015_戦争無き世界/14/不確定要素
『ああ、母さん?ちょっと作業が長引いてね。仮眠してから帰ることになった。晩ご飯までには戻る』
そんな連絡が滝沢家にかかってきたのは、朝食の後だった。次男の声に若干の違和感を感じたものの、「疲れているのかしら」と陽輝らの母はつぶやいてすませた。
その少し前。
陽輝は麻綿原高原の東にある別荘にいた。一般的な建売住宅の倍ほどもある建物の裏は、元が牧場だったのでちょっとした草原が広がっている。周辺に他の家屋は一軒もない。
冷え冷えとした早朝――明るくなってきたものの、まだ靄がかかっている草原に面したウッドデッキ。
陽輝はそこで、車椅子に座らされていた。正確には車椅子へ厳重に拘束され、舌を噛まさないためとしゃべらせないため、口枷まではめられている。疲れ切った様子の両目はぼんやりとして、視点が定まっていない
その前へ白いワンピースに紺のショートジャケットを羽織った女が立った。
「ご苦労だったわね、“第四の剣”」
陽輝に近づいた冷たい美貌は笑みを浮かべていた。
怒りでも嘲りでも喜びでもない、ただ笑みの形に口を開いて歯を剥き出した表情のままだ。肩に掛かったダークブラウンの髪が、草原を渡ってきた風に揺れた。
「別に責めてないわよ?あなたは立派に戦ったわ……戦争ごっこに少し張り切り過ぎて、本来は死んだり傷つかなくていい人が一〇万人程、増えただけよね」
嘲りでも怒りでもない、微妙な感情を込めた口調と言葉。
それでいて、笑みの形を保った表情はまったく変わらない。悪意を隠さない笑顔は時折、微かに動いた。それで仮面などではなく、生きた人間の顔だとわかる。
「かまわないのよ、別に。二一世紀までの戦争に比べたら、一〇万人なんて僅かな犠牲よ。世界にはかつて、弾圧や失策で自国民を一〇〇〇万人単位で、それも平時に殺した国すらあったんですものね」
答えられない相手を前に、化物じみた表情の女はいたぶるような言葉を続けた。
「一〇代の女の子みたいに涙を流してお腹の中の物を全部吐き出したのも、別に恥ずかしいことじゃないわよ。戦争代理人として、調停紛争の結果を最後まで受け止めたんだし。それに戦争代理人はみんな、そうなっているわ。あなたも覚えているでしょう?戦争代理人になった時のことを」
それは外に出るのもためらうほど、陽輝の鬱病がひどかった頃だ。何とか外出して委員会と接触し、正式に契約を交わした。
その際、誓約と共に注射を打たれた。自己増殖する特殊なナノマシンで、戦争代理人となった人間を保護するための措置だ、と説明を受けた。
「あのナノマシンには身体の動きを制したり、感受性を高める働きもあるわ。毎回、嘔吐して苦しむきっかけも作ってる。でもね、制裁後のあれはナノマシンだけが原因じゃないの。最初からそうなる人間を選んでいるのよ」
話し続ける女は陽輝より少し年上で、冷たく整った美貌だった――化物じみた表情を除けば。『自由時間創業舎』の牧山志穂だと思えない。
オフィスで見たのとはまるで別人だ。目鼻立ちも輪郭も変わっておらず、まとめていた髪がいつもより高級そうなジャケットの肩に掛かっているくらいなのだが……。
陽輝は惚けているような表情だ。ただ時折、反応を示しているから意識はある。
志穂は腕を伸ばした。白く繊細な十本の指が陽輝の顎を捉え、上を向かせる。
彼女の唇は笑いの形に両端を不気味に吊り上げ、白い歯を見せたまま動かない。瞬きすらしない瞳は笑っていないどころか、感情の色も皆無だった。静かな狂気をまとった化け物は陽輝の目を覗き込むと、言葉を続けた。
「そうなる人間を選んだ理由はね。他者の痛みを受けとめられる感受性がないと、戦争代理人なんて任せられないからよ。エリートや選民意識の持ち主は、いくら人が死んでも平気でいられる。この手の人間には独善的で自分を客観視せず、自分の判断を盲信することが多い」
答えられない若者へ、悪意を込めた言葉は投げ続けられる。
「そういう輩に力を持たせると、制裁でどれだけ人が死のうと無関心なまま、いつか自分を絶対的な神だと思い込むわ。そんな人間に戦争代理人はさせられない。それでは戦争を繰り返していた、大国の時代と同じよ」
陽輝の目を覗き込んでいた、表情の変わらない化け物は一度言葉を切ると、話題を転じた。
「こんな話を知ってる?『大分裂』時代もアカルナイ委員会の仕業によるものだって推測する、陰謀論者たちの話」
