第98話 ルナティック・ハイ 1

 ダンジョン<イブリズ>はプレイヤーの間では<月光洞>と呼ばれている。



 このダンジョンに行く話が出た時、ハクイさんから「私あそこはパス」とのお言葉があった。



「コヒナちゃんの実力的に丁度いいのはよくわかってるんだけど。みんなで連れて行ってあげて。仕事以外でああいうの相手にしたくない」



 師匠はなるほどと納得してたけど、ハクイさんのおうちは冒険者稼業でもしてるのかね?


 そもそもみんなお仕事だったり家庭の事情だったりで人数が揃うことは少ない。いる人がいけないというのは勿体ないのでその日は他のダンジョンに行くことになった。


 そんなわけで別の日。月光洞の<イブリズ>攻略作戦が開始された。


 メンバーは私と師匠、ヴァンクさん、リンゴさん、ショウスケさんの五人。



 大昔に悪魔が攻め込んできた名残である<ディアボ>やドラゴンたちの巣窟である<トイフェル>同様、<イブリズ>も過去にあった「世界の終わり」の名残だ。


 師匠のウンチクによると、元となったのは月の光から魔力を取り出して無尽蔵に魔法を使えるようにする研究とそのための施設だったらしい。


 成功すればエネルギー問題が一気に解決。現実世界リアルでも実用化を目指したい夢の研究。でも現在ダンジョンになっているということは上手くいかなかったということだ。


 月の光にはこの世界で「魔力」と呼ばれるモノ以外にも未知の成分—「成分」って言っていいのかわかんないけど―が含まれているのだそうだ。この成分は現在ではルナティクスと呼ばれている。


 研究施設では月の光から魔力を取り出して残った搾りかすであるルナティクスは何も考えずにゴミ捨て場として掘った穴に捨てていた。


 ルナティクスは微量ならば問題がない。人が月光を浴びた所で何も起きはしない。


 でも、嘘か誠か満月の夜には犯罪が増えると言われるように、月の光は極々わずかに人の狂気を後押しする。



 魔力を取り除くことで精製されたルナティクスがたまりに貯まった結果、ある日「狂気」が溢れだした。



 結果その場にいた者達は皆狂気に取り付かれ、彼らの意識の奥深に共通する怪物が住み着くという異常事態を引き起こした。


 研究施設は狂った心が想像した存在しない神を崇める神殿となり、信徒となった研究員たちは無尽蔵の魔力とねじ曲がった想像力でおぞましい怪物たちを生み出した。



 かつての研究員と思われる人型の光る影、触手うねうねが生えた空飛ぶ眼玉、<シュバラのかいな>と言う名前の壁や床からいきなり生えてくるホラーテイストの手。


 この<シュバラのかいな>、時々手のひら部分とか腕の辺りに目とか口が付いてる。画面だから平気だけどリアルのお化け屋敷とかで出てきたら絶対泣いちゃう。


 あ! ハクイさんがパスした理由はこれか。ハクイさん実はお化け苦手なんだな。意外に可愛い所ある。私は画面なら平気だもの。



 でも見た目とか雰囲気以外でも、いままで<イブリズ>に連れて来て貰ったことがない理由がよくわかる。このダンジョンには1階から厄介なモンスターたちがうろうろしているのだ。



 強さで言ったらデーモンやドラゴンの方が上かもしれないけど、イブリズに代表されるここのモンスターたちは毒や麻痺をはじめ様々な状態異常を仕掛けてくる。対策なしではすすめたもんじゃない。



 さらに<イブリズ>の内部では何もしなくてもMPが減少していき、ゼロになるとアバターの操作が不可能になり手近にいるものに切りかかってしまう。行動不能になり変わらない上にMPを回復する手段は少ないのでかなり厄介なことになる。


 ステータス異常とは異なるので護符などの装備品で防ぐことはできない。その上ギルドメンバー間ではダメージが発生してしまう。


 ギルドメンバー間でのダメージ発生は不便なシステムだと思うけれど、師匠に言わせるとリアリティーがあって面白いじゃないかと言うことになる。しかたないので弟子の私もそう考えることにしている。


