004_戦争無き世界/3/自由時間創業舎

 新宿駅から参宮橋駅へと、陽輝は帝都交通小田原線で移動した。百年以上の歴史を持つ国内の鉄道会社は、そのほとんどが社名を変えている。だが、整備されたインフラは今も残っていた。

 電車を走らせる会社や技術が変わっても、町並みは劇的に変わっていない。

 駅の西側に出ると、陽輝は線路沿いを南西へ少し歩く。所々に古ぼけた看板も見られる、二一世紀までとあまり変わらない、狭い路地だ。

 どこの駅周辺にも見られる飲食店やコンビニ、量販店に個人店舗が途切れて住宅街に入っていく少し手前。五階建ての小規模ながらも、洗練された印象の雑居ビルに陽輝は入る。

 エントランス脇の慎ましい銅板には『グラン・エクリプス』と、大層な名前が書かれている。外装は煉瓦風タイル貼りだ。

 中に入ると吹き抜けのホールからエレベーターに乗り、三階まで上る。

 降りたフロアは全体がガラス張りで、中は半分が二〇人分ほどのデスクが並べられる事務スペースと受付カウンター、残りは掲示板や小規模の対談スペースがいくつも設けられていた。利用している人の姿もそこそこにある。

 玄関ロビーのプレートには『株式会社 自由時間創業舎』と書かれていた。重厚な印象の毛筆書体だ。

 ここは陽輝が登録している、フリーランス向けの斡旋業者だった。

 このようなフリーランス向けの斡旋業者に対する評価はさまざまだが、その中で自由時間創業舎の、ネットでの評判は上々だった。フリーランス・発注者共に登録をする際は必ず面談を行う。

 そのため所属するフリーランスたちは全体にスキルが高い上、社会常識も持ち合わせている。だから仕事を発注する側も安心して発注が出来た。

 フリーランス側にしてみれば、支払いが前払いのプール制であること。最低報酬もスキルに対して相応の設定で、クラウドソーシングの平均よりも高額設定だったので好評だ。

 同じようなサービス内容でネット上のつながりを主とするクラウドソーシングと決定的に違うのは、現実の拠点を構えているためフリーランス同士の交流や情報交換の場を提供出来ること、時には顧客との交渉や打ち合わせが行えることだ。

 また、スキルや知識を向上させる目的の様々なスクールや勉強会、仕事に関わるカウンセリングなども積極的に開いている。

 登録しているフリーランスの場合、仕事の仲介手数料は無料なのだが、企業から支払われる紹介料、スクールや企業向けセミナーの開催、その他のフリーランス関連事業で、自由時間創業舎の経営は成り立っているそうだ。

 受付ではなく、登録者向けの出入り口で登録証代わりになる携帯端末をかざす。受信機が情報を確認し、陽輝は中へ入った。

 小学校の教室ほどのスペースに掲示板がいくつも立てられ、紙の仕事情報が張られている。

 それぞれの案件には特殊バーコードが印刷されていて、登録者は自分の携帯端末に付いたカメラにバーコードを読み取らせる。事前に登録されているスキルや経歴などからマッチング率が計算され、発注側の条件に適合すれば受付に伝わり、早ければその日のうちに紹介・面接……という流れだ。

 情報交換用のスペースには今、何人かの姿があった。中には何の仕事をしているのか、「一日中、そこにいる」と噂される者もいる。

 しかし、陽輝はそのスペースを一度も利用したことがない。他人と関わることを極力、避けるようになっていた……。

 SE向けの仕事案件をいくつか、陽輝は見た。それから「その他、案件」と区切られた掲示板の前に立つ。

 貼られていたのは四枚。すべて海外での仕事だが、今の時代には海外勤務や海外からの発注も珍しくない。

 しかし、ここに貼られているのは極圏近くや、聞いたことも無いようなどこかの大陸奥地などだ。登録しているフリーランスたちの間では「ここに出ている仕事に応募できた人間はいない」、という噂だった。

 それでも珍しいので、陽輝はそれぞれの案件にじっくりと目を通していた。

 四枚目の少数民族が住まう地域での通訳案件を見ていると、

「滝沢さん」

 と声をかけられた。ゆっくりと振り返ると上品なスーツに身を包んだ、二〇代半ば過ぎの女がいた。

「お久しぶりですね。お元気でしたか?」

 周囲が明るくなるような笑顔で、整った目鼻立ちは日本人離れしている。ハーフかも知れない。髪はダークブラウンで、肩にかかる長さを後ろでまとめていた。

 陽輝の担当コーディネーターで、牧山まきやま志穂しほという名札をつけている。コーディネーターは登録者たちの希望や経歴から適合する仕事を紹介したり、キャリアプランの相談に乗るそうだ。

 もっとも志穂の場合は、登録者のすべてを担当しているわけではない。

 彼女は仕事の分野を特化していることと、管理職だからこのオフィス全体のマネジメント業務が多いそうだ。だからここに来ても、顔を見ることはあまりない。

 ぎこちなさを隠せない表情で挨拶を返した陽輝に、志穂はにこやかな表情で、

「いかがでした?この前のお仕事は?」

 耳触りの良い声で聞いた。

「はい。いいお仕事を紹介していただき……ありがとうございます」

「技術レベルとか、問題ありませんでしたか?」

「ええ」

 志穂が紹介してくれた仕事は、簡単な制御プログラムを組んだり、動作チェックや評価試験などだった。

 SEやプログラマーとして、ある程度の経験を積んでいればそれほど難しいものではなく、納期にも余裕があって仕事量は少ないほどだ。

 それでも実家住まいで療養中の陽輝にとって、家に金を納めて食べていくのに十分な報酬額だった。

「滝沢さん、お客様からも好評でしたよ。紹介した私も鼻が高いです」

 輝くような笑顔で言った志穂は、

「何か困ったことがあれば、何でもおっしゃってくださいね。お客様からも、ご希望があれば便宜を図る、とのことでしたから」

 陽輝は深々と頭を下げて、

「ありがとうございます。今のところは満足しておりますので」

「また新しいお仕事が来たら、お願いしますね」

 そう言って、志穂はオフィスの奥へと戻っていく。

 顔を上げた陽輝は自由時間創業舎を後にした。自動ドアの外に出ると、無意識のうちにこめかみに浮いていた冷や汗を指先で払う。

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