この説を盲信している連中の間では、「アカルナイ委員会は宇宙人によりもたらされた、オーバーテクノロジーを使っている」という説が常にあった。
「便利な戯言よ。アカルナイ委員会はあくまで人類の叡智と行動の結晶……現に各国でもいろいろと推測されているけれど、ほとんどが「二〇世紀の頃から発案されていた様々な技術を確立し、実用化している」という推論が、随分と前に出されているのにね」
現在も謎の組織とされるアカルナイ委員会だが、四〇年ほどの時間は世界に彼らを研究させていた。
「艦載型融合炉を実用化させた資金や、衛星軌道上に電磁砲群を建設した技術と手段も、すべて推測の範囲ではあっても合理的に説明がされているわ。委員会の中枢がどこにあるのか、という点を除いてね」
アカルナイ委員会については二〇世紀に端を発する、国家を越えた科学者たちの集まりだと推測されていた。
彼らは投資や複数の事業運営で資金の確保と技術開発を進め、宇宙産業の分野では世界各国から受注もしていた。電磁砲群の建設も受注した衛星軌道の開発事業を通して秘密裏に進められていた、と言われている。
「でも……どんなにテクノロジーが進んでも、それを扱う人間が進歩しなければ時代の繰り返しにしかならない。国家間の戦争という手段を奪われた世界に痛みを植え付けることで、将来の戦争を忌避させるのが本来の目的よ」
恐ろしい形相に凍り付いた美貌は一度言葉を切ると、
「だから、艦隊を完全な自動制御として戦争代理人を不要にも出来たのに、「人間が指揮を執る」という不確定要素が調停紛争には残された。戦闘の帰結を人間が決定して、人間がその結果の罪業を背負い、学ぶためにね」
志穂は感情の光がまったくない瞳で、陽輝の目を覗き込む。彼女の顔が間近に迫って、陽輝の顔にかかる吐息からは臭いなどまったくしなかったが、言葉と共に瘴気を吐いているようだった。
「戦争代理人を辞めたいのなら、いつでも辞めさせてあげる。その権利は与えているし、投与したナノマシンも無力化するわ。でも、その後でアカルナイ委員会の情報を官憲へ流せばどうなるか、わかる?」
一度言葉を切った志穂は、
「私たちはあなたの前から完全に消え去るわ。委員会関係者と接触していたという、明確な証拠を残してね。その結果、あなたが捕まって執拗な尋問や非合法な拷問にあっても、私たちは一切関知しない」
張り付いていた笑みの形の唇が、両端を更につり上げた。感情のなかった瞳に狂気じみた光が宿る。
「そして新しい戦争代理人を探すわ。あなたみたいに真面目で責任感があって、才能もあるのに世の中から認められず、報われていない人間。戦争代理人なんてしていればそのうち精神を病んでしまう、繊細な神経を持った素直な人間をね。でも、悲惨な戦争が無くなるんだから、それは尊く美しい犠牲だと思わない?」
美しい顔の化け物は、皮肉と悪意をまぶした嘲笑混じりに持論を述べた。
「せ……は……な……い」
口枷の奥から陽輝は何か言ったが、聞き取れる言葉ではなかった。化け物のような笑みを崩さないまま志穂は頭を振ると、陽輝を解放して離れた。控えていた少女に、
「トモエ。私からの調教は終わったわ。後はあなたがせいぜい、飴を舐めさせてやるのね」
そう言って振り返りもせず立ち去る志穂を見送ってから、トモエは陽輝に近づいた。口枷を外してから、車椅子を屋内へと押す。
「もう少し休んでから帰ろうね、ハルキ」
強めの精神抑制剤を投与されているので、それら薬物の影響から解かなければならない……陽輝の表情を見て考えていたトモエは、微かに聞こえる言葉に耳を傾けた。
「ん……そ……うは……なく……ら……な……い。人が……せい……めいで……ある……かぎ……り」
驚くトモエの前で、陽輝は明確な意思を持って繰り返した――「戦争はなくならない。人が生命である限り」と。
それはアカルナイ委員会に挑戦する言葉であると同時に、彼らがかつて認めた事実でもあった。有名なアカルナイ委員会の老人は、協定を批准した世界各国の首脳たちに向かって言った。
「人もまた、この地上に生きる生物である限り、生存という闘争が際限なく続くのは事実でしょう」
アカルナイ委員会は自らが掲げる綱領でも、この言葉を認めつつ、彼らなりの考えと手段で否定しようとしていた。
しかし、アカルナイ委員会の中でも結論はずっと昔に出ている、とトモエ聞いたことがある。その結果が現在の調停紛争制度なのだ、と。
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