 一緒に来てくれたショウスケさん、ヴァンクさん、リンゴさんはベテランだけあってMP管理が上手だ。大変勉強になる。


 師匠はと言うと、元々MPはかなり高いのと攻撃魔法を使わないので常に余裕の顔をしている。ズルい。



 一階部分は研究施設っぽい建物のなれの果てで、瓦礫と冒涜的な構造物で迷路みたいになっていて、そこを抜けると広い中庭に出る。


 中庭はかつてのゴミ捨て場があったところで今は底が抜けてしまった様に深くて大きな穴が空いていた。ここが第二階層への入り口であり、<月光洞>はここからが本番だ。


 剣では倒せない巨大なスライム、作った人の意図が分からない冒涜的なキマイラ。幾何学的な構造をした宇宙から来た昆虫みたいな生き物。


 各階のボスを撃破して始めて来たダンジョンをさらに奥へと進んでいく。



 モンスターがいないと思ってホッとしたところににゅっと生えてくる<シュバラのかいな>も第一階層に続けて出現してくる。



 所々にある月光の影響が少ないポイントで休んでMPを回復させるんだけど、師匠がここは大丈夫って言ってくれなかったらおちおち休んでもいられない。


 なんとかたどり着いた最奥部は青と黄色が混じる不思議な光で満たされていた。


 洞窟の中に作られてきた階段を下ってきたというのに、たどり着いた祠のような空間の頭上には空が、夜空が広がっていた。


 そして中天には巨大な満月。月のダンジョンだけのことはある。


 このダンジョンのコンセプトにもあるように西洋では月はあんまりいい印象で捉えられないようだ。


 タロットカードでも「月」のカードはいい意味での解釈はしにくい。満ちたり欠けたりすることから信用できないもの、嘘、曖昧さの象徴とされる。月以外のカードに描かれているものも、月を眺める二頭の犬や水の中に潜むザリガニに寂しげな建物と、不吉さを感じさせるものばかりが青と黄色をベースに描かれている。


 でもさあ。日本人みんな月のこと大好きだからなあ。それに日本人が月のカードが象徴する「曖昧さ」を好むというのも良く言われることだ。


 月と曖昧さについては有名なお話がある。


 かの夏目漱石さんが英語教師をしていた頃、生徒が「I love you」を「あなたを愛しています」と訳したのを聞いた夏目漱石さんが「日本人はそんなはっきりした言葉を使わないものだ。『月が綺麗ですね』くらいに訳しておきなさい」と答えたのだという。


 これは創作だとも言われているけれど、それにしても素敵なお話だ。日本人が曖昧さを好むということと日本語の美しさが詰め込まれている。創作だというのならこのお話を作った人も相当な文豪なのではないだろうか。


 それに私はこのお話を聞いた時、目から鱗(師匠に言わせると竜鱗)が落ちたような気がしたのだ。なるほど、と月のカードのもつ意味を一段深く理解できたような、そんな気が。


 そもそもわんこもザリガニも好きだしね、私。正直あんまり不吉な気がしない。



 ふむ。月か。


 月光洞の祠から月が見えるというのは丁度いいシチュエーションだ。場を和ませるためにこのエピソードを再現してみよう。



「ああっ、師匠! 月です!」



 中天の月を指さして師匠に報告してみる。



「えっ? ああうん。月だねえ」



 師匠からは困惑したような返事が返ってきた。むう。せっかくネタを振ったのに。全く仕方ないなあ師匠は。もう一回行きますよ。



「師匠、月です!」


「え、う、うん」


「何か私に言うことはありませんか! 」


「……。いや特に……」



 むう。


 師匠らしからぬ鈍い反応。いや、らしいと言えばらしいのか? もしかしたら知らないのかな? 仕方ないなあ。ヒントを出してあげよう。



「何かあるでしょう。ほら、月を見た感想とか!」


「えええええ。……ええと……月綺麗ですね?」



 ぴき。



「なんだとコラあ!」



 しゅばっ。<打突・雷撃>ライトニングストライク


 ライトニングストライクはかなり初めの方に覚えたスキルだけれど、ダメージが大きい割に出が速いのスキル構成がほぼ完成した今でも戦闘の主軸として使っている。なお今回のように突っ込みにも有用性が高い。要は師匠の雷魔法と一緒だ。



「ぎゃああああ! なにすんの!」



 師匠のHPバーが大きく削れる。ちっ、生き残ったか。



「はっ!? すいません、MPがゼロになってしまいまして。今私何かしましたか?」


「セリフ付きで必殺技放っておいて言い訳にしても苦しすぎるよ!?」



 違うんですよ全部月の光のせいなんです。ビバ曖昧。



「コヒナさん、気持ちはわかりますが自重してください。まもなくボス戦です」


「あっ、すいません」



 ほらー。師匠のせいでショウスケさんに怒られちゃったじゃん。



「今のは仕方がないね。マスターが悪い」



 そうですよねえリンゴさん。もっと言ってやって下さい。こっちもネタでやってるんですから察して乗っかってくれてもいいと思うんですよ。


 見ていたヴァンクさんがやれやれというように首を振った。



「おら、お前ら痴話喧嘩はそのくらいにしとけ。行くぞ」



 えっ。


 ええっ!? ヴァンクさんがそれ言うの!?


 ショウスケさんとリンゴさん、師匠も私と同じ感想を持ったようでパーティーは暫し沈黙に包まれる。



「……何だよ?」



 ヴァンクさんは凄んでくるけど。つまり自覚ありだなこれ。



「ナンデモナイヨー。ヨシイクカー!」


「イキマショー!」



 流石の師匠も空気を読んで突っ込まないことにしたようだ。弟子もそれに倣うことにする。


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