005_戦争無き世界/4/『大分裂』時代
自由時間創業舎を出た陽輝は、道なりに歩いて帝都交通小田原線の踏み切りを渡った。北向きに一方通行の車道に沿った歩道を南下する。
一方通行はすぐに首都高の出入り口に分断されていた対向車線と合流して、広い車道に代わった。
交通量の少ない車道を代々木公園側へ渡った。公園内へと入る。
「しっかりと睡眠時間をとって、規則正しい生活を。昼間は出来るだけ身体を動かして、日の光を浴びて」という医者からの言いつけを守るように、陽輝は公園内をあてもなく歩いた。空いてるベンチを見つけて腰を下ろす。
遠くで遊んでいる子供たちの、キャッキャと笑う声が聞こえる。傍らには母親らしい若い女性たち。
平和な光景だ。
陽輝は空を見上げて考える。誰がどう異論を唱えようと、この平和はアカルナイ委員会が提唱する協定の賜物だ。
二一世紀の前半。
国家間の戦争を抑制するため、前世紀に設立された国際機関が有名無実化し、世界は戦争を回避しながら静かな対立を積み重ねていた。
グローバリズム、多文化共生、リベラル思想といった耳触りの良い言葉は、後の争いの火種を徐々に育てつつあった。
そして世紀の折り返し地点を過ぎるとついに闘争――『大分裂』時代に突入した。
それは国家間が直接、争ったのではなかった。ある日突然、軍隊同士で戦闘が始まったわけでもない。
現在では「それまで密やかに張られていた陰謀の根が、ようやく芽吹いた」という説が、強い支持を受けている。
『大分裂』時代は国や地域政府が工作員――平和や民主主義、人権に関わる活動を行う非政府系団体を名乗っていた――を、敵対する国やその近隣諸国へ送り込むことから始まった。
彼らは赴いた国の一部地域で、民主化や自治権の強化、中央政府からの財政支援など、さまざまな要求を行った。自分たちとって都合の良い政権や自治体を成立させるため、選挙結果次第では再選挙まで要求した。平和・軍縮活動や独立運動を扇動したこともあった。
これは世界に遍く広がっていた民主主義という価値観の中で、「民意」という言葉を振りかざした侵略だった。
扇動者たちを鎮圧すれば、敵国が金で牛耳ったメディアが「武力による弾圧」として世界に報じた。民主主義と報道の自由を逆手に取った非正規戦である。
これがやがて、民間人を装ったプライベート・オペレーターや民間軍事会社などの傭兵が関わる、次の段階へと発展した。
「世界に平和と民主主義を」と謳うNGOが、暴力革命を遂行するため突撃銃を手に取って暴力デモの先頭に立つ。それに対して義勇兵や民兵を名乗る、軍事のプロたちが立ち向かった。
このような争いが世界各地で続発し「最後には、血で血を洗わない国がなくなった」と常識人たちは嘆いた。
これだけ世界中で戦いが勃発していても、国家間の戦争はひとつもなく、正式に宣戦布告した国は皆無だったのである。
この『大分裂』時代の発端はアメリカ合衆国だった。
他国からの移民で成り立ってきたこの国は、時間をかけて組織的に移民してきた特定国の出身者たちが、一定の世論を形成していた。
彼らはアメリカ合衆国そのものを乗っ取ろうとした。それを阻止しようとする動きには「人種差別だ!」と叫べば大義名分が立った。
だが、移民によって成立し、自由と民主主義を掲げる国であっても、自国の存亡となれば話は違ってくる。移民とその子孫が大半を占めるアメリカでも、移ってくる前の国に忠誠を誓っているような人間は――それ以前には、ほとんどいなかった。
地方で勃発した排斥運動は法改正――いくつかの州で排民条項が成立するに至り、排斥される側が暴力による議会占拠に走った。排斥する側とされる側、対立する住民同士の銃撃戦、という流れになるまで早かった。
『大分裂』時代の発端だとされている最も古い記録は、二〇五〇年の五月一六日に起きた銃撃戦だ。
やがてそれはアメリカ国内に浸透していた他国のNGOたち――民間人であるのに何故か、武器と弾薬を大量に所持して、その扱いに慣れていた――と州軍の戦いとなり、最後は合衆国陸軍が投入された。
この戦い(公式記録では“暴動”)自体は二日で片付くのだが、その後のアメリカ国内では続けざまに爆弾テロが発生した。
当時のアメリカでも深刻な社会問題とされていた、貧富の格差がそれに拍車をかけていた。積み重なっていた不満や不安が燃料となり、争いの炎は全世界に広がった。
当時の大統領を狙った爆弾テロが起きた頃には、世界各地でもこのような戦いが勃発していた。
弾道ミサイルが飛び交う世界大戦ではなく、正規軍ですらない非正規な武装集団による漠然した戦いはやがて内戦へと発展し、世界の構造を変えてしまった。
二一世紀前半に世界を二分すると言われたアメリカ合衆国と中華人民共和国、ふたつの大国はそれぞれ分裂――アメリカは三カ国に、中国は七カ国に分かれた。
ロシア連邦に至っては一時は十数カ国に分裂するなど、広大な領土を持つ国は確実に分裂している。
先進国と呼ばれていた国のうち、大きく分裂することなくほぼ領土を維持できたのはイギリスと日本くらいだった。しかし、この両国でも国内では、凄惨極まる戦闘が行われていた。
紛争を抑えるはずだった国際機関はほとんどの常任理事国が分裂し(分裂したそれぞれが「自分たちこそが、正当な常任理事国である」と主張した)、平和維持軍も編成できなくなって、名実ともに崩壊した。
『大分裂』時代が始まって一七年目となる二〇六六年の九月一二日。
世界中の公民を問わず電波・データ、すべての通信と放送が突然、ジャックされた。そして映像と音声、文字情報で登場した一人の老人が宣言した。
『自らの尊厳と生存のためにただ今、この時も争っている世界中の皆さん。私たちはアカルナイ委員会と申します。我々は現在、世界各地で続発している争い事を終結させる方法を、皆さんに提案します』
白髪頭に白い口髭を生やした老人の話を要約すると、
・世界の国家はアカルナイ委員会の提案する「国家間戦争を完全管理する協定」へ参加すること。
・参加国は定められた安全保障費を支払うこと。
・参加国は他国への一切の侵攻を放棄すること。
・参加国はアカルナイ委員会によって領土の安全が保証されること。
・参加国は国家間の係争を解決する権利を、アカルナイ委員会に保証されること。
・協定違反国は厳罰に処されること。
……などであった。
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