012_戦争無き世界/11/“第四の剣”

 自由時間創業舎を出た後、外で昼食を済ませた陽輝が帰宅して日の夕食の席。

 テレビ配信のニュースが「ブラジルのマトロパトマ連合と正統ブラジリア連邦の調停紛争が申請を受理され、正式に決定した」と告げた。

「また戦争があるの?なんでなのよ、ハルにぃ!」

 妹の責めるような問いかけに陽輝は小さく首を振って、

「俺は知らない。マトロパトマかブラジリアのリリースでも読め」

 素っ気ない言葉に不機嫌さが増した妹を残して夕食を済ませると、自分の部屋へ戻った。

 その翌日の木曜日。

 家族が出勤ないし登校した後で、陽輝は母に仕事で出掛けることを告げた。

「えっ?今晩に?」

「どうしても人手が足りないらしい」

 ある会社のシステムメンテナンスで応援の依頼を受けた、と陽輝は説明した。

「それは……まあ、良いことだけど。でも陽輝、それって……」

「夜中の作業になる。仕方がない。昼間にするわけにいかないから」

 会社規模の大小はどうあれ、社内ネットワークに関するシステムの保守作業は就業時間外に行うのは避けられない。そして現在でも、現地に赴く必要が時にはあった。

 現地入りは業務が終わる夕方以降で、朝の始業までには終わる予定だ。

「難しい仕事じゃない。システムにつないで、チェックをして、作業用アプリで記録を取るだけだ」

 しかし、母親としては陽輝の鬱病が心配だった。

「大丈夫だ。いつもはちゃんと睡眠時間は取っている。それにそんなこと言っていたら、いつまでたっても外を出歩けない」

「それはそうだけどねぇ……」

 父がいれば「黙って行かせろ」と言ったことだろう。が、母は最後まで納得のいかない様子だった。

 夕飯を早めに食べて出ると伝えると、陽輝は着替えて散歩に出掛けた。

 今日は和光市側へ向かい、市役所の近くを通って国防陸軍の駐屯地に隣接する樹林公園の周囲を歩く。

 それから都内に入って光が丘公園まで歩き、こちらも外縁を一周して帰る。一〇キロ以上の距離だった。

 昼食を食べ終えると、陽輝は自室で仮眠した。ウトウトしていたが知らない間に眠り、午後五時過ぎにアラームで起こされる。

 軽めの夕食を摂ってシャワーを浴び、身支度を調えていると、学校帰りにそのまま学習塾へ行っていた優奈が帰ってきた。

「あれ、どこか行くの?」

「仕事だ」

 ほとんど入れ違うように家を出ると、歩いて地下鉄の駅に向かった。東池袋駅で下車する。かつてのような繁栄とはほど遠いオフィス街では比較的人の出入りがある、高層ビルのひとつに入った。

 少し時間が経過して、そのビルから出てきたステーションワゴンの後部座席に陽輝の姿があった。車内には四人が乗っている。

 ステーションワゴンは京葉道路で千葉へと向かった。千葉駅前にあるビルの地下へ入っていく。

 それから約二時間後――すっかり日も暮れた麻綿原まめんばら高原の東、県道から少し入った別荘らしい邸宅の敷地に一台のワンボックス車が入った。

 玄関前に作られたロータリーの軒下に停まったワンボックス車は、すぐに発車して姿を消す。

 降り立ったのは陽輝一人だ。薄いグリーンの目立たない作業服姿である。

 邸内に入って七分後。

 奥まった部屋のドアを陽輝は開けた。

「着任を確認しました。戦争代理人、“第四だいよんつるぎ”」

 敬礼して迎えたのは、琥珀色の瞳と長いレッドブラウンの髪を持つ娘――トモエだった。一見すると近未来的な軍服を思わせる濃紺の制服姿で、ヒールのあるロングブーツを履いていた。立てば一七〇センチを超える。

 簡単に答礼した陽輝も、今は上下一体のつなぎ服のような格好だ。中には生体モニターなどが装備されている。

 その部屋は広かった。

 床は反射しないタイル、壁はコンクリートで天上には無数の照明と投影モニターの機器が並んでいる。

 操作コンソール台の二メートル手前には大きな背もたれと肘掛けのついた椅子があり、そこから数メートル先の壁一面は壁面モニターとして機能するらしい。さらに投影モニターのウィンドウが、室内にいくつも展開している。

「ご苦労様、ハルキ……今回はあまり緊張してないね?」

 陽輝の表情ではなく生体モニターを確認して、トモエは言った。

「少し慣れた。開戦までの時間は?」

「約三七分。渋滞が痛かったね」

 千葉市からここまで、車を三台乗り継いでいた。

「確認事項を」

 陽輝が促すとトモエは、

「今回の戦場は東シベリア海のヘンリエッタ島より東北東に約九〇〇キロ、北緯七九度四四八、東経一六三度九三を基点とした半径五〇〇キロ圏内になります」

 戦争代理人たちが行う調停紛争は地球上のどこかで行われているが、そのほとんどは両極圏の海上だ。これは人口希薄地帯で姿を見られること無く、同時に第三者からの干渉を受けない状況で戦うためである。

 『大分裂』時代で地球の総人口が大幅に減少して以降、極圏の航路はほとんどなくなっていた。アカルナイ委員会の「国家間戦争の完全管理のための協定」が発効してからは北極圏・南極圏への侵入も制限されている。

 戦争代理人としては思う存分に戦えるわけだ。

「戦場の気象は?」

 陽輝の指示に正面の大型モニターの前に小さなウィンドウ(それでも家庭用大型モニター程度の大きさはある)が投影される。

「海抜ゼロメートルの推定気温マイナス一六度。大気は安定。高度一〇〇〇メートルでの視界はクリアですが、海上には霧が発生しています」

 戦争代理人たちの戦闘艦艇はだいたい高度一〇〇〇メートル前後を飛ぶことが多い。これは一定の視界を確保しつつ、敵に発見されにくくするためだ。

 戦域図にそれぞれの戦闘開始時の予定位置が表された。

「我が軍は正統ブラジリア連邦の艦隊として戦場の東から、マトロパトマ連合側は西から侵入します」

「戦力の確認を」

 トモエが更に手を振ると、投影モニターの新たなウィンドウが投影されて戦力リストが表示された。

「旗艦ネメシス以下、一二隻……ショボっ」

 それまで淡々と報告していたトモエだが、不意にいつもの調子に戻っていた。

「ショボい?」

「ショボいよ!大艦隊なら一〇〇隻単位だよ」

 そう応えたトモエは、

「わかっていると思うけど、戦後の制裁は調停紛争修了時の被害に応じた規模になるんだよ。そこへ掛け合わせる係数として損耗率も関わってくるの」

「損耗率?」

「例えば各艦隊が一万人で構成されるとしてよ。それが一〇〇隻で構成されていたら、一〇〇隻中の一隻は一パーセントよね。でも、一〇隻で構成されている艦隊だと、一〇隻中の一隻は一〇パーセントになるよね?同じ一隻の被害でも、全体に占める割合が大きくなるじゃない?」

「なるほど……」

 陽輝は息を呑んだ。

「一隻も被害を出さない方が難しいからね。艦艇数が少ないと、制裁の規模が大きくなりかねないのよ」

 そう言って陽輝の表情を見たトモエは、

「まあ、あんまり緊張しないでね。ハルキはいつものようにすればいいんだから」

「わかった……というか、他にやり方を知らない」

 自嘲気味に応えた。

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