果は悲惨だった。

 弾道ミサイルは打ち上げた途端、ことごとく撃ち落とされた。

 そして『鉄槌』による問答無用の砲撃は制裁の比ではなく、その国の主要な建物や施設、都市を無差別に破壊し尽くし、地形をも変えた。

 切迫した事態に至って初めて、敗北した国はアカルナイ委員会に恭順の意を示すのだ。そして交渉を求めても、衛星軌道上からの砲撃は止まなかった。

 核兵器を想定して地下深くに建設されていた支配層専用のシェルターは、衛星軌道上から撃たれた質量弾頭による攻撃が直撃しなくても、崩された地面の崩落には耐えきれず、クレーターの底に埋もれた。結果、いくつかの国が滅ぼされた。

 事前に国外脱出を図った権力者たちは、搭乗していた航空機や潜水艦が破壊された。なんとか脱出して第三国に逃れた者も居所を突き止められると、周辺の被害を無視した『鉄槌』による攻撃が行われた。

 そのため、アカルナイ委員会に逆らった当事国の人間は、脱出先の国からも拒絶されるようになった。入国拒否から入国後の逮捕・強制送還、専用機で国境に近づいただけで攻撃された事例もあった。

 戦争を合理的に切り詰め、なおかつ徹底して制御するシステムとして構築された調停紛争――様々なケースが発生すればするほど、それらを想定して対応できるように考えられていることを痛感させられた。

 そのことを理解していても、陽輝の心は晴れない。どういう事情であれ、自分の戦闘指揮の結果、人生を終了した命が多数あるのだ。

 この前、来た時に座ったケヤキの木の下に陽輝は腰を落ち着けた。近くの芝生ではコーギー犬が、投げられたボールを無邪気な喜びも露わに走って追いかける。

 陽輝はまたひとつ、息をついた。何も考えないように意識して木陰にいると、携帯端末が震える。

 映像通信の画面にはトモエの顔があった。いつもなら花が咲くような笑顔が、今日はぎこちない。

『ハーイ、ハルキ……その』

 視線を逸らしながら言うのに陽輝は微笑んで、

「やあ、トモエ」

『この前はお疲れ様。あの……この前のこと、気にしちゃ駄目だよ。ハルキは自分の務めを果たしただけなんだからね』

「わかっている。だが、ミスをしたのは確かだ……もうやめよう。こんな場所でこんな話は」

 珍しく苦笑した陽輝にトモエは、

『そっ、そうだね……なんか、ハルキが心配だったから、その……』

「本当にもう大丈夫だ。大丈夫だと思うが……少し、一人にしてほしい」

『わかった。ごめんね、プライベートな時間に連絡なんか入れて』

「心配してくれてありがとう。それじゃあ、また」

 そう言って陽輝は通話を終えた。

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