016_戦争無き世界/15/戦争の痛み

 午後六時。

 陽輝は千葉から都内へ向かう、自動運転のワゴン車内にいた。

 ナノマシンによる混乱から、不安定になった精神を落ち着かせる薬物の影響は去ったものの、頭の芯がまだ軽く痺れているような気がする。

 車が江戸川を渡る前に、別れ際にトモエが渡した錠剤をペットボトルのお茶で飲んだ。軽く精神を高揚させるが、危険ではないという。

 今回の調停紛争は陽輝が戦争代理人になって、二度目の戦いだった。

 最初の戦いでもやはり制裁が発生した。万単位の人が吹っ飛ばされる映像を、微に入り細に入り見せられ、あの時も吐いた。

 だが、今回は二〇万人以上の犠牲である。それも敗北や被害によるものではなく、自分の判断ミスだ。自分のために大勢の人が死んだ。

「戦争代理人とは戦争を代理する国家とそこに属する人々、そして対戦国の命運をも背負う存在です」

 それは陽輝が戦争代理人になる誓約をした時、有名なアカルナイ委員会の老人から言われた言葉だ。

 調停紛争は遠隔操作された無人艦艇の艦隊で、無人の地にて行われる戦争の代替行為だったが、流血と無縁ではない。むしろ、確実に犠牲が出るだろう。それも戦場に立つ将兵ではなく、当事国の国民に……。

 その虐殺の現場を見せられ、時には無残な遺体を凝視させられる。これは戦争代理人に対する戒めであり、艦艇を失ったことへの制裁だ。

 そして志穂の狂気じみた表情――初めて見たが、陽輝が最初に会った時から、あの女は異様だった。解離性同一性障害なのか、会う度に人格がまるで異なる。

 いろいろと疲れた1日だったが、それでもなんとか陽輝の精神状態はある程度まで回復していた。

 もしも次の戦いがあれば、自分に出来るのは最小限の被害で済ませることだけだ。もっとも、その機会は永遠に来ないかも知れない。一度戦って以後、声のかからない戦争代理人も多いと聞いている。

 渋谷のビルに入ってもう一度、車を乗り換える。地下鉄の成増駅を降りる頃には普段の陽輝に戻っていた。

 実家に着くと母が心配げに、

「遅かったわね」

「手違いがあって作業が長引いた……でも、ちゃんと寝たから大丈夫だ」

「それで、今日の夜はちゃんと寝られるの?」

「睡眠導入剤を使う」

 そう答えてから階段を上り、自分の部屋へ入った。

 部屋着に着替えると、ベッドに横になる。どっと疲れが押し寄せて来た――身体の疲れに精神の疲労が折り重なる。

 三〇分ほど横になってから、端末を起動させた。正直、しばらくモニター画面は見たくない気分だったが、ネット上のニュースから噂話までチェックする。

 マトロパトマ連合の被害規模は八〇万一一九三人とされていて、実際の制裁では死者一五万人以上、負傷者五十万人以上とされていた。

 これはアカルナイ委員会の制裁が、艦艇の被害に応じて算出される被害規模に相当する人員収容能力のある建物を狙うからだとも、地上の熱源を狙っているからだともいわれている。

 算出された被害規模と、実際の制裁による犠牲が一致することはない。大抵は被害規模を下回ることが多いが、希に上回ることもある。

 陽輝が気になっていたのは、正統ブラジリア連邦の制裁結果だ。犠牲者数だが、死者は約八万人におよび、負傷者一四万人以上となっている。二三万六二一人という算出された数字に近い。

 これも自分のミスのためか……陽輝は唇を噛む。精神は落ち着いているが、気持ちは簡単に沈み込んだ。志穂の狂気じみた不気味な笑顔が脳裏にちらつく。

 かつて存在したアメリカ合衆国は、二〇世紀前半の世界大戦において、世界で初めて核兵器を使用した。そして戦後、「これで百万人以上の命が救われた」と言い訳じみた持論を振りかざした。

 実際の所、核兵器の使用は単なる兵器実験であり、当時は次の主敵と見なされていたソビエト連邦向けのデモンストレーションだった、という説が根強い。

 彼らが言った「百万人以上」とは、想定される自国兵士の犠牲である。核の炎や無差別爆撃で焼き殺され負傷した、数十万人といわれる一般の日本国民ではなかった。

 いつの時代でも「被害を最小限に済ませる」という言葉は戦争の始まりや、大量殺戮兵器を投入する口実に使われる。

 アカルナイ委員会は無人の艦艇同士による戦争行為を代行していた。これは一見するとただの戦争ゲームのようにも思える。

 しかし、ゲームと異なるのは、戦果に応じた制裁が科せられることであり、当事国双方の人間は職業・地位・性別・年齢など一切の区別なしに、犠牲者となることだ。戦争代理人もただ勝てば良いわけではない。

 かつてアカルナイ委員会の老人は、世界各国の首脳たちを前にこう言った。

『調停紛争という制度により、将兵を動かした戦争に比べて人的被害も費用も抑制が出来る……政治家や軍人の皆さんがこれまで、繰り返しおっしゃってきたことを具現化した手段です。生憎と軍需産業は潤わないでしょうが、制裁後の復興特需はちゃんと発生しますよ』

 皮肉の効いた説明だった。調停紛争と制裁の主たる目的は、戦争の痛みを当事国に刻み、戦争をする気持ちを減らすことだ。

 ちなみに制裁範囲の決定方法(被害算出の計算式)と、算出される被害規模は非公開だ。マスメディアからネットの噂まで調べたが、今回の正統ブラジリア連邦の被害については「勝利したのに被害が大きいのではないか」と言われている。戦争代理人(陽輝)のミスかどうかは言及されていなかった。

 夕食の時間が過ぎても、陽輝は部屋を出なかった。優奈が尋ねてきたが、「疲れている」と言って追い返す。

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