003_戦争無き世界/2/二二世紀の仕事事情

 春らしい和んだ空気と柔らかな日差しに精神が洗われるような程良い陽気と、抜けるように青い晴天の下。

 実家を出た陽輝は地下鉄成増駅まで、人の少ない道を選んで歩いた。

 半世紀前から地下鉄は低速リニア(それでも時速一二〇キロ程度は瞬時に出せる)になっていた。騒音が少なく、短時間で移動が出来る。

 池袋まで一〇分ほどで到着した。そこから山手線で新宿まで移動して降りる。

 ラッシュ時間をとっくに過ぎているのもあるが、人の数はそれほど多くなかった。保育所から初等教育課程一年(七歳頃)に上がった時の、休憩時間の廊下程度の人の密度だ。これが百年ほど前は殺人的なほどの人数だったらしい。

 現在は二一〇四年――二二世紀までに世界人口は三〇億人程度にまで減っていた。

 ピーク時の四分の一ほどだろうか。それでも日本は最盛期の八割ほどの人口を保っていた。

 二〇五〇年に始まったとされる『大分裂』時代。

 各国経済の衰退と財政難から紛争が頻発し、それまであった国家は大きく様変わりしている。特に世界の政治と経済を牛耳っていた大国を含めた、世界中の国家が次々と分裂していった。

 人口の増加による食糧難の到来。先進国では貧富の格差拡大と少子高齢化による年金等社会保障の負担増加。そして国土維持のためのインフラ整備と軍備により、国家財政が耐えられなくなった。過度の肥満によって、呼吸すら困難になった人の話に似ている。

 二〇五二年には突如、複数の伝染病が世界各地で大流行した(これは『大分裂』時代の各国内戦で、生物兵器の使用を試みて失敗したのが原因、という説が根強い)。

 この大流行パンデミックにおいて、医療体制が不十分だった国は悲惨だった。

 致死率の高い伝染病で人口が激減し、生産が滞って食糧難は一層進んだ。さらにはそれまで続いていた環境汚染による、水不足などの追い打ちを受けた。

 そこに加えて内戦――大流行パンデミック前から既に始まっていた歪な戦争が世界の各地で続発して、広大な国土と人口を持つ国家はいくつかに分裂した。

 この分裂は大国の権力者たちが選択した、延命措置でもある。分かれる基準は経済域ごとであったり、生産拠点を中心とした地域だった。

 経済的に恵まれている、もしくは生産施設かエネルギープラントを有した地域や人口の多い地域が、国家財政を食い潰すだけの地域を切り捨てた、とも言える。

 長年、同じ国でありながら無情にも切り捨てられた側が、裕福な側に牙を剥いたのも自然な流れだった。

 昨日までの同胞同士が生存本能に従い、憎悪を剥き出しにして殺し合う……そんな凄惨な世界は、陽輝が生まれる少し前まで続いていたという。

 そして一八年も続いた『大分裂』時代に終止符を打ったのは国家ではなく、一握りの人々だった……。

 地下鉄に乗ってから陽輝が脳裏で世界史を再生している間に、心療内科の最寄り駅に到着した。駅から徒歩五分。待合室で半時間近く。問診は二分ほどだった。

 それでも、心の病については実家で家族と話しているよりは気が楽だ。

 今から二年前。

 陽輝は都内にある、高等教育課程(二一世紀前半の大学に相当)で、そこそこの偏差値がついていた私立校を卒業した。文系で好きな歴史と神話の研究をしていたが、在学中にSEの専門学校にも通い、資格をいくつか取っていたから、情報系設備のエンジニアリング会社へ就職するのもスムーズに進んだ。

 そして……心を病んで職を辞するまで一年もかからなかった。


 軽いジャケットにTシャツ、ジーパン、皮のリュックという格好をしていれば、陽輝はまだ学生に見える。

 新宿にある診療内科近くの薬局で、専用端末に処方箋を読み込ませた。携帯端末をかざして支払いも済ませる。

 処方箋の内容は、登録した住所の最寄りにある薬局へ転送される。そこで処方された薬はその日のうちに配送されるから、薬局で待つことはない。

 二一世紀の半ばをピークに、世界人口は激減した。

 しかし、生産施設の自動化や人工知能搭載型ロボットによる労働の代替によって、生産力は補われている。緩やかだが経済も上向きで、税収にも余裕があるらしい。人口が減ったことで逆に福祉面でも制度が充実して、医療費も安くすむ。

 病気療養中である陽輝は、表向きにはフリーのシステムエンジニアだった。

 しかし、フリーランスという響きは良く聞こえても、これは定職ではない。街を歩いていて、スーツにネクタイ姿の同年代を見かけると、無意識に避けて視線を逸らしてしまうのは、今でも続いている。

「今は何も気にせず、治療に専念してください。昼間はゆっくりでいいから、出来るだけ身体を動かし、日の光を浴びて。そして夜はしっかり眠る。とにかく規則正しい生活を心がけてくださいね」

 医者からの処方に、特別なものはなかった。とにかく「ごく普通の生活をするように」と、ことある毎に言われた。

 会社でSEをしていたころはマンションから職場まで、朝の通勤の時くらいしか日の光を浴びなかった。社外での作業時も、移動は社用車がほとんどだ。

 最近になって後ろめたさを感じることなく、外に出られるようになった。

 理由はフリーランス向けの事業斡旋業者に、フリーのSEとして登録したからだろう。登録した人間は仕事を斡旋された後、斡旋先との取引継続も自由だ。

 フリーランス――個人事業主とは、特定の仕事で一定レベルのスキルを持ち、会社などに所属せず、仕事を請け負う人たちを指す言葉だ。

 直雇用に比べると自由な立場で報酬も高めだが、営業から社会保険等福利厚生の手配、納税手続きなどすべてを自分でする必要がある。このような働き方は様々な分野のエンジニアやプログラマー、フォトグラファー、ライターなど、専門性が強い職種に多かった。

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